【Republic of Uzbekistan episode 3】青の古都 Samarqand; サマルカンド の美しき遺構たち~part.2 Registan広場 Gur i Amir廟 など

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

前回にひきつづき、青の古都 Samarqand; サマルカンドに眠る美しい古の遺構巡りのつづきをやっていこうと思います。

Registon Square

サマルカンドにおいても、最も名所といわれるレギスタン広場にやってきた。

ここは、ご覧の通3つの巨大なマドラサ(イスラームの神学校)が、互いに向き合うように配置された美しい広場なのだ。

サマルカンドにいる間、何度もこの広場の前を通ったけど、とある日は、何人かの花嫁さんも見る事ができた。超がつくほどに化粧映えのする顔つきのウズベキスタン女性が、ウェディングドレスに身をつつみ これでもかというくらいに綺麗だった・・・ でもなぁ、歳とると、いやご年齢をお重ねになると・・・どっから変わっちゃうんだろうなぁ・・・不思議だなぁ。

フリーエントリーかと思いきや、広場やマドラサ内部には別の入口から柵の向こう側に入場する必要がある。

別の入口。

まずは向かって左手、西側に位置する Ulugh Bek Madrasah.

1417-20年、ティムール帝国4代王 Ulugh Bek; ウルグ・ベクによってつくられた。レギスタン広場3つのマドラサの中で、まず最初につくられたのがこのマドラサで、正面イワーンの意匠はどことなくアミールでありながら天文学者だったウルグ・ベクらしく 星を象ってるようにも見える。

正面イワーンの造景。

アーチの下の扉を抜けると、

ウルグ・ベク・マドラサの中庭にでる。81×56m の敷地面積となっている。

中庭からの景観。マドラサの城壁は2階建てになっていて、全部で55のHudjra; フジュラという小部屋と、4コーナーには少し大きめの勉強部屋がある。

2階でお茶を楽しむ人々も見えた。

中庭から向かって左右(南側と北側)のイワーン。

中庭には色々なお土産屋が出店している。このおっちゃんはアラビア語の教師をしているらしく、こ羊の革に名前をアラビア語で書いてくれるらしい。

一番小さいサイズで400円くらいだったので、記念に書いてもらってみた。アルファベットで名前を書いて、何度も発音を確認する。

サマルカンド産の竹を筆にして、

書いてくれた。これで Ryuhei Nukaga と読む。

そしてここが正面(西側)のイワーン

内部はサマルカンドの歴史に関するミュージアムになっていた。天井が青くてきれい。

次は向かって右手、広場の東に位置する Serdor Madorasah.

シェルドール・マドラサは1619-36年の築造。当時のアシュトラハン朝(ブハラ・ハン国の中期王朝)のサマルカンド総督を務めた Yalangtush Bakhodir; ヤラントシュ・バハディール によってつくられた。

まるでウルグ・ベク・マドラサと同時期に建てられたかのような配置だけど、実際には200年も後期になってから建てられている。これは当時の街づくりが、既存の建造物と対象になるような位置関係を考慮してつくられていたかららしい。

シェルドール・マドラサは、イワーンの左右から立派なドームが見える。そのディテールも、よく見るとひとつひとつのグルーブが下部でムカルナスを形成している。

シェルドール・マドラサでよく特筆されるのが、この正面イワーン上部に描かれた、人面太陽が背後から覗く緋色の獅子と、それに追われる白い鹿。偶像を忌むイスラームの文化において、幾何学文様やアラベスク以外の意匠は珍しい。

正面イワーンのディテール。

また、脇の扉から中へ入る。

中庭全景。

ウルグ・ベク・マドラサを模したということで、内部のつくりも似た2階構造。

中庭から向かって右手(南側)のイワーンと、

左手(北側)のイワーン。

そして正面(東側)のイワーン。

アーチ内面のディテール。

最後に、広場の正面、北側に位置する Tilla Kali Madrasah. モスクを兼ねるこのマドラサには、西側に礼拝室のドームが見えるのが特徴だ。当初は中央に位置される予定だったモスクは西側に変更されたらしいけど、対称性が失われると思いきやこの方が正面からドームが見えて、より全体の景観を美しくしている。メッカは中央アジアから南西方向なので、キブラの方角としてもこの方が都合がいい。

