こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。
前記事にてダマスカス旧市街のなんでもない風景を多数紹介しましたが、この旧市街にて最もアイコニックなモスクを単独で紹介しようと思います。
最古のモスク
最古、という言葉はなかなか難しい。「イスラムの礼拝所」として一番最初期に登場したのは サウジアラビア・メディーナ編で紹介したクーバモスクだといわれているけど、それはあくまでその場所にそういうものがあった というだけであって、今見ることが出来る建造物そのものは割と近代になってから建てられたもので、当時の構造物はほぼ残っていない。つまり最も初期につくられたモスクではあるけど、最古とはいえないのだ。➡【イスラーム 第2の聖地メディーナへ】
でも、ここダマスカスに鎮座するウマイヤド・モスクは8世紀につくられた構造物が今もその姿をとどめている という意味で”最古” であり、現存する最も古いモスクのひとつといえる。
入場料はかからないけど、いままで訪れてきたモスクと同様 服装と金曜は避けることに気を付けないといけない。
入口部分は大きなアーチ状の4面門とそこから2方向に伸びる回廊となっている。このあたりは20世紀になってからの再建エリアかなと勝手に思った。
南西側から列柱廊を見る。
このように敷地は明確な長方形の形態をしていて、東西に約160m 南北に約100m という広さになっている。
ウマイヤド・モスクには3本のミナレットがあるけど、見えているのは北側の「花嫁のミナレット」だ。
ウマイヤド・モスクの特徴として、回廊内に入らなければ 外観はただの城壁のように見えて、ファサードがないように見えるということがある。実際には敷地内に入って見える、この中庭に面した礼拝室の入口部分が、モスクのファサードといえる。
イスラームの各勢力転換による改修や、度重なる火災後の修復などがあったにも関わらず、このファサード正面に見えるモザイク画は築造初期のものが残存しているらしい。
前記事で触れた通り、元々この場所には アラム人はじめ西方セム系民族の Multi God のうちの雷神Hadad を崇拝する神殿があった。
その後4世紀頃にキリスト教の教会が建てられ(聖ヨハネ教会)、さらに634年イスラム勢力によるダマスカス征服後の700年代初頭に教会を取り壊してモスクがつくられたというけれど、その時に、いくつかの教会の構造は転用されているので、モスクらしからぬモザイク画が見られるんだという。
これは礼拝室内に入ってもいくらか発見できる。
例えばこの列柱群はどうだろうか。列柱群の上に更に、倍数の列柱が並ぶ2層構造がみえるけど、柱頭部分をよく見ると、明らかにアンカンサスのヘレニズム様式(コリント式)だ。
今旅でシリアに入ってから初めて停電を経験してる。
モスク内のシャンデリアも、その影響なのか全ては点燈していなかった。
教会時代のものが転用されてると思しきステンドグラスや未完成のモザイク画。
南側に位置する礼拝室の南側の壁には、メインのミフラーブのほかにも3つのミフラーブがある。
鷲のドームといわれるメインドームの内側は八角形の基部に支えられている。
史実か伝説か、おもしろいのがモスク内に鎮座するこの霊廟のような構造物。
ここにはヨルダンの記事でも紹介した「洗礼者ヨハネ」の首が収められているという聖堂なのだ。
悪女サロメとヨハネの首 の話は有名だけど、その時処刑されたヨハネの首は往々にして所在不明となり、その後数百年の時を経てこの地にあるという事が信じられるようになったという。
8世紀のモスク建設中、実際にヨハネの首らしきが発見されたというから驚きだけど、聖堂内にある、この棺のようなものの中に果たして本当に首が入っているのか、それが本当に洗礼者ヨハネのものなのか、知る由もない。
身廊が東西にのびるように感じてしまう列柱の配列。
中庭部分にある宝のドームと、
時のドーム。
先にみた北の壁の「花嫁のミナレット」のほかに、これが南側の壁 西側にある「カーイト・ベイのミナレット」と、
そして東側の壁に見えるこのミナレットが「預言者イーサーのミナレット」でウマイヤド・モスクの3本のミナレットを構成している。
預言者イーサー とは、つまりナザレのイエスのことだ。イスラムにおける最後の審判においては、このウマイヤド・モスク 預言者イーサーのミナレットに救世主が再臨するという伝承がある。
モスク前の広場にて。
サラディンの墓
ウマイヤド・モスクのすぐ脇に、このこじんまりした建物がある。
内部に入ると、高い天井と、
立派な棺が3つ並んでいた。
このうちのひとつが、イスラム世界で最大の英雄 アイユーブ朝の創始者サラディンのもの。
第3次十字軍との闘いの後、ダマスカスで病死したサラディンは そのままダマスカスの地に葬られたんだね。
つづく