【Republic of Italy episode4】Craco; クラーコのゴーストタウンと Calanchi;カランキ の粘土岩侵食谷を巡る

こんにちは、世界放浪2輪旅中の管理人です。

サッシ洞窟住居群がひしめく街の東の丘の上、人気が無い場所で一夜を明かし、マテーラ県の田舎道を西に進みながら個人的ランドマークを巡って行きます。

Matera 東の丘の上

朝、マテーラの新市街が一望される丘の上で起床。

テントの周りをうろうろしてた Bloody-nosed Beetle 日本には属名すら和名がないヨーロッパ原産のハムシ科の昆虫。なんとなくコガネムシとかオサムシに似てるけど、翅の無い飛べない昆虫だ。

寝袋を干して、

コーヒー飲んで撤収。

まずはマテーラから南西方向に向かって走り出す。

ローマの水道橋?と思ったけど、ただの廃墟橋か。

イタリア南部、地図だと ちょうどかかととつま先の間の部分にあたる。

道脇にはサボテンが自生してて最初はビックリしたんだけど、南イタリアにはこういう平べったい形をしたウチワサボテンの一種がよくそこらへんに生えている。地元じゃジャムとかリキュールとかに利用されるらしくて、何ならそのまま皮を剥いて食べられるらしい。

そんな感じで進んでいくと、やがて丘陵道の先に またもインパクト抜群な茶色い要塞のようなものが見えて来る。

これが南イタリアでも最も有名なゴーストタウンのひとつ、Craco; クラ―コ だ。

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茶色い石積みの建物が、完全な廃墟となって急峻な丘の上に建っている。
近づいてみると、映画の世界に入ってしまったようなド迫力、廃墟好きには堪らない光景だと思う。

残念ながら現在では安全面から内部の見学は簡単なツアー参加でのみ可能になってるみたい。
たぶん数年前までは自由に出入りができたはずなんだけど、、、中入りたかったなぁ・・・
時間があれば見学ツアーに参加してもよかったけど、あんまりここで長時間つかうわけにもいかんし、外から眺めるだけにとどめた。

元々南イタリアがノルマン人に占領された11世紀頃から徐々に要塞都市として発展していったクラ―コには 20世紀半ばまで普通に住民が暮らしていたけど、

粘土質の地盤と長年の雨が影響して 1963年大規模な地滑りが発生。住民避難が開始して、その後も追い討ちをかけるように1972年の洪水、1980のイルピニア地震で完全に廃墟となった。

今ではこの独特の景観を保全するために、世界記念物基金の監視リストに登録されて 色んな映画のロケ地にもなってる。

クラ―コで出会ったジモティのライダーが、

昼メシにどうだ!ってくれたこれ、
最初、「ピザうまいね」って言ったら、
「ピザなわけねぇーだろ、おいおい頼むぜ、フォカッチャだよ、フォカッチャ!!」
ってな具合にちょっと怒られた笑
さすがイタリア人、この辺は厳しいから気を付けないとな。

そんな感じで惜しみつつもクラ―コを後にするのであった。

Calanchi di Aliano

この辺一帯は、粘土質の岩盤が浸食された 植生の極端に少ない Calanchi; カランキと呼ばれる無数の渓谷がつづいている。
和名の適当な地理用語がないもんかと調べてみるも、Badlands; 悪地 というのが該当するみたい。
あるいは粘土岩の侵食谷といってもいいかもしれない。

さっきフォカッチャをくれたイタリア人ライダーが、そんなカランキの特に美しい景観を眺望できる道があるってことで教えてくれたから 早速そこに向かってみる。

Aliano; アリアーノ とよばれる小さな自治体の東側に広がるカランキにやってきた。

細いシングルトラックの両脇には、雨水によって浸食された粘土岩盤によって できた独特の丘陵が広がる。
こりゃあ来てよかった、即日予定不調和が最高にうまくいったケースだな。

Grumentum の古代遺跡

カランキの丘陵地帯から更に西側へと走ったところに、かなりマイナーな遺跡があるので来てみた。

遺跡のすぐ近くにあるミュージアムでチケットを購入。
発掘品の多くはここに収蔵されてるようだけど、今回は遺跡だけ見ることにした。今思えば、博物館にも行けばよかった・・・
いや、当時は一時的に閉館してたんだっけかな、もうよく覚えてない・・・

そしてミュージアムの少しだけ北側に Grumentum; グルメントゥムという古代ローマの都市遺跡がある。
たぶん日本からバイクで来たやつなんて始めてだったみたいで、管理人が なんでこんなところに?と聞いてきたけど、
たまたま地図で見つけたから くらいしか理由が無かった。

既に閉館ギリギリの時間だったみたいで、なるべく30分くらいで戻ってきてね、と言われ北側へとつづく遺跡内部へ。

グルメントゥムの歴史は紀元前3世紀にまで遡るということで、一番若い頃の共和ローマの時代に築かれた戦略都市ということらしい。
遺構内に残るのは、最も古いもので アウグストゥス帝の治世のものらしい。神殿跡の柱の一部や、

円形劇場、

浴場跡や教会の基礎部分なんかを見る事ができたけど、まぁ正直かなり地味ではあった。
時間もなかったから、あまりじっくり見ることもできず 足早にまわっていったけど、なかなか普通の観光で来ることは無いマイナー遺跡に来ることができてよかった。
少し離れた場所には円形闘技場とかもあるんだけど、もう既に暗くなってきたから 野営地を探すことにした。
冬のヨーロッパは日がどんどん短くなってくから 活動できる時間もみるみる短くなって行ってなかなか難しい。

Map上で キャンパーバン用の駐車スペースを発見、
グロッサリーで買い出しをした後 テントを設営。せっかく野営するにしては味気ない場所だけど、まぁ宿泊費がバカみたいに高いユーロ圏でタダ泊はでかいのでよし。

つづく

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