シェルドール・マドラサが完成した10年後、同じく ヤラントシュ・バハディールの命にて1646-60年につくられた。

当時、既に存在していた上述2つのマドラサとの均衡を図るために、ティラ・カリ・マドラサの正面ファサードはほかの2つよりもかなり長く東西に張り出していて2階構造な上に、正面からも フジュラが16室見える。

正面イワーンとアーチの意匠。

  

フジュラの扉はとても小さくて、まるで小人の家の玄関のよう。

中庭に入っていく。

ティラ・カリ・マドラサの周囲壁は、正面のファサード以外他の2つと異なり1階建て構造のようだ。

中庭に入って、右手と正面(東側と北側)のイワーン。

そして中庭の左手(西側)に位置するこのイワーン兼モスクの中に、レギスタン広場の中でも特筆すべき空間がある。

それが、この部屋だ。
Tilla Kari とは、”Decorated with Gold” の意で、その名の通り眩い金箔で装飾された絢爛華美な部屋になっている。

部屋は入口とミフラーブを含み4つのアーチで囲まれている。

天井はまるでチャクラ、ずっと見てたら目が回ってしまいそう。

青と金を基調にした装飾はまるで青金石が部屋中に散りばめられたような印象さえ抱く。

まぁ個人的にはヤレヤレに廃れて剥がれて色褪せたオリジナルを留める意匠とかの方が好きではあるんだけど、ここまで来るとしばらくは見入ってしまう。

建設された当時は5kgもの金がつかわれたという。金箔にして5kgというと、大変な表面積だ。

てなわけで、レギスタン広場を構成する3つのマドラサを、ちょっと細かく見てみた。

レジスタン広場の東西には綺麗な公園が広がっていて、こんな洒落たアイスクリーム屋さんなんかもある。

 

公園内に、ウズベキスタン初代大統領 Islam Karimov ; イスラム・カリモフの像。

夜にライトアップされたレギスタン広場。圧倒的に美しい、その場から離れたくない雰囲気だった。

記念自撮り。1人旅の悲しいところではある🤣

珍しく曇った日のレギスタン広場。

Hazrat Khizr Mosque

前記事で紹介した ビビ・ハニム・モスクやシャーヒ・ズィンダ廟のすぐ近くに、少しこじんまりしていながら存在感抜群のモスクがある。

最初の築造は1823年。現在みることができる姿は複数の修復の後の姿。

管理人が訪問しようとした時は、なにやら警察が多数周りに出動していて中にはいれなかった。それは大統領が訪問するから入場規制されていたのだ。なぜこんな小さなモスクに大統領が?と思ったら、モスクのすぐ脇には 初代大統領 イスラム・カリモフ廟があったのだ。

このクリアのエレベーターかっこいい。

ハズラ・キジルは坂の途中に高床のような形で建っているので、テラスからはサマルカンドの街がよく眺められる。

渡り廊下部分。この方角が、キブラ方向。

おそらく19世紀のころの写真。

Gur i Amir Complex (Amir Timur Mausoleum)

美しいサマルカンドの街を走る。各史跡はそれなりに距離が離れているので、やっぱりこうやってバイクで巡れるのは自由がきいて👍
都市間移動は砂漠とステップの茫漠な景色で飽きるけど。

さて、テネレの後ろに見えるは 15世紀の中央アジアを制覇した大帝国ティムール帝国の創始者 ティムール帝の霊廟 Gur i Amir; グリ・アミール。

規模はそこまで大きくないけれど、レギスタン広場やシャーヒ・ズィンダに次ぐサマルカンドの名所と言われている。ティムール帝の存命中、彼の孫である Mohammad Sultan; ムハンマド・スルタン によって、14世紀の終わりに当初はマドラサやKhanaka;ハナカとしてつくられたらしい。現在はその基礎部分やミフラーブの一部のみが残っている。

