【Kingdom of Saudi Arabia episode 14】聖地メディナへ ~徘徊とテネレの応急処置など

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

ジェッダを去り、メッカと共にイスラム2大聖地として双璧を成すメディナに向かいます。

ここまでのルート

リヤドを去ってから、約2週間 宿代も食事代も全部 Abu Naseer 氏の友人たちが用意してくれたため、実質ガソリン代以外出費ゼロでやってこれた。
ただ、その反面彼らとスケジュールを合わせたり、毎日色んな人達と会うのに少し疲れてしまったのも否めない。
メディナでも頼り先を紹介するぞ! と激推しされたが、ここはやや頑固にそれを断り、自分で宿をとることにした。

大雨の中 Madinah に到着

相変わらずのヒジャーズ山地の中、メディナへと向かう。

雨の予報だったので、いつになったら降りだすかビクビクしながら走るものの、割と良い天気がつづく。
でも、このまま降らなければいいなぁという思いはあっさりと裏切られ、夕方頃から大粒の雨が降りだす。

分厚いライディングジャケットの上からでも小石で撃たれているような大粒の雨で、ヒョウでも降ってるのかと疑うような強さだった。

実際、メディナよりも更に北部の方では写真のようなヒョウが降っていたらしい。
写真は Jeddah で知り合った Hasim 氏が注意のために送ってくれた。

速度を落としてゆっくりと進みつつ、メディナの市内に入る頃には雨が止みだしてくれた。
雨の後、去っていく雲間から光が差す様は どこにいても安心感を与えてくれる。

中心地に到着し、たまたま道中にあったモスクに虹がかかっていた。
地面が濡れているので鏡面となり、千載一遇のタイミングだったと思う。

Route

約420km.

モスク周遊

メディナ市内には数多くのモスクが存在するけど、2大聖地のひとつとあって、イスラム史上重大なモスクがいくつかある。
市内を散歩がてら、それらのモスクを巡ってみる。

Al Qiblatyn Mosque

まずやってきたのは キブラタイン・モスク。

青空に映える真っ白な外壁が美しい。

元来のモスクは西暦623年建造と、イスラムの最初期にあたる古いモスクで、最も特徴的なこととして ムハンマドがサラート(お祈り)の方向をエルサレムからメッカへと変更するように啓示を受けたモスクだと言われている。

最初期のイスラム教においては、先行するユダヤ教とキリスト教の共通の聖地であるエルサレムへ向かってサラートをする習わしだったのが、これをもってそれがメッカの方角へと変わったのだ。
Qibla; キブラ とは、サラートをする際の方角を指し、今では世界中のモスクのキブラがメッカのカーバ神殿を向いているわけだけど、このモスクは当初エルサレムとメッカ、2方向を指すキブラがあったため、「2つのキブラ」を意味する Qiblatyn という名になったという。

礼拝室の様子。
その後1987年の改修の際に、エルサレム側のミフラーブは取り除かれ、現在ではメッカ方向のみとなっている。

The Seven Mosque

次にやってきたセブン・モスク。
あるいはサバ・モスク(sab’ah; サバはアラビア語で7の意)。

その名の通り、7つのモスクの集合体で構成されるセブン・モスクだけど、元々は先述のキブラタイン モスクを含んでの7だったため、この場所には6つのモスクがあることになる。
メッカでの迫害を逃れ、ここメディナで受け入れられたムハンマドが、クライシュ族からの追襲と戦った Khandaq; ハンダクの戦いが行われた地で、その戦いにちなんで建設された6つのモスクが集まっているのである。

その内のひとつ、Al Fath Mosque.
ハンダクの戦いの最中、ムハンマドがこの場所で祈りを捧げていたこと、そして戦いは塹壕戦を敷いたムハンマド側の勝利に終わったことから、後のウマイヤ朝8代カリフ ウマル2世によってアラビア語で「勝利」や「征服」を意味する Fath という名がついたという。

これは Salman Al Farsi Mosque.
当時騎馬による一騎打ちが戦闘の常識だった中、ムハンマドに塹壕戦を提案したペルシャ人の土木技術者 サルマンの名にちなんでいる。

Umar bin Khattab Mosque.

