【Kingdom of Bhrain episode 2】とりあえずテネレでバーレーンを徘徊しよう

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

少し気がかりだった Caseway を問題なく渡ることができ、バーレーンへ入国しました。
首都マナーマで宿をとり、またテネレで界隈を巡ります。

古代文明ディルムンの跡

バーレーンはカタール北部のペルシャ湾に浮かぶ30程度の島々から成る島国で大きさはちょうど東京23区程度。
他のGulf諸国同様、産油国であるけど 早期から枯渇問題に直面し、カタールのドーハやUAEのドバイと同様金融都市として発展した都市のひとつでもある。
今では日本からの中東駐在というとドバイが真っ先に思い浮かぶけど、おそらく20~30年くらい前はバーレーンにその座があったというのが一般的な感覚かもしれない。

そんなバーレーン、石油時代以前は他のGulf諸国で見たきたのと同じく、真珠採取や漁業が主な産業だったのだけど、更に更に遡ること4000年、以前オマーンの記事でも触れた「ウンム・アン=ナール文明」とメソポタミアとの間の中継点として「ディルムン」という貿易国として栄えた文明があった。
オマーンで見た銅鉱山から採れる銅は、この時代から重要な貿易品だったわけだけど、こういった銅なんかも ディルムン すなわちバーレーンを中継して現在のイラク南部へ運ばれていったということだろうか。

そのディルムン文明の大きな特徴として「古墳」がある。日本人にとっても古墳は非常に馴染み深いものだけど、実はバーレーンの古代文明では日本のそれをはるかに上回る密度で古墳が築かれたらしい。その数7万基を超えるとも。
なので、バーレーン中に古墳跡はあるようだけど、マナーマ市内を少し外れた場所にある1か所を訪れてみた。

この情報量がやたらと多い上にシチメンチョウが放し飼いにされている謎の建物の横に、

あった、これがディルムンの古墳。No.8と名付けられている。

正直見た目のインパクトはないんだけど、上のような歴史を踏まえつつ見るとまぁそれなりに へぇ~ って感じにはなる。
オマーンのBAT地方で見た墳墓や、UAE アルアインのHili考古公園でみた円形墓の基礎部分などが思い起こされる。
バーレーンの古墳群はディルムン古代文明を知る痕跡として世界遺産に登録されている。

意識されてかそうでないのか、その古墳の隣にはリアルタイムなお墓もあった。

界隈のモスク with Tenere.
グリーンのドームが青空に映えるね。

No.8の古墳がある街は Aali という場所で、

このモスクが Aali Grand Mosque.

ミナレットの形がとても特徴的だと感じた。

Bahrain 要塞

バーレーンの本島、ちょうどてっぺんの辺りにバーレーン要塞がある。

バーレーン要塞も世界遺産だ。
ゲートを通りこの道を歩いていく。

中へ入っていく。

入場料:無料
Covid : なし

ただし動画のソーシャルへの投稿は禁止と言われた。

オマーン半島で見られた多くのフォートは、部族間闘争や海上要塞としてポルトガル占領期やその後のイギリス保護国に至る過程で築かれたものが多かった。

何百年にも渡って増改築を繰り返してきたというバハラ城塞でさえも初期は12世紀頃といわれているが、このバーレーン城塞はなんとその歴史を先のディルムン、すなわち紀元前2000年よりも更に古くに遡るというから驚きだ。

貿易中継点の島国だけあって、ディルムンの文明後はこの地域に割拠するペルシャ、イスラムの帝国 そして16世紀にはポルトガルによる占領を受ける過程で、それら全ての影響を受けてきたという。

一方には摩天楼が、一方にはパーム・フォレストが見える。

4000年以上に渡って様々な帝国の、文明の手によって増築を繰り返されたことによって、このバーレーン要塞はその一か所に複数の文明の名残が凝縮されているのだという。

最上層は、その形からなんとなく察しがつく通り、ポルトガルによる増築部分にあたる。

一体どれだけの夕日を浴びてきたんでしょうか。

そしてそんな悠久の遺跡に悠々と鎮座するにゃんこ。

こいつは全然逃げない。定期的に訪れるネコシックを野良でチャージする。

内部はとても広く、場所によっては真っ暗で、懐中電灯をつけながら見て回ったりするとさながら探検家になったような気分が味わえる。

要塞の北側は、すぐ海。

周りを取り囲む遊歩道は、夕暮れ前の良いジョギングコースになっていた。

Arad 要塞

首都マナーマから東へ向かい、Muharraq島のArad地区へ行く。

アラード要塞はそこにこじんまりと佇んでいた。

入場料;1.1 BD=約430円
covid なし

バーレーンがポルトガルの侵攻を受けたのが1622年で、この要塞が築かれたのはそれよりも少し前の15世紀末。

先のバーレーン要塞に比べるととてもコンパクトで、10分程度で見て回れてしまう規模だった。

80年代に行われた大規模な修復では、ヤシの木の一部や石灰、炭酸カルシウムなどが原料として使われて いて、伝統的な様式や景観を損なわないように配慮されている。

ムハッラク島とバーレーン本島の狭い海峡部分を臨む位置にあるこの要塞からは、近郊の海路を行き交う船をよく監視することができたんでしょう。

アラード地区の路地。
名所もいいけど、何の変哲もないただの街中を見て回るも楽しい。

アラードのHeritage Village.
店番は全員少年がやっていた。

どことなく教会のような風情のモスク。夕暮れの街に響くアザーンと共に、人々が集まってくる。

Al Fateh Grand Mosque

マナーマの中心部にある、バーレーンのグランドモスク ” Al Fateh Grand Mosque” にやってきた。

敷地面積は 6,500m² とUAEやオマーンのグランドモスクに比して小規模に思えるけど、世界的には大型のモスクのひとつで、収容人数も7,000人とマスカットのグランドモスクとあまり変わらない。

夜はライトアップされて美しいけど、写真を撮るのは難しい。

このグランドモスクは、初代のバーレーン首長 Sheikh Isa bin Salman al Khalifa の命にて1988年に完成したモスクで、ちょうど管理人と同年齢だ。

メインのドームは60tを越えるグラスファイバー製のドームらしい。
フロアの大理石はイタリアから、礼拝室のシャンデリアはオーストリアから、そしてチーク材はインドから取り寄せられているといい たがわず贅が尽くされてる。

訪れたのが木曜の夜で、昼に内部の見学もしようかと思ったけれど、翌日は金曜なので不可で、内部の見学にはガイドの同伴が必要とのことだったため見送った。

おまけ

マナーマ市内にあるペルシャ絨毯のお店、

なぜかどこも店の扉がステッカーで埋め尽くされている。

つづく

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