でもその直後、ムハンマド・スルタンが戦死してしまい、愛する孫を失くしたティムール帝は同所に孫の霊廟を建てるよう命じ、1403年に築造が開始された。2年後には、中国遠征中にティムール帝も戦死してしまい、最終的に同じくティムールの孫 ウルグ・ベクによって完成されたという。
ティムール帝は故郷であるShahrisabz ; シャフリサブズ へ埋葬される予定だったらしいけど、サマルカンドとシャフリサブズの間にはトルキスタン山脈の西の果てがこれらを隔てているので、当時は雪で峠越えできず 孫のムハンマド・スルタンと同じこの廟に埋葬されたんだって。以後は、ティムール帝の一族が埋葬される場所となった。

正面イワーン。このアーチから、内部のドームを覗く写真が撮りたかったけど、ずっとスタッフのにいちゃんがアーチ下にいたから、まぁいいや となった。特にイラン以降は、さんざんタイル装飾やムカルナスを見て来たけど、それでも各々の史跡には独特の雰囲気があって、圧倒される。いつかちゃんと写真を並べて、比較してみるのも面白そうだ。

アーチをくぐり、内部の中庭へ入る。

エントランスのアーチと、中庭、そして2本のミナレットに1つのドーム と、グリ・アミールは構成が非常にシンプル。

奥のイワーン中央のムカルナス。その脇にある扉から、内部へ入ると、

廊下部分はティムール帝に関する簡単なミュージアムとなっていて、その奥にある扉をくぐると、

ドーム下のこの荘厳な空間に入ることができる。

ティラ・カリ・マドラサ内の黄金の間に負けず劣らずの絢爛さ。

壁一面~天井にかけて 金箔で覆われた壁面は、精緻なアラベスク文様やカリグラフィーの紋様と、絶妙なライトアップが相まって この煌びやかさにも関わらず非常に穏やかな雰囲気を纏っている。

部屋の中央には墓石が並ぶ。中心にある黒い墓石がティムール帝の墓石で、向かって右側のやや緑色をした石棺が先に亡くなった孫のムハンマド・スルタン。そして一番手前、上面の彫刻が美しい棺がウルグ・ベクのものである。他の石棺も、ティムールの親族や彼の師のものが並ぶ。

室内に光を取り入れる木製の格子窓 Panjereh; パンジャラと、その上のアーチに惜しみなく造りこまれたムカルナス。

 

しばらく室内で呆然と天井や壁を眺めるのも、いいかもしれない。

Rukhobod Mausoleum

噴水のカスケードがきれいに並ぶ脇に、

こじんまりと佇む Rukhobod 廟。イスラム神学者として尊敬を集めた Burhaneddin Sagaradzhi; ブルハネディン・サガラジが中国にて没した後、彼の息子 Abu Said; アブー・サイードによってサマルカンドに持ち帰られた遺体が埋葬され、1380年ティムール帝によって霊廟が建設された。”Rukhobod” とは、彼の死後に ”Resident Spirit” という意で与えられた名前だという。

立方体の上に八角柱、そしてその上にドーム という独特な形をしている。とある伝説によると、このドームのどこかに、預言者ムハンマドの髭が7本入った箱があるらしいけど、当然外から箱は見当たらなかった。

内部は非常に質素なつくりだ。中には、ブルハネディンと彼の妻、そして彼の子供たちが葬られている。

Amir Timur 像

ウズベキスタンには全部で3つのティムール像があるという。その内のひとつ、「座るティムール」がサマルカンドにある。

あと2つは「立つティムール」と「馬に乗るティムール」。機会があればどちらも訪れて ティムール・コンプリート してみたいもんだ。

ただ、気になるのはこの像の顔つきを見る限りなんだかタジク人のように見えるけど、伝承によればティムールはモンゴル系のバルラス部族にその系譜をもち、あのチンギス・ハンと同じボルジギン氏の流れを汲む血筋といわれている。肖像画ももっとモンゴロイド寄りの顔つきをしているものが多いが、果たしてどんな顔だったのかは、知る由もない。
サマルカンドはウズベク人ではなく、歴史的にタジク人の土地だ という含意を感じるのは邪推だと思いたい。

