こんにちは、世界放浪2輪旅中の管理人です。
チャナッカレ地域で立て続けにテネレ乗りに出会い、その親切に支えられながら トルコ最後の街になるであろうエディルネへと向かいます。
ここまでのルート
Firat とお別れ
朝、近くのパン屋に行って朝食を調達する。パンが焼けるいいにおい。
出発の準備を整えながらテレビを観てみると、イスラエルの攻撃によってベイルートの一部が焼け野原になっていた。
管理人がベイルートにいたのは2023年の年始。わずか1年半ちょいで、状況は一変してしまった。今も世界は 刻一刻と変わり続けている。
ありがとう、Firat.
気さくなトルコ人の人柄を具現化したようなおっちゃんだった。
Good Tenere Life.
再び ヨーロッパ側へ
チャナッカレの半島から、一度フェリーでヨーロッパ側に渡っているので 今度は以前スルーした この1915チャナッカレ橋を渡って再びアジア側へと戻る。
その前に給油、と立ち寄ったガソスタで出会ったライダーに、コーヒーをご馳走になった上、
「1915橋は有料だから、おれの後ろをついて来い」と言われついていくと、
どうやら先行して管理人の分の通行料を支払ってくれたようで、無料でヨーロッパ側に渡れてしまった。
そして彼らはそのまま反対方向へと、フル積載のテネレでは追いつけないスピードで、ホーンと共に去っていってしまった。
かくして、人に支えながらこの旅はつづいていくんだなぁ と改めて実感しながら北北西へと走っていく。
道はやや退屈だったけど、200kmほど走って、
トルコ最後の街 Edirne; エディルネに到着した。
エディルネの語源は、 Hadorianopolis; ハドリアノポリス → Adrianople; アドリアノープル → Edirne; エディルネ という変遷の末のようで、元は古代ローマの東トラキア領域だった街だ。
ここで起きたアドリアノープルの戦い(378年)は、その後起こるゲンマン民族大移動の象徴的な事件といえる。
フン族の移動をきっかけにローマ帝国領土内に移住を始めた西ゴート族が東ローマ政府を敗北させたのだ。
これが意味するところは、「古代世界の盟主的な存在であったローマ帝国が 蛮族を内包せざるを得なくなった」という部分で非常に大きな意味を持つ。
当時既に2分統治体制だったローマ政府は395年 東西に分裂し、帝国内への定住を始めた西ゴート族は次第に勢力を広げて410年にはローマの略奪に至る。西ゴートのみならず、ヴァンダル族・フランク族・アングロサクソン族といったゲルマン民族の流入によって、ついには476年に西ローマ帝国は滅亡に追いやられ これをもって世界史的な「古代」が終焉するのだ。
つまるところ、ここエディルネの街は、世界が古代という時節の終焉を迎えるきっかけとなった場所だ といっても過言ではないかもしれない。もうトルコに長居はできないけど、少しじっくりエディルネの街を見回ってから 出国することにしよう。
つづく