【Islamic Republic of Iran episode26】Isfahan; イスファーハーン巡りとAli 一家との出会い

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

偶然にも居合わせた Najafabad 在住の Aref の家に泊めてもらい、翌朝 再び市内中心へと向かいます。

Aref 家にて、朝

Aref の家にいられるのは1晩だけだ。Noo Luz がはじまったから、皆家族との予定がある。
今後の宿に関しては、iOverlander のアプリで見つけたパーキングスペースの管理者 Ali と連絡をとり、残りのイスファーハーン滞在中はそこに寝泊まりさせてもらうことになった。この時は、駐車場みたいなところにテントを張らせてもらう的な感じかと思っていたが・・・

朝、Aref家のキッチンを借りて目玉焼きを焼く。

シナモンの事をペルシャ語では Dahlchiin; ダールチーン という。紅茶から料理まで、サフランと共に幅広く利用される。

この薄っぺらい琥珀色の飴みたいなのは Puraki; プラキ と言って、イスファーハーンの名産。味はまじでほとんど日本のべっこう飴と一緒だった。見た目もべっこう飴そっくりだし、不思議なもんねぇ。

Aref に礼を言って、Najafabad を去り、市内へ向かう。

Isfahan 巡り part.1

Nafafabad から 再び Isfahan 中心へ。

イスファーハーンの美しい街。

バイクを停めると、すぐに人が集まってくる。

街の至る所に、綺麗な花壇があって 花もよく手入れされているように見える。

人手はかなり多い、さすが新年。

Isfahan Museum of Natural History.

パレスの入口で出会ったArman. チケットの購入を手伝ってくれて、その後一緒に案内してくれた。

Chehel Sotoun Palace

まずやってきたのは Chehel Sotoun Palace.
サファビー朝 7代王 アッバース2世に命によって建てられた離宮だ。

正面から見ると20本の柱があるけど、これがパヴィリオン前面の水面に反射して40本に見えることから、Chehel Sotoun つまり 40 colums という名前になったらしい。

柱は木製で、どことなく日本の寺社を彷彿とさせる雰囲気。

柱底部のライオン。

この柵なんかも、欄間みたに見えてくる。天井の装飾はアラベスクと幾何学模様で埋め尽くされている。

内部の様子。

3つのドームが縦に連なったような構造。

 

内部のフレスコ画。チャルディラーンの戦いなど、サファビー朝に関する一場面を描いたもののようだ。

Chehel Sotoun Palace の出口には、名産工芸のお店も多く出ていた。

Mina Khali; ミナカーリー

Khotam Khali; ホーッタムカーリー

特に木工細工のホーッタムカーリーの小さい木箱なんかは、柄違いで全部まとめて買いたい・・・でもがまん。

Naqsh-e Jahan Square

昨晩訪れた Naqsh-e Jahan Square に再びやってきた。
夜も綺麗だったけど、青空の下の広大なスクエアもいい。Noo Luz で人が沢山いるのもいい雰囲気だ。

スクエアは160m ×560m の長方形で、四方にサファビー朝期の重要な建造物が配置されている。
サファビー朝以前からここには庭園があったらしいけど、アッバース1世の治世に拡張されて、美しい庭園へと整備されたという。

スクエア内はけっこうなスピードで馬車が走り回っているので、注意しないと轢かれてしまいそうになる。

Ali Qapu Palace

広場のちょうど西側に位置するのが Ali Qapu Palace.

Ali Qapu Palace はアッバース1世自身の住居として16世紀末に建設された。一見2階+3階部分のテラスのように見えるけど、実際には6階建てで高さは38mもある。

Sheikh Lotfollah Mosque

広場の東側、ちょうど Ali Qapu Palace の正面にあたる場所には Sheikh Lotfollah Mosque がある。建設はやっぱりサファビー朝期の1619年完成。1920年代にパフラヴィ―朝の レザー・シャーによって修復・再築されている。
後述の Imam Mosque が大衆用のモスクだったのに対して、こちらのモスクは王宮専用のモスクとしてつくられたことから、アザーンを響かせるミナレットがないのに気づく。
王宮専用ということもあって、実は Imam Mosque よりも手の込んだ装飾がされている。

Imam Mosque

広場の南に位置するのが Imam Mosque , あるいは Shah Mosque.
完成は1629年、アッバース1世の死後わずかだった。

正面のファサードとムカルナス。

google map 上でこの広場の配置を俯瞰してみると、イスファーハーンと聖地メッカを結ぶ線からほぼ45°のズレがあることに気づく。

なので、ファサードを通て中に入る際、ほとんど無意識のように45°曲がって内部の広場につづくようにできている。

そうしてミフラーブはしっかりメッカの方角を向くわけだけど、このオフセットによって Naqsh-e Jahan 広場から Imam Mosque のファサードとドーム、両方が見えるようになっているのだ。正面のファサードが非常に高いので、もし同軸だと広場からドームは見えなくなってしまう。

併設されている Madrasa; マドラサ とはイスラームにおける宗教学校のようなもの。

Iwan; イワーンがつづく中庭。

ドーム天井の装飾。

アーチで柱が繋がっていて、

それぞれの柱の上部から天井にかけては美しい装飾がつづく。

内部のタイルワーク。

ってなわけで、サファビー朝の重要建造物を一挙に網羅しているような Naqsh-e Jahan 広場。今回は Imam Mosque だけ入ったけど、Ali Qapu 宮殿も Sheikh Lotfollah Mosque も内部に入ることができるから、時間とモチベがあれば全て内部まで見て回るのもいいと思う。

Ali 一家との出会い

さて、この日は iOverlander で見つけた宿泊地の管理者、Ali と会う約束があった。
送ってくれた location に着くと、想像していたのと違う、、、普通の家だった。

結局、駐車場にテントを張るどころか、Ali の家の一室(娘さんの部屋)を使っていいとのこと。バイクも敷地内のガレージに入れさせてもらって、完全に居候again である。

家主の Ali と、奥さんの Mina.

夜はAli の友人宅で夕食会があるってんで、一緒に参加させてもらった。みんなハイテンションで、楽しくって食事の写真撮るのも忘れてしまった。
どんな絶景を見るより、どんな史跡を訪ねるより、こうやってローカルピーポーの生活に介入した時こそ、その国の文化の中心に触れられた気がする。

オレンジのジャケットで左手を挙げてるのが Ali の娘さん Marika.

その Marika の部屋を使わせてもらう、、、なんか悪いな。
「ここは君の家だ」と言ってくれるのは嬉しいが、どうしても気つかっちゃうよね、、、

つづく

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