【Republic of Iraq episode7】バビロン! 古代バビロニアの首都にバイクで来られた嬉しみ

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

「バビロン」という言葉を聞いたことは、きっと誰もがあるんじゃないでしょうか。世の中には語感だけでなんとなくかっこいい言葉ってのがあるなぁと思ってますが、バビロンほどその例にたがわないものはないんじゃないだろうかと勝手に思っています。
首都バグダッドを去り、ここからは南下ルートを辿ります。

ここまでのルート

バビロンへ

バグダッドを去り、相変わらずウルトラ埃っぽい道を進んでいく。幹線道路は相変わらずの交通量で、少し細い道になったと思ってもやっぱり車は多い。この埃の中にはさぞかし色んな物が粉塵となって混ざってるんだろうな というのはなるべく考えないことにする。

時たま脇に現れる広大な農作地の緑と、ナツメヤシの田園風景がせめてもの癒し。

バビロンの街(現 Hilla; ヒッラ)に着くと、巨大な像が道に現れた。イラク博物館で見たのと同じNabu像だろうか、いずれにせよここがバビロニアの古代都市だったと主張せんばかりの存在感だ。

この像の近く、少し進んだところに古代遺跡の入口がある。

着いた時にたまたま撮影を行ってた現地の青年。レンズフードのカモがかっこいいね!

バビロン古代遺跡

遺跡の入口でパスポートのチェックと、入場料は25,000 IQD= 約2,000円 かかった。現地の物価を考えるとなかなか高い。

バビロン遺跡の象徴ともいえるイシュタル門。これは2004年に建てられたレプリカで、オリジナルは遺跡内、そしてイラク博物館とドイツのペルガモン博物館にある。オスマン帝国時代にドイツと同盟関係にあったため、オリジナルの遺物をあげてしまったらしい。

ネブカドネザル2世の宮殿とサッダーム宮殿

遺跡内へ入っていくと、まず目にはいってくるのは超広大な城壁だ。

壁面をよく見ると、古い煉瓦とその上の比較的綺麗なレンガで層が分かれているのが分かる。下の層は、新バビロニア時代、ネブカドネザル2世によって建てられた宮殿跡で、地下9m にまで埋まっているらしい。

その上層の今見えるほとんどの部分は1980年代までにサッダーム政権下で築かれたという。

内部は左右で600以上の区画に分かれていてリアル迷路。

冗談抜きで、来た道順を覚えていないと迷って抜け出せなくなりそうだった。

そこかしこに損壊がみられたけど、これらの一部はイラク戦争時に米軍が拠点としても利用した際にできたもの。
サッダーム政権下での修復煉瓦ならまだしも、2,600年前のオリジナルのイシュタル門や、当時のまま残る舗装面なども、米軍の戦車などでひどく破損されたという。

古代の偉大な王、ネブカドネザル2世に自身を投影する節があったというサッダーム、彼の指示による修復には 考古学的な観点からはかなりつっこみどころがあったようだけど、今となってはそれも歴史の一部に溶け込みつつあるのかもしれない。

広大な城壁を南側から北方面へ抜けると、まるでダンジョンを抜けた先のラスボス的な雰囲気で小高い丘の上に宮殿が現れる。
これもまた、遺跡を一望できる位置にサッダームが建てさせたサッダーム・フセイン宮殿だ。今となっては豪奢な廃墟となっている。

城壁に沿い東側へまわっていくと、

発掘途中のまま放置されているかのような煉瓦群が現れる。

イラク国内の情勢や予算の関係で、発掘の進捗は未だ全体の20%程度にしか満たないという。

オリジナルのイシュタル門

サイト内にオリジナルのイシュタル門があるはずなんだが、なかなか見つからない。たぶんこのメインテナンス中的なフェンスの中っぽい。

入口のおっちゃんに頼んだらすんなり中に入れてくれた。

イラク博物館にあったような青い釉煉瓦ではないので、やや地味ではあるけど、

近づいてよく見ると、博物館でみたのと同じ浮彫が見えてくる。

バビロンの都市神 Marduk; マルドゥクをあらわす霊獣 Mushkhoshu; ムシュフシュと、雷神Hadad;アダド をあらわオーロックス。

煉瓦の一部には、当時の楔形文字の刻印が見られる。

無造作に積み上げられた煉瓦のうち、左は当時のオリジナルのレンガで、右が修復用に用意された煉瓦。
バビロンの遺跡は実は深刻な塩害に直面している。チグリス川とユーフラテス川に挟まれたこの土地には豊富な地下水が存在するけど、以上な高温や干ばつの影響で塩分濃度の高まった地下水が遺跡を浸食してしまっているのだ。修復用の煉瓦は、この塩害から遺跡を守るために特別に作られたものなのだ。

2,600年前のオリジナル煉瓦に、イヌの足跡。

バビロンのライオン

宮殿の城壁を北側にあるいていくと、

そこにはポツンと、ほんとにポツンとバビロンのライオンが鎮座していた。
1776年、地元の村人によって偶然発見された と近くの看板には書いてあったけど、英Wikiでは1876年になってるな。

人の上に覆いかぶさるライオン。

覆いかぶさられてる人からしたら絶体絶命だけど、セルフィーせずにはいられない何とも愛らしい像だった。でも残念ながら顔が汚れて眉毛がつながってた。

バベルの塔

現在は修復作業中で内部には入れない Ninmakh Temple を横目に、

今度はサイトの南側に伸びるこの道を進んでいく。

もう暗くなる一歩手前だったから、久々にダッシュした。

猛ダッシュする管理人の足音にびっくりしたカラスが一斉に飛び立ち、なにやら不穏な雰囲気を感じる   ような気がする。

道の終着点までやってきた。

なにもなかった。

なかったけど、ここには Etemenanki というほんのわずかに残る “Tower of Babel” の遺構があるのだ。
旧約聖書に登場するバベルの塔は、実在したかどうかも含めて謎多き建造物だけど、この エ・テメン・アン・キがバベルの塔のモデルになったというのが有力説のひとつらしい。
当時バビロン捕囚でこの地に連行されていたユダヤ人が、ネブカドネザル2世によって再建されたその塔を見ていたからだ。

実際にはすすきと頭を切られたヤシの木が生い茂るだけの場所だったけど、「バベルの塔があったかもしれない」場所に立つことができた。

バビロンにてレストラン泊

バビロンの遺跡を見終わって、なにか食べようとHillaの界隈を走っていると、

見つけたいい感じのレストランと気さくなスタッフたち。

食べ終わって会計しようとしたら、代はいらない と言い張るレストランのチーフ。
親切メーターがすでにレブリミット振り切ってるのになぁ・・・とか思いつつも、ありがたくお言葉に甘える。

で、店の前のユーフラテス川支流脇でテントを張ってもいいかと聞くと、

だったらレストランに泊っていいよ と言われたので、更にお言葉に甘える。

しかも閉店後、テネレを店内に入れてくれた。まじ感謝。ウルトラ感謝。

レストラン2階と、管理人の寝床と化したその一画。

つづく

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