【Republic of Uzbekistan episode 5】Bukhara; ブハラ へ ブハラ=ハン国かつての首都、近郊を巡る

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

数日滞在したサマルカンドを去り、道なり270kmほど西にある古都 Bukhara;ブハラを目指します。

ここまでのルート

Samarqand~Bukhara への道

ウズベキスタンの給油実測値は、RON92 でリッター約8,500 som(=約106.2円)。中央アジアはどこも似たような金額がつづくけど、今のところキルギスが一番安いか。

ウズベキスタン西部はもはやキジルクム砂漠の南東部に差し掛かっているのか、どこまでもつづくこんな荒涼とした景色の中を走ることになる。中東で散々見飽きた景色アゲインだ。気温は既に37~8℃くらいまで上がるけど、中東湾岸諸国に比べて湿度が極端に低い。

中国製の荷台つきバイクは、農家の強い味方。

舗装状態は概ね問題なしだけど、一部区間工事で未舗装路が突然現れるし、舗装路も急にガタガタになったりする。

青と白のツートンカラーがかっこいいウズベキスタン鉄道が遠くを走っていく。

途中左手に綺麗なターコイズの湖が現れた。
Kuyimazarskoe Reservoir; カイマザルスコー貯水池。

Bahouddin Naqshband Muzey

ブハラ中心へ到着する直前、中心部のやや北東に位置する場所で大きなイワーンが目に入った。後から調べて分かったけど、ここは中央アジアスーフィズムの聖地のような場所で、14世紀のブハラで活躍した Baha al-Din Naqshband; バハウッディーン・ナクシュバンドが創設したナクシュバンディー教団(スーフィーの一派)の本拠地だった場所のよう。
南側に位置する BOBI ISLOM GATE から、

ちょっと中を見学させてもらう。

内部は例のごとく色々入り組んでいて全体の構造が分かりづらいけど、敷地の北西側は大規模な墓地になっていた。

Abdulazizxon qonoqosi とある。たぶん、ブハラ=ハン国アストラハン朝 の王であったアブドゥルアジィズ・ハーンに由来するなにかだけど、彼はメッカに埋葬されたようなので廟ではない。詳細不明。

白のムカルナスが美しいイワーンをくぐると、

中央アジアのマドラサやモスク独特の広い中庭が現れる。中央辺りに見える小さな4ミナレットの碑のようなのが、たぶんバハウッディーン・ナクシュバンドの埋葬場所。

中華の雰囲気とペルシャの雰囲気をどちらも併せ持つ独特の装飾。

中庭を北側に抜けると、また別の列柱廊下やミナレットがある。そして更に敷地は広大に広がっていて、通路を進むと東側や北側にもゲートがあるようだった。

Wudu のための手洗い場は、神社でいう手水のようなものだろうと思う。キンキンに冷えた水がでてきて気持ちよかった。

Sitorai-Mokhi-Khosa Palace

とある日やってきた Sitorai-Mohki-Khosa Palace; シトライ・モヒ・ホサ宮殿。ここは、ブハラ=ハン国後期の王朝 マンギト朝の最後のアミール(王) Muhamad Alim Khan; ムハンマド・アリム・カーン が住んでいた王宮なのだ。赤タイルの使い方が特徴的なイワーン。

重厚な扉の奥にある、

中庭を通り過ぎて、

更に重厚な扉を通ると、

また広大な敷地に出る。まず目に入るのは、1912-14年につくられたコの字型の建物で、ムハンマド・アリム・カーンの離宮である。

白亜の壁を基調に、淡い青や緑のなんともいえないパステルカラー中間色が列柱や天井の装飾を彩る。

東側の扉には、狛犬が構える。なんだか本当に文化のミックスで頭が混乱する。

南側の建物の扉から中にはいって、その内部を見学してみる。玄関部分から右手、つまり南側の建物の内部全景が見渡せるんだけど、ここはロシア調にまとまっていると思いきや、

入口の部屋の装飾は、

イスラムやペルシャのアラベスクを彷彿とし、

また他の部屋は色とりどりのタイルやガラス、鏡なんかで飾られていてイランのゴレスタン宮殿の一室を思い出す。

極めつけは東側の建物の内部で、まるでステンドグラスで覆われたようなアーチ状のコリドーは一体どこの国の文化を反映してるのか今までの知識では整理のつかない様相を呈していた。

 

なんとも今まで見た事のないような、複雑で多彩色な装飾にはヴェネツィアのグラスやロシア、そして日本のタイルなども使われているらしいけど、どこに日本産のタイルが使われているのかはよく分からないかった。

シャンデリアは完全に西欧の雰囲気だな。

更に奥、東の建物のの北側には、当時各国から集められたであろうアミールの調度品コレクションが展示されていて、

その中には19世紀日本製の大瓶も沢山展示されていた。ちょっと詳しくないから分からないけど、尾張七宝だろうか。ソビエトに飲み込まれる前、最後のブハラ=ハン国 国王は、もしかしたら大の日本好きだったのかもしれない。

さて、ブドウの実が垂れる道をずっと南側に歩いていくと、

通称”Bed Room” と呼ばれるまた別の白亜の城が見えて来る。もはや名前から容易に想像できるけど、ここはハレム用の宮殿だ。その前にには大きなプール。1917-18年の築造。

入口の独特な門と、その天井部分の装飾。内部は簡単なミュージアムとなっていた。

すっかりお土産屋とグロッサリーの一部となっているこの特徴的な櫓のような建物は、このハレム宮殿のちょうど脇に建っていて、アミールはこの上からプールで泳ぐ数十人の側室の中からその夜の相手を品定めしていたとかいないとかいたとか。

敷地内にはブハラで最も有名な伝統工芸品であるコウノトリ型のハサミや、

リシタン陶器とはまた違った魅力のある、彫金細工に彩色を施したお皿が売られている。

専用の型にはめ込んだ金属に紋様を掘る職人さん。

ちょうど本邸とハレム宮の間には “Guest House” とよばれる建物がある。1915-16年の築造。

入口アーチ天井の装飾。

内部はやっぱり簡単なミュージアムになっていて、19世紀終わり~20世紀初頭当時 宮内で使われていた衣類や靴などを中心に展示されている。

金がふんだんに使われた内飾。

お土産屋のおばちゃんたち。歳とっても綺麗な人もいる。

敷地内を闊歩する孔雀。

おまけ

おっ、マックじゃん と思いきや、

マックじゃない。

つづく

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