こんにちは、世界放浪2輪旅中の管理人です。
Vergina; ヴェルギナの街にやってきたわけですが、この街にある遺跡と市内博物館にある王墓の遺跡は 古代マケドニアの歴史上最も重要なものということで、早速訪れてみたいと思います。
Place of Aigai
昨日Verginaの街に着いた時には雨が降っていたけど、今日はなんとかぎりぎりって感じ。
まずは、街の南南東側の丘の上へと 小路を上っていくと、
Place of Aigai という遺跡がある。
ドーリア式の列柱ペリスタイルに囲まれた広大な中庭が特徴的な遺構で、紀元前413年にPella; ペラに遷都されるまで古代マケドニア王国の首都だった場所だ。遺跡自体はかなり地味だけど、ここにかつて建っていたアイガイ宮殿は、あの有名なアテネのパルテノン神殿などと並んで古代ギリシア最大の建築物のひとつだったらしい。
“ドーリア式” で有名なAigai; アイガイの宮殿跡だけど、よくよく見てみると 明らかにイオニア式で修復・復元された場所がある。
なんでかはよくわからないけど、「修復箇所がオリジナルと明らかに区別できるような視覚的復元をする」 みたいな国際憲章があるらしい。
中庭を囲む各フロアには、床面のモザイクが美しく保存されている。
個人的には Place of Aigai の一番の見どころかもしれない。
紀元前168年、マケドニア王国はローマに敗北して滅亡し アイガイもその後3世紀までの間に放棄されたらしい。
地滑りによって遺跡上に大量の土砂が積もって、この2千数百年前のモザイクが保存されたんだと。
Royal Burial Cluster of Temenids
ヴェルギナ市内方面に戻って、今度は東側のはずれにある丘陵部に行ってみると、そこには Royal Burial Cluster of Temenids と呼ばれる集合王墓がある。
Temenid; テメネス朝とは、アルゲアス朝の別名で 古代ドーリア人のマケドニア王家、つまりあのアレクサンダー大王の家系を成す王朝だと考えられている(批判もある)。
正直めちゃくちゃ地味で、派手さは全然ないサイトではあるけど、この敷地にわたってこんな感じで約20基の王墓、あるいは高貴な身分だった者の墓が発見されている。古代墓全般の特徴として、どの墓が誰のものなのか 果たして本当にアルゲアス朝の者だったのか 未だに完全には明らかになっていない。
リストにある通り、年代は紀元前550年頃~紀元前315年頃までの墓が点在していて、特に紀元前530年頃を境に単純な竪穴式から 築城墓にスタイルが変わるらしい。
中には、フェンスで囲われた上に屋根で保護されている墓もあった。
いつか発掘作業と修復が完了したら、ここにも建物が建って公開される日がくるのかもしれない。
Ancient Cemetery of Aigai Royal Tomb
さて、野良王墓群の場所から少し市内中心に歩くと ここもかつては野良墳墓だったであろう場所に 現在では立派な建物が建って屋内博物館となってる場所がある。
界隈のネクロポリスからの出土品もさることながら、ほぼ完全な状態で保存されてる アルゲアス朝の王墓が内部で見ることができる。
館内で撮った写真の一部を紹介。
いずれも、紀元前300年前後の墓石。
以下は埋葬品の一部だけど、どれも紀元前4世紀 つまり今から2,300年以上も前につくられたもの だという視点でみてみると驚愕の技術力だ。
Philip Ⅱ; フィリッポスⅡ世の墓(Tomb Ⅱ)より、Gorytos; ゴリュトスという金箔で覆われた銀製の弓矢入れ。
表面の精密な彫金はトロイ征服の様子らしい。
同じく、Peritrachelion と呼ばれる銀シートで覆われた革製の首環や
金のメドゥーサ。
その他にも盗掘を免れた多くの埋葬品。
「ヘラクレスの結び目」が彫刻されたフェリペ2世の王冠。
マケドニア王家が自らをヘラクレスの子孫=つまりゼウスの直系だと自負していた、アイデンティティ表明と考えられる。
館内看板の説明によれば、これは遺体の洗浄のために使われた青銅製のHydria; ヒュドリア とよばれる水壺。
同じく青銅製のランタン。半獣の牧神 Pan; パン のレリーフが施されている。
墓の前室で発見された若い女性の遺骨を包んでいたという金と紫の布や
同じく前室で発見されたフィリッポスⅡ世の妻が身に着けていた黄金の月桂冠。
そしてこれがフィリッポスⅡ世の妻のひとり、トラキア王女 Meda; メダ の遺骨、ないし遺灰を納めていた Larnax; ラルナックスとよばれる黄金の箱だ。上部には Vergina Sun; ヴェルギナの太陽があしらわれている。
