【Republic of Italy episode7】サボテン頂くワイン醸造蔵 Palmenti; パルメンティと 古の廃村 Roscigno Vecchia; ロシーニョ・ベッキア

こんにちは、世界放浪2輪旅中の管理人です。

広大な南イタリアの耕作地帯でみつけた廃屋の傍らで野営をした翌朝、更に西へと走って カンパーニャ地方へと駒を進めていきます。

Taccone 廃屋脇の朝

朝、Taccone; タッコーネ近くの廃屋群が集まる農道にて目を覚ます。
傍らの廃屋から亡霊が出て来ることもなく、無事朝を迎えられた。

地面全体を覆ていた霧はだんだんと晴れて

しばらくするとまた突き抜けた青空に。
11月の南イタリアってのはこんなもんなのか、ラッキーだったのか ずっと天気には恵まれてる。

コーヒー飲んで、

廃屋の壁にいた綺麗なトカゲ捕まえて、

撤収、出発。今日もだらだら走ろう。

農道から舗装路へと復帰して、一回戻ったマテーラ県から、またポテンツァ県へと西側に向かう。

果てしなく真っ直ぐな農地と農地の間を走りながら、遠くでドコドコと走るトラクターに目をやる。
ああ、穏やかな南伊の小麦畑。

今日も今日とて、遠くに見える丘陵上の街はどれも美しい。

Parco Urbano dei Palmenti

だいたい20kmちょい走っただろうか、ポテンツァ県の中北部 まるでホビットの家みたいな小屋が連立する場所にやってきた。

ここは、Parco Urbano dei Palmenti; パルメンティ都市公園 とよばれる一画で、芝張りの屋根をのっけた石造りの蔵が密集している。

何も知らずに見ると、まじでここにはホビットが住んでいたんじゃないかというファンタジー・ロマンが掻き立てられる場所だけど、実はこれは住居ではなくて ワインづくりのためにつくられた醸造作業場なのだ。

つくられたのも19世紀初頭と、見た目の雰囲気よりは新しい。

パルメントの内部、いくつかの水槽みたいな構造がある。
収穫されたブドウはまずロバによってここに運び込まれて、上層の水槽で踏み潰されて圧搾された果汁が下槽に溜って発酵された。
ブドウを踏みつぶすのは当時女性や子供の仕事だったらしい。

砂岩をくり抜いて作られたパルメント内部は 一年を通して一定の低温で、ワインの発酵に最適の環境だったという。
内部には、換気用の孔も開いていて 当時の人々の生活の知恵がつくりだした賜物といえる。

1960年ごろまでは現役で使われていたみたいだけど、醸造技術の機械化にともなって使われなくなり 今では文化財として国に保護されている。

扉を見てまわってたら ひとつの扉の奥に人影が、、、 びっくりした!怖いわ。

醸造用の半地下洞窟建物群ってのは、世界的にもあまり類がないみたいで、これだけ密集してるのは ヨーロッパでもここだけらしい。
いやー それにしても、やっぱり見た目ほほんとにリアルホビットの家だよなぁ。

パルメンティの南側から北側にまわってみる。

芝葺屋根の上から偵察にやってきたイタリアン三毛にゃん。

丘の上に位置する北側は、更に廃墟感がつよくて、あまり管理がされていなさそうなパルメントもちらほら。

そんな中、明らかに人が住んで綺麗に手入れの行き届いた家もあった。
住居用じゃない はずだけど、元来のワイン農家さんが未だに住んでるのか あるいは醸造蔵を家に改築して住んでるのか、、、
それにしても、世界にはこんなファンタジー養分100%みたいな家にリアルで暮らしてる人がまだまだいるもんだ。

屋根に自生してるウチワサボテンたち。
サボテンに覆われた屋根ってのも、なかなか他に類がなさそうな。

Potenza 県から Salerno 県へ

Pietragalla; ピエトラガッラの醸造蔵群を去って、そのまま更に西へと進んでいく。
途中、通り過ぎる小さな街がいちいち素敵なんだよな、全然前に進めないぞ。

