こんにちは、世界放浪2輪旅中の管理人です。
筆舌に尽くせぬとはまさにこの事!というくらい世話になった Ruben たちに別れを告げて、ムルシアを出発。
残り5日を切ったシェンゲンの残りを最大限楽しむべく、アンダルシアの乾燥した山岳道路へと進んでいきます。
※この記事は2024年12月ごろの出来事を書いています。
ムルシアを出発して、一度真西 内陸方向へと走っていく。
このあたりは Sierra de las Estancias; エスタンシアス山脈の乾燥した山岳地帯 がつづく。
ばかでかいソーラーパネルが敷き詰められてるけど、これも中国製なのかな。
12月のおわりなのに、スペイン南部はまだまだ走れる気候。
イタリア北部に到達した時点で、早めに海岸線に逃げて イベリア半島南岸を通ってきたのは正解だった。
非西欧居住者の超長期オーバーランダーにとって、冬のヨーロッパは難しい。
北部に行けばどこも天気は悪くて超寒いし、場所によっては雪が深い。更にシェンゲン縛りによって90日を計算しながら行く場所を選ばないとならない。
山岳部ではオリーブ、ブドウ、アーモンドなんかの畑がちらほら目にはいる。
ちょっとした廃墟たちと、
アンダルシアの灼光でやけた壁たち。
そういや昔、「茄子 アンダルシアの夏」っていう自転車レースのアニメーション映画を観たなぁ。
あの頃から、頭の片隅のさらに奥底に、”Andalucia”という言葉への漠然とした憧れが埃をかぶっていたのかもしれない。
紆余曲折があって、今はあろうことか 自分のバイクでそのアンダルシアを駆け巡っている。
アンダルシアが持つ空気感は あの時映画で観て 想像していたそれに近かったと思う。冬だけど。
夏は中東並みに暑くなるらしいから あんまり来たくないかな。
険しい岩山の麓に佇む”白い村” Castril; カストリルが左手に見える。
Embalse del Portillo; エル・ポルティーロ・ダム.
景観を損ねないようにコンクリートじゃなくて地元の岩石をつかってつくられたらしい。こういうメンタリティはヨーロッパの素晴らしいところよね。
Parque Natural de las Sierras de Cazorla, Segura y Las Villas; カソルラ山脈、セグラ・イ・ラス・ヴィラズ自然公園 の南端に位置する乾燥地帯を そのまま少しずつ西へと進んでいく。
気温は高めでありがたいけど、日が傾くのは早い。そろそろ西日かという頃に Tíscar; ティスカル という場所に到着した。
ティスカルは、元々ベルベル語で「山の通り道」というような意味だったらしく、地形的な険しさから レコンキスタ前 ナスル朝グラナダ王国の国境防衛前線だった場所だ。
向こうに見えるのが Castillo de Tíscar; ティスカル城.
まるで剣先のように険しい周りの岩山に守られた難攻不落の城で、南部のグラナダを防衛する要だったわけだけど、1319年 カスティリャ王国によって攻略されて グラナダ陥落への小さなピースのひとつになった。
そんなティスカル城の少し北側にある山道をのぼっていった小さな峠の頂上、
標高は1169mで、そんな古道の脇には Fuente de las Carboneras; ラス・カルボネラスの泉 がある。
興味深いのは レコンキスタで軍事ルートとして活躍したティスカル峠含むこの古道は 元々この地域でつくられていた木炭の輸送ルートだったのだ。炭焼の材料に適したヒイラギガシが豊富だったこと、そしてグラナダとカスティリャの国境地帯で人が少なかったことから、木炭職人が住み込みで炭焼きをしていたらしい。そんな炭職人たちと、輸送用のロバたちの喉を潤していたのがこの湧き水なのだ。
そこからさらにダートをのぼっていくと、
丘の上に Atalaya del Infante Don Enrique; エンリケ王子の監視塔 が建っている。
13世紀終わりから14世紀初頭 当時のカスティリャ王 Fernando Ⅲの息子 Henry of Castile; カスティリャのエンリケ によって、国境線の監視塔として建てられた。
塔に設置された階段をのぼって、塔の内部にはいってみる。
外壁には、カスティリャのエンリケ の紋章が彫られている。
城は彼がカスティリャ王家の出身であることを、十字は彼が尊敬していたカラトラバ騎士団の十字がデザインされてる。
狭い螺旋階段をのぼって塔の頂上にでると、かつてグラナダとカスティリャの国境だったティスカルが360°見渡せる。800年も時を遡れば 炭を積んだロバが行き来して、ベルベルの戦士とカスティリャの騎士が対峙していたんだな。
塔を下りて、山道の脇で開けた場所にテントを設営。
クリスマス直前、こんなところに来る人はまずいないだろう。
夜、満点の星空となって就寝。
つづく