【Republic of Uzbekistan episode 2】青の古都 Samarqand; サマルカンド の美しき遺構たち~part.1 Shah i Zinda 廟群と Bibi Khanym モスク

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

タジキスタンを出国し、ウズベキスタンへ再入国後 中央アジア屈指の観光都市 Samarqand; サマルカンドへやってきました。この美しい街に点在する 古の建造物を巡ります。まずは part 1.

Shah i Zinda 廟群

現在のサマルカンドの市街中心の北側には 歴史的に Afrasiyab; アフラシャブと呼ばれ、11~13世紀にホラズム・シャー朝の首都として繁栄していた場所がある。そのアフラシャブのちょうど南に、Shah i Zinda; シャーヒ・ズィンダ廟群がある。

ここには11~19世紀、およそ800年以上に渡ってつくられた、様々な時代の建造物が集合している。入口にあった地図によると、全部で44もの建造物から構成されている。

きれいな敷地内から、巨大かつ意匠が目を惹くイワーン風のゲートを通って中に入ると、

石段があるのでのぼっていく。階段の上に見える門が、最初のChaktal; チャクタルで、4つのアーチが各方位を連絡する空間になっている。

振り向くと、これでもかという程に青いサマルカンドの空と、ターコイズのドームがとにかく映える。この2つのドームが特徴的な建物はティムールの孫であり4代王である Ulugh Bek; ウルグ・ベクの時代の天文学者 Qo’ Shgumbazli (たぶん Qadi Zada al Rumi と同一??) の廟 (15世紀)。

この廟の脇には、ごく普通の墓地も併設されているようだ。

そして階段を上りきると、そこにはまるで図書館の本棚に挟まれた通路のごとく、ティムール様式の鮮やかなタイルで装飾された廟の門構えに挟まれた通路が奥へとつづいていた。

この景観こそ シャーヒ・ズィンダ廟群特有の眺め。ひとつひとつ見ていこう。

Tuglu Tekin 廟。1376年。

Amirzoda 廟。 1386年。

Shirin Beka Oka(ティムール帝の妹) 廟。1385年。

透かし彫りの窓や精緻な天井画。溜息が出るほど美しい内装。

山水画が起源にありそうな、東洋風の絵画は さすがに修復後のものだよね・・・

Shodi Mulk Oko(ティムール帝の姪) 廟。1372年。

この感動が伝わるだろうか・・・! ほんの数人しか入らない程の小さな建造物なのに、まるで大聖堂に入ったかのような絢爛さである。全てがオリジナルではないにせよ、当時の装飾への拘りは凄まじいものを感じる。

The Octagonal 廟。14世紀。

さらに奥へ進んでいくと、より一層大型の廟が立ち並ぶ。それにしても、一つ一つが世界遺産級の霊廟が、これだけ密集してこの景観を成すのは 世界広しと言えど ここサマルカンドだけでしょう。

その名も Unknown 廟。14世紀。これだけメジャーで研究が進んでそうなサイトにもかかわらず、未だ”Unknown” ってのは、むしろミステリアスでいいね。

扉の意匠にも注目だ。当然ながら手彫りで、材質はよくわからないけど、もしかしたら胡桃の木かな。

この青が本当にかっこいい、一体誰が眠っているんでしょう。

Usto Ali Nesefi 廟。1360~70年代。

建物の隅々にまで施されたデザインに目が離せない。

幾何学デザインの嵐である。

正面ムカルナスのみ純白で強いコントラスト。ほとんどの建築物にはアラビック・カリグラフィーのデフォルメされた文字が装飾される。

ここもまた、圧巻の内装。

釉焼成のタイルはサマルカンド・ブルーと言わしめる強烈な”青” を強調しつつ、象嵌された他の石の色とも共鳴して違和感がない。昔の人の感性ってのは、その時の時間の流れの中で生きてないと 培われないんだろうなぁ。

再び Unknown 廟。14世紀後半。基礎部分は11世紀のマドラサのものと共有されている。

 

600年以上前のタイルがそのまま残っている場所も沢山ある。

しかしこの内装の差はなんなんだろう。修復途中なだけなのか、当時からこれだけの差があったのか。

Amir Burunduk 廟。1380年代。

そして更に進むと、2つ目の Chartak; チャルタクがある。

この右手に、この Shah i Zinda = Living King; 生ける王 の語源となった Kusam ibn Abbas; クサム・イブン・アッバース の廟がある。

“The Gate ” は1404~5年製。”信心深きへは楽園への扉開かれたり” と彫られているらしい。奥はこの遺構密集地の中でも最も古い彼の廟や、モスクの複合体になっている。

礼拝室内。今でも内部でサラートが行われる。

クサム・イブン・アッバースはイスラーム創始者ムハンマドのいとこで、中央アジアにおける最初期の伝道者で、この地で斬首された後 、斬られた首を抱えて地下に潜り 今でも生きているという。まるで日本の落ち武者伝説のようだ。