Ali bin Abi Thalib Mosque.

このほかにもほぼ遺跡チックなモスク(というかモスク痕)が2か所あるようだけど、今回は確認できなかった。

ん?じゃあこの立派なモスクはなんなんだ と調べてみるも、よくわからず。
管理人の予想では、おそらくこのモスク自体は6つのモスクの集合地であるセラ山の麓に、後世その象徴的なものとして、また近代のモスクの機能を持たせるようにつくられたんだと思う。

礼拝室へ向かう回廊。

ミナレット。

礼拝室の様子。

Nabawi Mosque ~預言者のモスク

メディナ市内を走ると、かなり遠くからでも見える巨大なモスク。

これこそメディナの中でも最もランドマークとなるモスク、いわゆる「預言者のモスク」だ。

カーバに次ぐ聖地とあって、来訪者の数も半端ではない。

ムハンマドがメディナへと逃れたヒジュラの直後に作られた小さな家のようなものが起源で、その当時はわずか50m四方程度の面積だったという。

ムハンマドが死去した際、その遺体もここに葬られ、その後ウマイヤ朝、マルムーク朝期に大規模な再建がおこなわれ、オスマン帝国時代に概ね現在の形に落ち着いたらしい。緑色のドームの下が、ムハンマドの墓の位置だ。

拡張に拡張を重ね、今では10本のミナレット、収容人数はなんと100万人という規模にまで膨れ上がったまさしく巨大なモスクとなっている。

礼拝室内部の壁にはクルアーンの引用がびっしりと施されている。

内部はおしくらまんじゅうの大行列、みんなが必死になって写真を撮っていたここが、おそらくドームの下にあたる、つまりムハンマドの墓だったんだと思う。

何の行列なんだろうか? ちょっと分からなかった。

周囲のコリドーは比較的穏やか。

預言者のモスクの東側のすぐ脇には、Jannat ul Baqi; ジャンナトゥル・バキー墓地 というイスラム最古の墓がある。
ムハンマドの近縁者などが多く葬られているという。

Quba Mosque

冒頭、メディナに到着した際にたまたま道中にあり、虹がかかっていたモスク。

実はこのモスクは、ヒジュラの際につくられた第1号のモスクなのだ。
つまり(現在の姿は多くの改修の後のものだけど)、世界最古のモスクといえる。

カーバや預言者のモスクに次いで、イスラム世界において最も神聖な場所のひとつとして考えられている。

フロントフェンダーの応急処置

さて、サウジの「世界の果て」に行って以来フロントフェンダー不在のまま走り続けている ➡【リヤド郊外に潜む”世界の果てに行ってきた”】

ところが、メディナに向かう雨の中走って、やっぱりフロントフェンダー無いとダメだわ・・・
と痛感したので、メディナで何か応急処置しようと考えていた。

Google map で検索した中で、感覚的によさそうな店を電撃訪問。

店内の様子。もはやガンダム級のゴールドウィングが並ぶ。
明らかに庭違いな感じではあったけど、応急処置できないか?と無茶な事を言ってみると、

店内の奥で廃棄予定だったゴールドウィングのフェンダーの破片?らしきものへの即興加工がはじまる。

はじまる。

はじまる。

完成。
干渉しないように切断してタイラップで留めただけだから、いつまでもつかはわからんけど、ないよりはいいし、けっこう気に入ってる。

そして奇遇にも、東部のジュバイルで出会ったUnited Bikers のメディナ支部だったようだ。
United Bikers のステッカーを貼ってたからか、工賃はタダでいいとのこと。おまけにメディナ支部の方のステッカーをもらった。

おまけ

サウジアラビアの大型ホームセンター SACO.
日本でいうところのビバホームとかコーナンみたいな感じだろうか。

工具から家電類、キャンプ用品に日用品まで おおかた何でもそろっている。

おまけ2

メディナ市内の八百屋で買ったトマトが、今まで一番きれいだった。地方都市の小さなグロッサリーだと、腐ったトマトとか普通においてある。

とあるスーパーの米コーナー。

つづく

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