こんにちは、世界放浪2輪旅中の管理人です。
メツォヴォの村を去り、ピンドス山脈の深淵に突っ込んでいこうと思います。
今回は絶景ぞろいです。気になる写真があったら是非拡大して見てみてください。
ここまでのルート
Tzoumerka National Park
向こうの山の斜面に 赤屋根が敷き詰められたように村が見える。
小さな村と村の間を縫う様なダートをのぼって
少しずつ標高が上がっていく。秋のバルカンも 日本に負けないくらい紅葉が美しい。
森林限界より下は 森の間を縫うように進んでいく。
やがてツォウメルカの山に南下していくメインの道へでた。
これは想像していた以上に最高な道じゃねーか。
牛飼いのおっさんに挨拶しつつ、ゆっくりと進んでいく。
ツォウメルカは、ものの情報によると地元でもあまり知られていない国立公園のようで 確かに人の気配はほとんどない。
テッサロニキの記事で、枢軸国占領時代のギリシアについて少し言及したけど 当時のレジスタンスのひとつであるEDES; 国民共和党ギリシア同盟の主要な拠点がこの山中にあったらしい。それほど、ゲリラ戦に適した地形なのかもしれない。
ウッ氏の逆鱗に触れないよう、そっと脇を通り抜けて、
こんな山奥にも小さな集落があって、
同い年の湧き水を発見。
山林に囲まれた玄昌石の屋根、いい。
廃墟にしては外壁だけ不自然に綺麗な教会が埋もれてる。
ちょうど森林限界にさしかかってきた。
視界は更に開けていって、中央アジアを思い出すような景色になってきた。
キリスト教国家の山岳部ならではな くたびれた十字架のモニュメントが辺境感を醸す。
そんな峠道で、イタリアからのライダーと遭遇。
CRFいいね👍
そして南北をゆく舗装路内の最高点 Baros 峠の頂上に辿り着いた(Google map 上では Mparos Pass)。標高は1,905m.
1912年 第一次バルカン戦争でギリシアがオスマン帝国を退けるまで、ここがギリシアとトルコとの国境だった。
Baros峠から、Kalarites や Syrrako という村へとつづく西側の道と、さらに南下する道に分かれるので、そのまま南下する道へと進む。
そのまま舗装路を走っていればよかったものを、途中東側へと分岐する未舗装路へ行ってみることにした。
未舗装とはいえ、そんなに荒れてなく 問題なく進んでいける。
景色はもう筆舌に尽くしがたい。ギリシアでこんなに素晴らしい道に出会えるとは思ってなかった。
これぞ、True Adventure.
もしこんなところでマシントラブルがあったら、本当に詰むような場所ではあるけど、そういうリスクを全部背負いこんだ上で底知れない自由を感じる。
バイクってのは、すごい乗り物だよ。
こんな場所まで まるで翼のように乗り手を連れて来てくれる。当然 リスク管理は必要だけど 「よし、とりあえず行ってみよう」というその勇気と行動力で これほどの感動を味わうことができる。
とはいえ、今までの行程で “何かあっても何とかなる” 根拠のない自信はあったわけだけど。
Baros 峠が、ギリシア国内で最も標高の高いポイントのひとつとされているけど、ここはもはや地図上に名前すら無い峠の頂上付近で 標高は2,100m を少し超えるくらい。すぐ近くを走る山頂の稜線が テッサリアとイピロスの県境を形成してる。
おそらくこの道の最高地点であろうポイントを越えると、眼下には下り道が山脈の東側へとつづいていた。
既に西日になってることもあって 下り始めるとすぐに道は山影にはいってしまう。
ここからの下りがなかなか大変だった。
ごろごろした石が積み重なった急勾配の下りは、ブレーキをかけても車輪ごと滑り落ちてしまう。
暗くなってきたこともあって やや焦りつつも もし転倒したら大幅に時間をロスすると思って 細心の注意を払って下っていく。
枯れ木の幹が地面に残る 終末世界のような個人的ベストショット。
なんとか転倒せずに一番きつい下りを終えた。この下りは 今までの道中でもタジキスタンに次いで最難関クラスだったと思う・・・
ウッシ達が、おつかれ~ ってな感じで道の終わりが近いことを知らせてくれる。
Zeraida という村の周辺を抜けて、
ようやく南側の舗装路に復帰した時には すっかり暗くなっていた。
空が綺麗に焼けてる。
もう今日は自炊する力が残っていなそうだったから、舗装路に復帰して一番最初に通った街の食堂で夕飯を済ませ、
たまたま道脇に発見した ドーム下のスペースで野営。
疲れたぞー、本当に疲れた。でも 一生記憶に残るレベルでいい1日だった。
つづく