【Republic of Iraq episode5】シーア派の聖地 Karbala; カルバラ と Imam Hussein Shrine

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

サウジアラビアがスンニ派の盟主、イランがシーア派の盟主 であるならば、その中間にある大国イラクはちょうど中間・・・?といいたいところだけど、イラクは国民の過半数はシーア派で、そもそも「シーア派」が派生した由縁となる地があるためか、旅しているとシーア派の色を強く感じる。
今回はイスラム教聖地であるメッカ・メディーナ・エルサレム とは別の、シーア派独特の聖地であるカルバラを訪ねた。

カルバラの戦いとシーア派の由来

遺跡訪問が多いせいですっかり世界史色が濃い目になってしまっているんだけど、イラク南部のシーア派聖地を紹介するにあたっては決してはしょれない部分なのでかるーく触れておきたい。
イスラム教といえば、大別してスンニ派とシーア派があるのは広く知られているけど、この2大派閥の違いが一体何に由来しているのはご存知だろうか。

今から1,300年以上も前のこと、
絶対的な指導者ムハンマドの死後、イスラーム世界の指導者は4人のリーダーたちによって次々と受け継がれていた。日本でいうところの「正統カリフ時代」だ。

4人目のカリフ、アリーの死後、当時アリーと抗争関係にあったムアーウィアが半ば無理矢理建国を宣言したのが、イスラームの最初の帝国といわれるウマイヤ朝だ。
問題は、このウマイヤ朝のリーダーが「世襲」されたことにあった。それまでは言ってみれば「推薦」方式で選出されていたカリフを世襲し、ムアーウィアの息子 ヤズィードがカリフ位に就いたことことに反発し挙兵したのがこの物語の主人公である アリーの息子 フサイン

フサインとウマイヤ朝軍の間には歴然の勢力差があって、結局フサイン勢の兵士は全員殺され、首はウマイヤ朝の首都ダマスカスに持っていかれ晒されたという(➡ダマスカスの記事 で触れたフサインの娘ルキアはこの時にショックで死んでしまう。)
フサインの母、つまりアリーの妻はムハンマドの直接の娘ファーティマだったので、ウマイヤ朝によって殺されたフサインムハンマドの実の孫ということになる。
これによって、ムハンマドの実の孫を殺したウマイヤ朝やその後の世襲を認めず、アリーフサインの血を継ぐものだけをイマームとして認めるという分派が形成されて、これがシーア派のはじまりとなった。

このストーリーに関しては、Wikiなどで調べられるけど、最初にこれを教えてくれたのはサウジの友人Mohammedだ。
サウジはスンニ派の大国だけど、東側のAl Hofuf や Al Qatif はシーア派の街なのだ。

カルバラへ

と、まぁ非常にざっくりではあるけれど、上のような背景を知った上でカルバラに向かう。

バグダッド→カルバラは南西に約120km程度。当初はバグダッドを去った後に、南に向かう途中で立ち寄ろうかと思っていたけど、今回もZsolt Erika 夫妻に誘われて、まぁ先に行っといてもいっか、と思い向かうのであった。

いくつかのチェックポイントを経て、カルバラの街に着く。
フサインが殺された後、埋葬された場所に建つのがシーア派の聖地 Holy Shrine of Imam Hussain だ。

モスク周囲のエリアに入るために身体チェックのあるゲートを通る。
そこからモスクまでは沢山の店が並んでいてかなり活気があった。毎年シーア派の巡礼者で賑わうカルバラは、一大観光地の様相だ。

あ、ミッキー。

カルバラ、モスク周囲の雰囲気。

参道ともいえる賑やかな道を進んでいくと、広大な敷地を囲む壁がみえてくる。

Holy Shrine of Al Abbas

幾何学と植物の文様が、青を基調として繰り返されるアラベスクで一面が装飾された壁の一部が、荷物預けやゲートになっていた。
実は、この敷地内には Holy Shrine of Imam Hussain のほかに、そっくりな出で立ちの Holy Shrine of Al Abbas がある。2つのモスクは写真のような広大な回廊でつながっていた。

先に Holy Shrine of Al Abbas から中に入ってみる。
カメラは持ち込み禁止なので、ブーツを預けた後 パスポートと交換で受け取った鍵でロッカーを借りてヒップバッグとカメラを入れてから中へはいる。

エントランス部分のムカルナス。霊廟を兼ねるシーア派のモスクは、絢爛の一言に尽きる外観だ。
※内部の写真は残念ながら全てスマホ撮影。

入口でもう一度ボディチェックを受けて内部へ。ムスリムかどうかの確認などはない一方、ボディチェックはかなり厳し目だ。

内部の様子。絢爛というか、もう四方八方ピッカピカ。

一体いくつのシャンデリアがあっただろうか。

ちょうど中央に位置する区切られた一画にはいると、

そこには Zarih という黄金の巨大な箱がある。この中に、Abbas bin Ali の棺がおさめられていた。
ひっきりなしに訪れる巡礼者がとってかわってキスをしたり、手で格子を撫でていく。われわれからすると、およそ異様な光景ではある。

Zarih の天井部分。

モスク内は一部ガラスの天井になっていて、太陽光が直接入ってきて明るい。

 

モスク外部も訪れる人々でごった返している。
Erika はすっかり飽きてしまったようで、たばこを吸いに元に戻るみたい。Zsolt はやれやれ・・・という様子でそれに付いていったので、しばらく単独行動になった。

Holy Shrine of Al Abbas の全体像。西日が黄金のドームに降り注いで、なんともアラビアンな情景を醸し出していた。

Holy Shrine of Imam Hussain

回廊を歩いていくと、見えるのが Holy Shrine of Imam Hussain.
ほとんど外見上の差はわからない。

またブーツだけ別のところに預けて、内部へ。

内部の印象は、先のモスクと同じで 天井から壁一面の幾何学模様が美しい。

また、モスク内部中央の区切られた別室部分へ。ちょうど職人さんが柱に何か彫刻を施していた。

これが Hussain bin Ali の棺がおさまる Zarih だ。

こちらのモスクには、他にも2つ、Zarih を見つけることができた。ネットでは調べてもよくわからなかったので、シーア派の友達に聞いてみたところ、他のふたつは同戦いで Hussain と共に殺された息子たち Ali と Abdullah のものということがわかった。Abdullahに関してはまだ生後6か月の赤子だったという。

外へ出て、改めて外壁とその周辺を散歩してみる。
カメラを回収したけど、こういったチャドルやアバヤを着た女性が多いエリアでは「明らかなカメラ」での撮影は注意されることが多い。

 

ターコイズブルーとインディゴをベースに、ムカルナスと平面を這うように植物の文様が繰り返される。

けっこう日が傾いてきた。

モスク外周に軒を連ねる店を見回って、Zsolt Erika の待つ駐車所に戻った。

帰りはまた暗くなってしまった。

帰り、バグダッドに戻ってから間違ってバイク禁止の道路に入ってしまっては大変だった。

30~40分謎待ちさせられた後、結局歩道を走って元に戻れというまさかの展開になった。
遠くでレインボーに輝く Umm Al Tabbul Mosque.

つづく

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