こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。
パミールの旅から首都ドゥシャンベに帰還し、まずはテネレのクリーンアップに奔走します。
タンクの亀裂修正・エアフィルター清掃・ブレーキパッド交換など
世界旅を初めて、初タンク外し。
本ブログは、色んな人が見てくれているので、あまり心配をかけないよう&余計なおせっかいを予防する意味で、かなり色々な事をはしょって記載していることが多い。その内のひとつに、タンク亀裂問題がある。もう今更なので白状すると、実はサウジアラビアのルブアルハーリー砂漠砂漠でクラッシュをした時に、燃料タンクに亀裂が入っていたのだ。
幸い亀裂が微小で、しかもタンク上部に限定した位置だったおかげで、事故当時助けてくれたトラックの運転手が持っていた応急用のグルーと、その後再度漏洩がひどくなったので、サウジのダンマームにあったバイクショップで追加の封鎖処理を行って事なきを得ていた。 ➡【Saudi Arabia episode 5】この記事で触れている「ちょっと心配なこと」とは、タンクからの燃料漏れのことだったのだ。
この時の処置と材料がとても優秀だったのか、タンクを外さない&非乾燥状態での作業だったにも関わらず その後半年以上にわたって大きな問題がなく経過していた(燃料を満タンにすると、わずかに漏洩があった)
でも、今回のパミールの旅を終える頃、凄まじい振動のせいか、ややタンクからの漏洩が悪化したようだった。なので、これをいい機会に、一度タンクを外して問題を改善したかった。写真が、いままでなんとか漏洩を封鎖してくれていた古い材料。一度全て除去する。
これが亀裂。まわりをサンドペーパーでやすって、脱脂する。
最も良い方法は、勿論交換だ。数か月前Safari Tank に相談したところ、亀裂の位置的に修理が難しいとのことで、新品を送ってくれると言ってくれたんだけど、どうにも送り先に困ってしまうので放置していた。今回グリーンハウスで出会ったドイツ人ライダーのLuts と Terese が、彼らの住所を使っていいと言ってくれたので、彼らがドイツに帰り次第、Safari に新品のタンクを送ってもらおうと考えている。
バイク・ハウス・ドゥシャンベのAzizに再び相談し、プラスチック溶接を行える業者はないか聞いているものの、ポリエチレンの、この奥まった位置だと、難しいという結論になって、再度新しい材料で封鎖を試みることになった。
グラスファイバーのシートを亀裂部分に敷いて、それを特殊な接着剤で固定。その上から更に、エポキシ系のグルーで封鎖してくれた。
Aziz は無表情で何考えてるか分からないけど、やる時はしっかりやってくれる頼れる男だった。今回はタンクを外した状態で、しかも乾燥コンディションで作業したので、またしばらくはもってくれるに違いない。ドイツの Luts宅 に辿り着くまで、こらえてくれ。
外装類も所々割れたり亀裂が入ったりしていたので、
近くのカー用品店でゲットしたプラスチック用のリペア材とパーツクリーナーを使って、
可及的に修理をした。
これも、サウジのクラッシュ時に断線していたのが、また切れてしまった。ドーハのYAMAHAはやっつけ仕事で、ハンダすら置かずに、同線を縒ってるだけだった。やっぱマーケットの小さい国じゃ YAMAHAの正規店でも信用できないな・・・ これも、バイクハウスドゥシャンベでハンダごてを借りて、しっかりと接続した。
そいでもってエアフィルターは・・・・
まじか、イスファーハーンで8か月ぶりに開けた時のそれを遥かに超越する汚さなんですけど。恐るべきパミールの砂埃。さぞ息苦しかっただろう・・・。
あともう一点心配だったフロントのブレーキパッド交換。
まぁ~~ まだ使えるけど、この際交換しちゃうことにした。
あたらしいパッドは RK のメガアロイシリーズ。リアで使っていて、純正のブレンボよりとにかくもちがいいので、フロントにも使うことにした。
てかフロントのパッド、49,000km でこれなんだが、すげーもつな。純正のブレンボパッドでこれだから、RKならまた6万キロくらいもつのか・・・? ちなみにリアのブレンボ純正パッドは1万キロでツルツルになった。その後約4万キロ、リアのRKパッドは、まだまだ使えそう。
フロントのアクスルシャフトも、特に金属腐食の進行とかなさそう。これもやっぱり、グリスアップしといてよかった。
新しいパッドに換装。これで当分はフロントのパッドの事は考えないで済む。
他のバイカーたちも、各々パミール後の”傷”を修繕したり、荷造りをしていた。
タンクの再リペア・外装の修繕・エアクリーナー清掃・フロントブレーキパッドの交換を終えて、再度組みつけた後はカーウォッシュに持って行った。超高圧の水流でたちまち泥汚れがきれいになった。
Dushanbe Mall
ドゥシャンベはとても暮らしやすくて、タジキスタンが「中央アジア最貧国」とはとても思えないような綺麗な街だ。そんなドゥシャンベにある大型のショッピングモール Dushanbe Mall は、滞在中何度か買い出しで利用した。
モールの中にある、スーパーマーケットは 食料や日用品まで幅広く取り揃えていてとても便利。
カー用ケミカル類。
洗剤類も沢山。ニベアの類だけでも棚が3~4列埋まってた。
キャンディー・チョコレートの量り売りコーナーと、その場で焼いていると思われるパン屋さん。ドーナッツがめっちゃおいしそう。
ドリンクコーナーもおもしろい。日本には輸入されていない多彩なエナジードリンク。
旧ソなので、イスラム教徒が多いながら酒類は豊富。タジキスタン産のウォッカなんかも。
板チョコもこんなに。見た事ないメントスのパッケージとか。
ってな感じで、ただ見て回るだけでも面白いDushanbe Mall だった。
夜のドゥシャンベ
ドゥシャンベでは、パミール前の準備や、パミール後のあれこれで、結局全然観光できていなかった。といっても、ドゥシャンベにはこれといって代名詞的なスポットがあるわけじゃないんだけど、せっかくなので、出発前夜に夜の街を走ってみた。
Independence Square にある巨大なゲートと、内部のモニュメント。
夜の Rudaki Street.
