どうもこんつくは、グレートエスケープ中の管理人です。
コンヤの街に滞在してる間、市内センターから約10kmほど北西にあるSille Subaşıという小さな村に訪れてみました。
コンヤのとある午前中
とある日の午前中、Recepから借りたスクーターでまた市内を走り回る。
どの街にも必ずといってよいほどある、アタテュルクの像。
壁の青タイルが印象的な、Amberreis Mosque.
アタテュルク像の面する通り南側に聳える巨大な建築物。
Konya Millet Bahçesi という総合エンターテインメント施設のプロジェクトの一部で、MERKEZ CAMİ; 中央モスクは15,000人以上を収容できるモスク&多目的施設として絶賛建設中の様子だった。
まだまだ暑いトルコ、日陰で憩うローカルガイズ。
昼前、Recepに昼メシをご馳走になった後、スクーターはコンヤに置いたまま、バスで北西にある小さな村に出かけてみることにした。
Sille Subaşıへ、バスでGo
Recep が教えてくれたバス停らしき場所に行って、止まるバスというバスに「シレスバス??」と聞いて、ようやくそれらしきバスに乗ることができた。
バイク旅だと、公共交通機関を使う機会ってのはめっぽう少ないから、たまの機会にローカルバスに乗ったりするのがけっこう楽しい。
そんなわけでやってきた Sille Subaşı; シレ・スバスの村。
かつて、前記事で紹介したルーミーが、「決してこの地のギリシャ人を傷つけないように」とトルコ人に命じた事から、800年もの間正教徒であるギリシア人と イスラームのトルコ人が平和的に共生してきた村だという。
以前 Kayaköy; カヤキョイの巨大廃墟の記事で触れた通り 1次大戦後の1924年、トルコーギリシア間の住民交換によって全てのギリシア人がこの地を去ったのだ。中央には水路が流れていて、その両脇に歴史的集落が広がっている。
Hagia Eleni Church
まずやってきたのは、Hagia Eleni Church; アヤ・エレニ教会。
古代ローマ皇帝 コンスタンティヌス帝の母である聖ヘレナがシレの村に立ち寄った際、現地のキリスト教徒のために建てさせた教会で、その歴史は327年にまで遡り、アナトリアの教会では最古のもののひとつとされている。
内部の様子。
天井の装飾。中央のキリストと、コンスタンティヌス帝や聖ヘレナ、12使徒やアダムとイブのエデン追放などが描かれている。
入口の碑文は、絶滅したカラマン語。
白馬に乗った聖ゲオルギウスと聖ミナス。
18-19世紀のイコノスタシスと、中央を飾る2頭のドラゴン。
イコノスタシス装飾。
1816年 奥の至聖所と祭壇。
祭壇の奥にはフレスコ画が見える。
1901年 Ciborium; キボリウム
1次大戦中、医務室として使われていたことを表わすアラビア語の看板。
壁面の紋章。
アーチを飾る装飾。
素晴らしいポーズで一時停止してくれてありがとう。
Şeytan Köprüsü; 悪魔の橋
教会とは反対の北側につづく未舗装の道を歩いていく。
サテライトモード+GPSがないと、なかなか辿り着けないんじゃないかという場所に、橋がみえてきた。
Şeytan Köprüsü 英語でいうところの Devil’s Bridge.
名前に特に深い意味はなく、ただ狭くて渡るのが恐ろしいことから「悪魔の橋」らしい。
世界中におそらく100以上は存在するであろう Devil’s Bridge という名のついた橋の中でも、マイナー中のマイナー。
とりあえず渡ってみる。
まぁまぁ怖い。
作られた時期は正確には不明で、様式などから16世紀くらいらしい。
当時は水道橋として利用されていた。
旅の途中、こういう石橋とか偶然見つけると けっこう嬉しいよね。
Karataş cami
小高い丘の上にある Karataş cami に向かって上っていく。
村をはさんで反対側にある断崖には、洞窟住居のような岩窟が沢山見える。
残念ながらモスクは閉まっていて中には入れず。
1878年頃つくられたオスマン時代のモスクで、やっぱりセルジューク様式が踏襲されている。
バルコニー付の木製ミナレットは、近くで見るとすごくバランスのとれた美しいフォルムだった。
Sille Caybasi Cami
シレの村、路地雑景。
村を東西に貫く Sille ırmağı という水路。小さな石橋がいくつも架かっていて絵になる。
なんて美人なサビ猫でしょう。
もう日も暮れて来たので、最後に立ち寄った Sille Caybasi Cami.
築造は19世紀。
水路に面したバルコニーにある木造の列柱とその天井。
そして3身廊を分ける内部の木柱。
珍しい総木製のミフラーブ。精緻な木工に注目だ。
モスク内部後陣。一部、やっぱりセルジューク様式の踏襲もありつつ 19世紀オスマン帝国の木工技術の豊かさを感じられるモスクだった。
帰りは、なんだかデコレーションが騒がしいバスに乗り込んで、コンヤに戻るのであった。
つづく