こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。
長い山道を経てたどり着いたクルディスタンの辺境の村 ウラマンタフト、渓谷の細ーーい道を進み、ホウラマンバレーの村々を巡り、そのままケルマンシャーへと向かいます。
ここまでの道
Hawraman Valley を巡る
天気は上々、斜面にへばりつく家々の屋根が朝日を反射して光る。
宿の主人がくれた周辺地図。うん、全く読めない が、いつもモバイルの地図ばっか見てるから、たまには紙地図みながら進むのも悪くない。
朝、バイクの支度をしていると声をかけてくれたクルドの男性。写真を撮るといったらわざわざ伝統衣装の Khobar;コバール を着て来てくれた。
ややダボついたズボンを帯で締め、ジャケットの肩は80年代バブルのいかり肩ジャケットを遥かに凌駕する突起がとても特徴的だった。
険しい渓谷につづら折りの農道と畑、そして背後は冠雪山。ここまで自然と人の生活が糾った景色があるだろうか。
もうこれは桜ってことにしとこう。ホウラマンバレーにも春が訪れてる。
魚眼で撮ったウラマンタフト一景。
写真を撮っていたらやってきたおっちゃん。小さなミュージアムがあるから見ていかないか?とのこと。
ウラマン地方の歴史に関する展示を見せてもらえた。
雪道を歩くための道具、まさに日本のかんじきと同じじゃん!
昔の家のモデル。
赤子用の揺り籠と、Crash;クラッシュ と言う名前の手織りの靴を編むための道具らしい。もしかしたら道中で編んでる人に会えるかもよ とのこと。
だいたい50~60年前くらいのウラマン地方の写真らしい。逞しい、クルドの男たち。
これはウラマン地方に古くからある信仰をベースにした何かしらの飾りらしい。主人に「あなたたちはシーアですよね?」と聞くと、「私たちはイスラームを受け入れました。でも、民族の深いところにはゾロアスターや、さらに古くのミトラ信仰があり、わたしたちはそれらのミックスです」と語ってくれた。
この辺りの考え方に関して、サウジアラビアのそれがイスラーム以外に対しやや排他的な傾向が強いのに比してとても柔軟性があるなぁと感じるのはイランにきてからずっと感じている。
Hawraman という言葉についても主人が教えてくれた。
Hawra とは太陽を、そして Man は場所を意味する。古代イランの言葉 アヴェスターに起源がある言葉だ。
「あなたの国と同じだよ」
という主人、、、、
あぁ、「日出ずる国」 か!よくそんな事知ってるなぁ主人!
Hawraman Valley は 太陽の場所 という意味だ。ゾロアスターにおいて4元素、とりわけ火と結びつく太陽は強い信仰の対象だったことから、この渓谷はきっと特別な場所だったんだろうね。
太陽の渓谷を走る
さて、そんな太陽の場所を何十回、何百回と折り返しながら伸びていく道を下っては上っていく。
途中、車で来ていた4人組がチャイをご馳走してくれた。
途中、湧き水が飲料水として噴き出してたのでもらう。
数知れない小さな村を通り過ぎる。
まさに秘境・絶景。これがイラン クルディスタンの春か。
Sirwan River の支流が谷を流れていく。
途中の村で手編みの籠をつくっている店が開いていた。
途中から断続的にダート区間が出始める。
牛は臆病なので向こうから向かってくることはまずないけど、万が一を考えるとけっこう怖い。
標高はかなり高いはずなのに、なぜか気温は25℃くらいまで上がってウルトラ気持ちいい。これぞ「太陽の場所」の名の所以なのか。
そして、確かに手で靴を”編んでる” おばちゃんに遭遇した。これがミュージアムの主人が言ってた Crash;クラッシュか!
ダートは基本フラットダートだが、たまに深い砂利が出現したり、側道が盛り上がってる間をトラックとすれ違う場面でヒヤッとした。
Sirwan River と Daryan Dam を通り過ぎ、
真っ暗でなんも見えんトンネルをいくつか超えると、
Hajijの村に着く。
荷積みの準備をされる馬・・・?馬だよね、でかいドンキ―じゃないよな。頭部の飾りが鮮やか。
やがて道と Sirwan River は交差して、川は西へ、道は南へ。ここは既にケルマンシャー州に入っている。
この山羊たちは角が立派だなぁ。
緑と黄の絨毯にさらに春を感じつつ、この素晴らしい道を走り終えるのだった。
8か月中東界隈をバイクで放浪して、今回の道は間違いなく1番といえる道だった。ホウラマンバレー、なかなか気軽におススメするような道路ではないけど、もしもイランをバイクで走る機会があるなら 間違いなく感動できる道だと思う。
そんな山道を終え、途中からケルマンシャーの15号線にはいり、州都 Kermanshah;ケルマンシャーへ向かう。
つづく