深夜でも綺麗にライトアップされたビルが多い。まるで銀座のよう。
Rudaki Park 内にある、Independence Monument.
Monument of Ismail Samani.
イスマイル・ソモニは、現在ウズベキスタンの西部にあるサマルカンドやブハラを都として、中央アジア南部~イランにかけてを支配した9~10世紀のサーマーン王朝のアミール(王)だ。サーマーン朝以降は、テュルク系民族との同化が進むため、このサーマーン朝が”タジク系”最後の独立王朝といわれていて、そのせいか、その最盛期を担ったイスマイル・ソモニはイランでいえばキョロス大王的なポジションなんじゃないかなと感じた。通貨単位のソモニも、彼の名前に由来している。
サーマーン朝の首都だったサマルカンドやブハラは、現在ではウズベキスタンの領土になっているけど、実際にはタジク人の土地だと、みんな口を揃えて言う。
ところどころイルミネーションもあって、夜中に走り回るのも悪くない街だった。
ドゥシャンベでは、1人でナイトクラブに突っ込んでみたりもした。12時頃から皆本気モードで、ジモティー達がはっちゃける様子を見られる。入場料もかからず、ちょい割高なビール代だけ。
パミールを旅した写真をみせたら、ビールを1瓶おごってくれた Farzon.
Sogdiana Moto Festival
パミールの前と後で、大変世話になったグリーンハウスを去る。
元々は、この後タジキスタン西部にある有名な湖をみつつ、そのままウズベキスタンへ再入国する予定だったんだけど、バイクハウスドゥシャンベで作業しているとき、たまたまこの週末にホジャンドでバイクのフェスティバルがあるから来ないかと誘われた。
ホジャンドはもう訪問したし、基本来た道戻るの嫌だし、どうしようか・・・と悩んだけど、まぁ「タジキスタンのバイク・フェス」なんてそんな機会めったにあるもんじゃないから、行ってみることにした。
ホジャンドまでの道は既に通った道なので、完全省略。
バイクハウスドゥシャンベのメンバーと連絡をとりつつ、指定された場所に行くと、おぉ 確かにフェスっぽい感じになってる。
が、こりゃあんまりバイクは関係ないな って感じだった。
ホジャンドは肉で有名らしくて、屋台のバーベキューが確かにめちゃうまだった。
最初は人がまばらだったけど、ライブがはじまるころには大勢ステージの前に集まって、まさに夏の野外フェスって雰囲気になってきた。
IRBIS が、タジキスタンのバイクグループの名前だ。ユキヒョウのロゴがかっこいい。
バンドの選曲がけっこう最高で、AC/DC , Nirvana, Michael Jackson なんかのヴィンテージ・ロックを演ってくれた。その合間合間にタジキスタンのローカルミュージックらしいのが入るのもまたいい。
フェスの名前にもなってる”SOGDIANA” は、以前にも言及したイスラーム以前にこの地に居住していた「ソグド人の土地」を意味する。長い歳月の間、東西南北の大国や遊牧民の支配を代る代る受けて来て、民族的にも混在した中で、タジキスタン人のアイデンティティは未だソグドにあるのかな、とかふと思った。
バンドが終わった後はDJ, DJが終わった後は、弾き語り とショーはつづき深夜までつづいた。
フェスは1日だけだったけど、翌日は昼まで寝てしまい、夜はバイクハウスドゥシャンベのメンバーたちのバーベキューに参加させてもらって、楽しい2日間を過ごせた。
おまけ
ドゥシャンベでゼーニャと一緒に食べたタジキスタンのローカル料理 Qurtob; クルトブ。肉とチーズとトマトと玉ねぎが一緒に煮込まれた感じで、ガツンと腹にたまる。
グリーンハウスに帰還した翌日、河野さん一家もパミールから戻ってきた。太郎さんとやすこさんが、また夕飯をつくってくれるということで、ご馳走になった鶏丼! 中東にいるときはずっと「ライス+チキン」の料理ばっかり食べてたけど、同じ「ライス+チキン」なのに圧倒的においしいのは本当に不思議。この後ダシのきいた 鶏おじやも最高にうまくて、本当ご馳走様でした。
つづく