【Kyrgyz Republic episode 1】キルギスに入国 ~猛吹雪、中央アジアの洗礼を受ける

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

中国はほとんどトランジットみたいなものなので、カシュガルを去っていよいよ第2ステージ的な中央アジアに抜けていきます。今までと同様のイスラム国家ではありますが中東~西南アジアとは明らかに様相が変わっていくのが、バイクに乗りながらの流れる風景でも伝わってくるものです。

ここまでのルート

中国の出国へ

タシュクルガンで1日おした事によって出国日が金曜日になってしまった。キルギス側の国境は土日閉鎖となるので、念のため朝早くに出発する。

そんなわけで時間的な余裕がなく、貴重なウィグル最西部の写真は走りながらの写真ばっかりになってしまった。
インフラの整備は御覧の通り。100%綺麗な舗装路の周りには、独特の岩山が延々と連なる。

ほんの短いルート、ウィグル国内で見たガソスタは全て「中国石油」。入口にゲートがあって、IDカードの認証をしてから給油を行う。外国車両だったからか、Russelが手伝ってくれたにも関わらず、たかが給油するだけでもえらく時間がかかった。
RON95で実測、だいたい 7.8 元 = リッター約155円 くらいだったかな、たぶん。

おつりがないということで、ちょうどお釣りと同じ価格のお茶をくれた。甘くておいしい、日本のPET茶では味わったことの無い味だった。

入国時と同様、出国時も、実際のボーダーは峠の頂上にあるため、通関作業は国境よりも手前の烏恰; Ulughchat;ウルグチャットの街(?)にある通関オフィスで行うことになる。

またも全荷物取り外し→X線検査。

荷物を外したバイクをこのでかいゲートに通して出国通関をするんだけど、一度通ったと思ったら一旦戻れだの、もはや何に時間がかかってるか全く分からん。ひたすらRusselが奔走してくれて、2時間半くらいで通過できただろうか。

通関を終えて、いよいよ峠へと向かう。
中国とキルギス、西側の峠は Irkeshtam; イルケシュタム といい、標高は約2,900m. だんだん寒くなっていくし なんか雲行が怪しい。

Russel のトイレ休憩で撮れた、貴重な一枚。
ウィグル最西部×Tenere.

そんなこんなで到着したイルケシュタム峠の国境。出国審査を行う役人達の休憩時間が終わっていないようで、しばらく待たなければならなかった。すでにかなり寒いので、Russel の車の中で待つ。

さて、役人達の休憩が終わり、制服に身をつつんだ男たちがオフィスのビルに入っていくのが見えたので 出国審査に向かったわけだけど、ここからがまた長かった。

入国の時と同じ、またテネレから全ての荷物を外させられて、まずはPCとノートとスマホをチェックされる。

画像データは勿論、WhatsappやLineの会話履歴も翻訳アプリをつかって入念にチェックし出す。
ノートに記録した各国境情報や、youtubeで勉強したチェチェンのメモなど、あらゆる事をつっこんできてもう本当にうんざりだった。しまいには、疲れているだろうからチェックしている間寝てていいよと言い出す。
じゃあ誰が質問に答えるんだよ。

結局このク〇インタビューが終わるまでに3時間くらいかかっただろうか。

更にその後、残りの荷物を開けてチェックし出すと言い出したので、さすがにこっちも堪忍袋の緒が切れるまではいかずも緩んで、

「すでに日が落ち始めてる。これからキルギスへの山道を暗くなってからバイクで走る危険性をあなたたちは分かってるんですか?」

と声を荒げたら、残りの荷物検査は無しになった。

〇ソインタビューを終えて、検査免除になった荷物をまた全てテネレに戻し、峠の頂上にあるイミグレの小屋で出国スタンプをもらい、無事中国を出国した。
通関とイミグレ、その他諸々、出国にも正味7時間はかかったな。
郷に入ってはなんとやら~ なのは分かるけど、中国の外国車両通過に対するポリシーは正直言って○○。

キルギスへ入国

Russel から「キルギス側はかなり天気が崩れて来てるみたいだから気をつけてね」と言われ、やや不安になりつつ 5日間世話になった彼に別れを告げ、キルギスの入国ゲートへ向かう。

中国ーキルギス 国境緩衝地帯。

これでキルギス側の入国に時間がかかったら暗くなるな・・・と不安に思っていたのだけど、、、

「Oh~~ じゃパーン! 👍 Go!」

終了。

荷物検査もなんかめんどくさくなったらしく、

「日本人だからよくね?」って感じで上からちょんちょん触って終了。

10分以下で入国完了。

隣り合う出国と入国にかかる時間差でギネス申請したい。

キルギス最高!