フードバン、ならぬ八百屋バン。

途中通りがかったパスタ工場。すごかった、パスタのにおいが。
たしかそうだったと思う、あんまよく覚えてないけど。

オリーブ畑とブドウ畑が連綿とつづくのをヘルメットの中から眺める。
まさにカンパーニャワインの元ってことよね。

  

もう勘弁してくれ・・・と言いたくなるくらい個人的にはドストライクな雰囲気の外壁がつづいて、

ほとんど致死量に近い「エモ成分」を浴び続けながらなんとか前に進んでいく。

典型的なヨーロッパの華美さとは違うけど、素朴で味わい深い風合いに満ちた外観がいい。
もはやこれは侘び寂びと言ってよいのでは?? だめか。

湧き水発見、

補給できるときにしておく、タダ水。

ポテンツァ県からサレルノ県へと跨いでいく時、南アペニン山脈の一部を越えることになる。

標高は1,000m前後の小さい峠を越えて 西側へと下りていく。

そんなわけで辿り着いたのは、Roscigno; ロシーニョという小さな村。

なかなかに寂れた街だけど、鮮やかブルーなフィアット500が停めて会ってテンション爆あがり。

なんでまたこんなところに来たかと言うと、街のはずれにロシーニョのゴースト・タウンがあるのだ。

Ruderi di Roscigno Vecchia

新市街から少しだけ西側に走ると、まるで異世界への入口のような 廃墟に挟まれた細い道に通じている。

もう、何かしらの結界が張られててもおかしくないだろってな雰囲気の小路を抜けると、

そこには 何十年も時間が止まったまま 世界に忘れられた廃村が 西日に照らされていた。

Ruderi di Roscigno Vecchia; ロシーニョ・ベッキアの遺跡、
村の起源は1515年、ある修道士が隠遁所としてやってきたのがきっかけらしい。
1900年代初頭に始まった地滑りに起因する住民の強制移住によって、19世紀の農村生活がそのまま閉じ込められた貴重な廃村なのだ。

18世紀の Chiesa di San Nicola di Bari; 聖ニコラ・ディ・バリ教会や 古い家家、

広場の中央にある噴水。

ドラゴンボールのカリン様みたいなデブ猫が、なんだぁおめぇはぁ? というような表情でこっちを見てる。

移住勧告があったにも関わらず、多くの住民はここを離れるのを嫌がって なんだかんだ1960-70年代くらいまでかけてゆっくり移住が進んだんだらしい。移住先は、さっき通ってきたロシーニョの新市街だ。

2000年 公式には最期のひとりだった住民が去り、無人の廃村となるけど 実際は後にこの村の”守護者” と呼ばれる事になる Giuseppe Spagnuolo; ジュゼッペ・スパニョーロ氏がずっと住んでいた。ジュゼッペ氏は、残念ながらこの年(2024年) の1月に亡くなっている。
あと少し早く来ていれば、パイプを咥えて世界中からの観光者を出迎えていた陽気なノンノに会えたかもしれない、、、こうして 世界は待ったなしでどんどん変わって行ってしまう。

というわけで、ロシーニョ・ベッキアの雑な写真集をご堪能あれ。

すっかり日が落ちて来てしまって、建物の影になる部分は暗い写真になってしまった。

それにしても、日が短い中なんとか西日の差してる間に到着してよかった。
こういう場所は、やっぱり逢魔が時が一番魅力的だからね。

暗くなってから、一番目立たなそうな場所でテントを張った。
実はロシーニョ・ベッキアは世界遺産に登録されている Parco Nazionale del Cilento, Vallo di Diano e Alburni という国立公園の一部になっているから、基本的には野営不可なわけだけど、新市街にいた地元のおじいちゃんに身振り手振りでテント張っていいか と聞くと、「だーれも気にしねぇよ~」という感じだった、あくまで希望的観測だけど そんな感じだったから 野営させてもらうことにした。

つづく

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