フィリッポスⅡ世が身に着けていた鎧と、象嵌が見事な盾。とくに青銅製の脛当ては 骨折が真っ直ぐ治癒しなかった王の前脛に合わせて特別に作られたらしい。
彫金が凄まじく精密な食器類も、一緒に埋葬された。
フィリッポス2世の、黄金の月桂冠。オークの葉とどんぐりが精密につくりこまれていて、思わず見入ってしまう。
こちらのラルナックスが フィリッポスⅡ世その人の遺骨をおさめていたもの。
メダのものより脚部の装飾や側面の彫刻が更に豪華だ。上面のヴェルギナの太陽は同様で、このラルナックスが発見されたことで、古代マケドニアを象徴するシンボルマークとしてヴェルギナの太陽が有名になった。
1991年にユーゴスラビアから当時のマケドニアが独立したとき、このヴェルギアの太陽を国旗に用いた事でギリシア政府がブチ切れ、論争の上変更している。
側面意匠の詳細。
これは、Tomb Ⅲ より発見された 若い男性の遺骨(アレクサンダー大王の息子 Alexander Ⅳ; アレクサンダーⅣ世 と考えられている)を治めていた壺と、月桂冠(厳密にはオーク冠と言う方が正しいのかな・・・)。
ワインと豊穣の神 Dionysus; ディオニュソス が 右手に松明を持ち、左手を伴侶の肩にまわし、そして笛を吹く牧神 Pan の後を追いかける というシーンがめちゃくちゃ精密に彫り込まれた象牙。
宗教儀式で献酒につかわれたと考えられている器の、超写実的な牡羊の意匠が特徴的な柄。
つづいて、墳墓それ自体を紹介。
Tomb Ⅰ
王墓群の中でもっとも初期のものとされる、大型のブロック構造と簡素な石棺で構成された墓。
発見時既に盗掘されていたらしくて、遺体や副葬品の状態は良くなかったらしい。
当初はこのTomb ⅠがフィリッポスⅡ世の墓だと考えられたこともあったらしいけど、現在では Tomb Ⅱ 説が主流になってる。
結局、Tomb Ⅰが誰の墓なのかは定かではないものの、墓内部に描かれた壁画の秀逸度合いから 王族のものだとされている。
そんな墓内部の壁画は、直接見ることはできないものの、正確な”写し” が展示されていた。
左は東側の壁の壁画で、Demetra; デメトラが描かれている。
そして右は、冥界の王 Hades; ハデスが デメトラの娘 Persephone; ペルセフォネを誘拐する場面で ギリシア神話の故事に由来してる。
Tomb Ⅰ には隣接するように Heroon; へローンという神殿様の遺構が残っている。
これは Tomb Ⅰに埋葬された人物に対する崇拝の儀式が行われる施設だったと考えられている。
Tomb Ⅱ
Tomb Ⅱ は、先述の通り 現在の学説ではアレクサンダー大王の父 フィリッポスⅡ世の墓という説が最も有力。館内4つの王墓の中でも最も保存状態が良く、発見時に未盗掘で、さっき紹介したような多くの豪華な副葬品が発見されている。
高さ9.5m 幅5.6m の入口は総大理石で 扉の両脇には柱が彫刻されていて、その柱頭上部はエンタブラチュアが2段になったような構造をしている。
下段には青と赤のシンプルなフリーズが
そして上段には 王家が狩猟の様子が描かれている。
Tomb Ⅲ
“王子の墓” として知られる Tomb Ⅲ から見つかった骨は 検査の結果13-16歳男子のものと分かっていることから アレクサンダー大王(Alexander Ⅲ/ Alexander the Great) の息子 Alexander Ⅳ; アレクサンダーⅣ世のものだと考えられている。
紀元前310年 マケドニア王位を狙う Kassandros; カッサンドロスによって 母 Roxane; ロクサネ と共に若くして処刑されたのだ。
Tomb Ⅱ より僅かにこぶりで、高さ6.35m 幅5.08m で、やっぱり扉上部は2段のフリーズがある。
下段は同様、赤と青に彩色されたトリグリフ、
上段にはやっぱり壁画があったようだけど、ほとんど原画をうかがい知るのは難しい状態だった。
Tomb Ⅳ
Tomb Ⅳ は古代初期には既に盗掘にあっていて、その構成材はほかの建築資材として採石されてしまったという。
わざわざ人の墓を荒らして採った石で建材あつめるってどういうことやねん と思うけど、そんなわけで現在ではファサードを構成していた柱と、床面の一部だけが残る状態で 埋葬者もほとんど不明とのこと。
Museum of Royal Tombs at Aigai
もうお腹いっぱいってかんじであるけど、王墓4基を保存した施設とは他に綺麗なミュージアムもある。
古代の貨幣をはじめ、
装飾品や当時の日用品、
そしてマケドニア滅亡後のローマ期にいたるまでのレリーフや石造など・・・
てなわけで、バイクは一度も登場しなかったけど ヴェルギナの街に眠る古代マケドニアの遺構たちのレポートでした。
つづく