サマルカンドの教会たち

ウズベキスタンは国民の95%以上がイスラム教スンニ派を信仰する国だけど、8世紀のイスラーム化以前は東方正教会などが中央アジアにも進出し、教会もあったという。
ただ、ティムール帝と、ウルグ・ベクによって中央アジアにあったほぼ全ての教会は破壊されてしまい、当時の教会はおそらく残っていない。現在サマルカンドで見る事のできる教会は、19世紀ロシア帝国の支配に伴って建設されたもので、テネレで街を徘徊するなか 4つの教会を発見した。

St.Alexsey Church. 聖アレクセイロシア正教会。

St.John the Baptist Catholic Church. 1916年。洗礼者ヨハネ カトリック教会。

Church of the intercession of the Most Holy Theotokos. 聖母執り成し教会 と訳すのか…?

そして最後は、住宅街の中にひょっこり現れた St.George Russian Orthodox Church. 聖ジョージロシア正教会。

ここはたまたまスタッフ(?) の女の子に会って、もう閉まってたのにわざわざ鍵を開けて中を見学させてくれた。

教会の内部。

カウンターにはお土産も並んでいた。

鍵を開けてくれて軽く案内してくれた美人さん。

ティムール帝とウルグ・ベクによる破壊を免れた中央アジアに残る教会、なんて実在するのかなぁ、あったら行ってみたいもんだ。

Ulugh Bek 天文台

サマルカンド中心市街からやや北東にやってきた。

ここは、今まで何度も登場してきたティムール帝国4代王にして天文学者だったウルグ・ベクの天文台がある。天文学研究の中心は、先述のレギスタン広場にあったウルグ・ベク・マドラサで、その研究を促進する目的で、9年後の1429年に天文台がつくられたという。

ウルグ・ベク像の奥の階段をのぼって、丘の上に出ると、

現在はウルグ・ベク天文台博物館がある。この建物は1970年代にはいってからつくられたもので、

内部はこじんまりとした博物館になっている。当時使われていたであろう天球技やアストロラーベが展示されている。

この天文台の一番の見どころは、その博物館の前にあるこのゲート。

その中を覗くと、この巨大な円弧を描いたレールのようなものがみえる。

これは、当時の計測時の様子を描いた絵で、この子午線に沿って築かれた巨大な円弧のレールを用いて、太陽の南中を測量していたんだって。オリジナルの天文台は、1449年、建設からわずか20年後にウルグ・ベクの死をもってイスラム保守層に破壊されて、20世紀初頭ロシア人によってこの溝が発掘されるまでその存在は完全に忘れ去られていた。

おまけ

イスラム教の国ながら、ビールはそこらへんの商店で簡単に手に入る。これはドゥシャンベに入る時にゼーニャにおすすめされた Жигулевское(Zhigulevskoe)製ビール。正直管理人はビール含めワインもウィスキーも酒の味の違いはほとんど分からん。とりあえずクセは少なくて、飲みやすかった。

サマルカンドにはパブが軒を連ねる飲み屋街みたいな一画があった。そこで頼んだソーセージ。酒と同じく、豚肉も食べられるのだ。

シシカバブの店は相変わらず見つけるのに困らない。牛肉のシシカバブを頼むと、大抵は肉と脂肪が交互に刺さったやつが出て来る。

サマルカンドで食べたラグマン。ラグマンはウィグルからタジキスタンとずっと食べてるけど、地域によって差が激しいながらどれもうまい。

とある商店の板チョココーナー。パッケージがかわいいし、種類が豊富で、思わず買ってしまいたい。

滞在中ほぼ毎晩通った Gelion Icecream. このデカさで75円!

つづく

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