さて、この廟群の最深部にして最も高い位置には3つの廟が各々向かい合うように配置されている。

西に位置する Tuman Oko 廟。1404-5年。

アーチ下面の装飾はオリジナル感が漂う。この辺はガイドをつけないと詳しくは分からない。

内装は独特。

全方位から天井に向かってムカルナスが上っていくような凝った内面の装飾。

ムカルナスひとつひとつを見てみても、

金線の縁取り+青のアラベスクで異なった意匠がほどこされている。

下層部分を覆う、ハニカムの深い緑がなんとも味わい深い色だ。

北に位置する Khodja Ahmad 廟。1340年代。

他の廟の門構えに比して、この廟は特に表面の凹凸が激しく、複雑な彫刻がみられる。

最深に位置する3つの廟の内、最も古いためか、内装は損傷が激しかったのか 全て白一面に修復されている。

東に位置する Kutlug Oko 廟。1360-1年。

印象としては、最も多彩な色が使われていて、洗練されたゲート。

扉の意匠。

内面はやっぱりかなり修復されている様子だけど、おそらくオリジナルと思われる内飾の一部が残っていて、この青は特に、それこそAlauddin Lake の湖面にみたような美しい青だった。

施設内にある建物の内のいくつかは、お土産屋を兼ねている。

テラコッタに手作業で色付けされる風鈴やてるてる坊主のような工芸品。バイクじゃなかったら、記念に買っていきたいよね・・・(定期)。

北側から見る 中階層の廟群列。

Bibi Khanym Mosque

サマルカンドの街は本当にきれいで走っていて気持ちよかった。イランのイスファハンやシラーズを思い出すような街。

さて、テネレの後ろに見えるのは初見ビックリ超巨大なモスク Bibi Khanym; ビビ・ハニム モスク。

14世紀当時のインドを支配していたトゥグルグ朝に遠征したティムール帝が、デリーに築かれたモスクにインスパイアされて急ピッチで建設が進められたというこのモスク、

オリジナルは1404-5年頃に完成したというけど、残念ながら今見ることのできる姿はそのほとんどが1970年代に入ってから再建されたもので、オリジナルはほぼ残されていないという。あまりの急ピッチで工事を進めたせいで、構造欠陥があったといわれていて、ティムール死後は放棄→廃墟化し、1897年の地震により大きく崩壊してしまったのだ。

正面イワーンの高さは約35m,

この門は北東東くらいを向いていて、ここを通り中に入ると、

今では綺麗に整備された美しい中庭に出る。この外壁は167×109m の長方形の領域を囲っている。中央に、アクリルケースで覆われた大理石製の巨大なコーラン台がある。

入って左手、つまり南にあるドームとそのファサード。

内面観。

近年になってから修復されているだけあって、非常にきれいな内飾をみる。

ところどころ、ん?ここはオリジナルなんじゃ と思うような部分もあるけど、たぶん違うんだろうな。

南西側のミナレット。

そして南西方向、つまりメッカ方向には第2のイワーン。

ところどころ自撮りしとかないとね、来た記念と証に。

メインの礼拝室ないへは入ることはできなかった。

礼拝室を囲うイワーンのディテール。

木製の格子から中を覗くと、メインのミフラーブが見えた。これは、、、当時のままの状態が残ってるように見えるけど、詳細は不明。

近年になってからつくられたものと分かって見ても、細部まで作りこまれた意匠は美しい。

いつも思うんだけど、こういった細かいデザインは、十分な資料がなかったらどうやって決めるんだろう。

北西側のミナレット。

中庭の右手、つまり北側のドームと正面ファサード。

そして内面。

う~ん、このドーム内もなんだかオリジナル感が漂う。

オリジナルオリジナルうっせーよと思うかもしれないけど、やっぱ当時のものがそのまま残ってるってロマンである。

ちなみに、40mの高さにもなるメインのドームは北東側の入口や、中庭からはほとんど見えない。こんな感じでモスクに背後(南西)からアタックすると、路地の間から美しいターコイズのメインドームが臨まれる。
この、なんでもないローカルな路地から巨大なイスラームのドームが見える様は、小さい頃に見た色んな映画の中で観た”異国”の情景 まさにそれだ。

ビビ・ハニムモスクと、通りを挟んで向かいには Bibi Khanym 廟がある。

おまけ

ウズベキスタンの紙幣。1 USD= だいたい11,500 ウズベキスタン・ソム で、イランほどじゃないけど通貨単位が大きいから時々わけわかんなくなる。

おまけ2

中央アジアあるあるなのか知らんけど、キルギス以降芯のないトイレットペーパーをよく目にする。

おまけ3

サマルカンドで、ドーハ バグダッド イスラマバードに次いでたぶん4回目の散髪。おっちゃんテレビに夢中。

つづく

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