てねわけで、キルギスに入国。

Border Information
Border Point : Irkeshtam Pass (China customs: Ulughchat)
DEPARTURE
No carnet
No covid
Face photo (only at the border)
All luggage inspection & X-ray (twice)
Interview about immigration history (only at the border)
They open a PC, mobile and notebook and a plenty of questions about them (only at the border)
Customs fee : none
Unknown complicated paperworks done by a guide
ENTRY
No Carnet
No Covit
Entry fee : none
Face photo
Only minor luggage inspection

Irkeshtam の猛吹雪

国境を越えてしばらくは、中国側と同様の荒涼とした岩山を縫う山道がつづく。
キルギス→中国への越境待ちのトラックが信じられないような長蛇の列をつくっていた。

かなり寒いけど、まぁこれくらいならと思って ”レベル中の下” くらいの着こみ具合でそのまま走りつづけてしまったのが悪かった。

だんだんと景色は冠雪の山々に変わっていき、ちらついてるなぁ 程度だった雪はだんだんと強まり、
これちょっとやばいな と覆った頃にはすでに吹雪のレベルに達していた。

気温は-5℃を下回り、強風で体感はさらに寒い。
着込もうにも、こんな状態でジャケットを脱いだら着替える一瞬でインナーが雪まみれになってしまうから完全に防寒を着こむタイミングを逸してしまった。

吹雪の勢いは更に強まって、シールドが雪で凍り視界が悪い。
路面も雪で覆われ始め、トラックが走った後のわずかな轍を必死に追っていく。
既にクラッチを切るのもままならないくらいに手がかじかみ、止まろうにも路面が滑って踏ん張れない。

見えない、止まれない、ゆっくり轍を走り続けるしかない 状況がずっとつづく。
稀に対抗車のトラックがくると、巻き上げられた雪が前面から襲い掛かってくる。
久々に命の危険を感じる道だった。

「辛くなってからが勝負だ」と意味のない言葉を呪文のように頭の中で唱えながら必死に耐え、ようやく吹雪が収まったところでバイクを停車できた。

5月も終わりだってのに・・・・ 収まった吹雪の中一面の雪景色を眺め 中央アジアの洗礼を受けたような気分になった。北はアライ山脈、南は外アライ山脈に挟まれたいわゆるアライ峡谷を東西に走る道路というのも、この気候と関係してるのかもしれない。

いずれにせよ、一番厳しい局面は 過ぎ去ってくれたようだ。もしもあのまま中国税関で荷物開封の儀が始まっていたら、この道を暗いなか通らなければならなかったわけだ。

道の向こうにわずかな晴れ間が見えて、この上ない安堵感が湧いてくる。

やがて雪は道から消えた。

黄昏の斜光が湿った地面を照らし、広大な平原からは春のにおいが漂ってくる。穏やかな光が彫りだす中央アジアの景色は、今日の戦いが終わったことを告げているようだった。

国境から最近の街 Sary Tash; サリー・タッシュ に着いた。今日はキャンプをしようかと思っていたけど、芯まで冷えて気持ち的には宿をとりたい気満々になっていた。まさかこんな吹雪に遭うとは思ってもいなかった。看板には、中国側にいる時点から キルギス国境に近づくにつれてキリル文字が現れる。

と、道でおろおろしていると、向こうの家の前で農作業をしていた男がこっちこっちと手招きしている。
ボディラングエージで寝る場所を探していると伝えると、家に来いよ と招いてくれた。

彼の名前は Sayee (スペル不明 発音が難くてよくわからんかった)。
バイク諸々見るからに凍えている管理人を見て、すぐにお湯と部屋を用意してくれた。

夕飯はSayee の奥さんがつくってくれたダンプリングも出してくれて、芯まで冷えた体が温まる。
本当に感謝するしかねぇ。辛い時こそ人の親切が身にも心にも滲みる。

おまけ

ウィグルで見かけた日本車には、こんな感じで後ろに中国名が貼られている。

長安鈴木 とか 广汽丰田

日産やホンダもこんな感じ。つまりこれらは日本からの輸入ではなくて、中国工場で生産されている。Russel曰く、レクサスとスバルは中国工場がないから全て日本からの輸入車両で、スズキもつい最近中国生産が終了になったらしい。

つづく

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