こんにちは、世界放浪バイク旅中の管理人です。
世話になったOgzkhanの家から、ガリポリ半島を北上し 次の地へと進んでいきます。
ここまでのルート
朝、Ogzkhan家を出て
朝、Ogzkhan ・ Ogzkhan父と朝食をいただく。
トマトとキュウリ、チーズにオリーブ。トルコ家庭の一般的な朝食はほんとに健康的。
たまたま通りがかっただけの管理人を漁に同行させてくれた上、食事と寝床を提供してくれた2人に ブログを書いてる今 改めて感謝の気持ちが込み上げてくる。
ガリポリの記念碑と要塞たち
セッドゥルバヒルの村から少しだけ西に走ったところにある Helles Monument.
チャナッカレの面白いところは、トルコ国土であるにも関わらず 敵対勢力だった連合国軍側の戦没者を追悼する記念碑も複数建っている点だ。へレス記念碑もそのひとつで、ガリポリ作戦で戦没した英国兵とインド兵が名を連ねている。
戦争を経て、時間を忘れたようにガリポリ半島に点在する大砲たち。
Tenere×Canon
セッドゥルバヒルと並んで、ガリポリ半島最南端で防衛の最前線を担っていた Ertuğrul Tabyası; エルトゥール要塞にやってきた。
一見茅葺のような藁で覆われた屋根が特徴的な要塞が並んでる。
各部屋は小さなミュージアムになっていて、当時の経緯や様子が詳細に展示されていた。
たぶん、ガリポリ作戦開始前 20世紀頭のオスマン帝国兵士たち。
セッドゥルバヒル要塞に配備されていたのと同様、ドイツKrupp社製のL/35型キャノン。
100年以上野外に放置されているのに、なんて綺麗な砲身なんだろうか。
この大砲は鋳造ではなく、鋼の塊を鍛造加工した砲身を複数の輪帯で補強した鍛造砲なんだと。当時の西ヨーロッパの重工業製品は、今ではコストの観点から実現できないようなクオリティのものがたくさんある。
1915年のエルトゥール湾上陸作戦で戦死した148人のトルコ兵を追悼するモニュメントと墓標。
その後も、ガリポリ半島先端部に点在する戦死者記念碑やモニュメントを巡りつつ、
半島の東側を北上していく。
途中で見つけた海岸すれすれに向かうダートを下りて行ってみる。
ダートの先には小さな灯台と、
釣りに興じるおっさん2名。
行き止まりのオフロードをUターンして 真っ青なダーダネルスを右手に舗装路へ戻る。
またしばらく北上して、Kilitbahir; キリトバヒルの街が見えてきた。
街のすぐ直前にある Namazgah Fort; ナマズガー要塞。
1861-76年にかけてダーダネルス海峡防衛のために築かれた。
セッドゥルバヒル要塞やエルトゥール要塞と同じく、藁のようなもので屋根が覆われている。
これはたぶん当時敵船から発見しづらくする迷彩的な役割があったのかな。
風で散ってしまったのか、それとも修復作業なのか 何人かの人達がせっせと藁をかき集めていた。
Kilitbahir Castle; キリトバヒル城
他の城塞よりも更に古く、メフメト2世によって1463年につくられた中世の城塞で、
ダーダネルス海峡が最も狭くなっている部分の制圧を目的としていた。地上からだと分からないけど、Google map とかで上空俯瞰を見るっと トランプの♧形をしているのが特徴的。
そんなクローバー形の城塞を更に取り囲む城壁の一部が門になっている。そこを北に抜けて、キリトバヒルの港へと出る。
Kilitbahir; キリトバヒルの港から Çanakkale; チャナッカレへ渡る
元々はそのまま東海岸を北上していこうと思っていたけど、Ogzkhan がキリトバヒルから一度アナトリア側に渡って、その後チャナッカレ橋で半島に戻ってくるのはいいんじゃない?と提案してくれたから、そっくりそのままそうすることにした。
ちょうど出港するところだったフェリーにぎりぎり間に合って乗船。
海からだとキリトバヒル城の面白い形がよく見える。
船内の様子。
航行距離はわずか2km, あっという間に対岸のチャナッカレが見えてきた。
チャナッカレの港に着いた。
チャナッカレの街に来るなら、是非みてみたかったのがこれ。
2004年に公開された映画[TROY]で実際につかわれた木馬が建っている。
かの有名な「トロイの木馬」、そしてトロイ戦争が本当の史実かどうかは”分からない”というのが現状の認識ということらしいけど、
トロイの街の遺跡は ここから南に20kmくらいのところに実際にあって 沢山の出土品が展示される立派な博物館もある。
そんなわけで、ガリポリ半島とダーダネルスを隔てて対峙するアナトリア北西の一帯は トロイ縁の地ということで、この木馬もここに鎮座することになったんだろう。
チャナッカレの穏やかな港~ とか思ってたらトルコ海軍の仰々しい潜水艇が展示されていた。
これ実は、1944年にアメリカで作られたUSS Thornback (SS-418)という潜水艇で、2次大戦中は太平洋海域で活躍したらしい。
その一環で日本本土近海での作戦活動もしていて、旧日本海軍とも交戦している。
1971年にトルコ海軍に移管されてTCG Uluçalireis(S-338)に改名、2000年に退役して今はこうして穏やかに展示されている。
チャナッカレの街
ばかでかいテネレを街の一画に停めて、少し街をぶらついてみる。
日に焼けた壁がいい味を出してる。
写真撮ってくれ勢(定期).
チャナッカレCBR.
ええやん、な路地と Çanakkale Saat Kulesi; チャナッカレ時計塔.
とある路地に入って行くと、
味わい深い本屋が軒を連ねる。
日本でも紙媒体の本・雑誌が衰退の一途を辿る中、やっぱりこういう本屋にはずっと生き残って欲しいよねぇ。
チャナッカレの街は予想外に賑わっていて、滞在してみて回っても十分に見応えがあるなぁと思ったけど、
今日は宿も決まってないから、野営地探しを始めなければ。
そしてまたTenere乗りと!Firat との出会い
チャナッカレの街を後にして あてもなく適当に彷徨いはじめる。
宿も明確な目的地もなく、ただ走り回ることに十分すぎるくらい慣れてしまったけど 普通の感覚からしたらたいぶ異常だというのはたまに自覚しなおさないと と思う。
朝 Ogzkhan の家で朝食を食べてからなんも食べてなかったから、ちょうど良さげなカフェを見つけてサンドイッチを食べる。
そんな悠長なことをしつつ、いよいよ全然野営地が見つからずに焦る。
「慣れてるから大丈夫~」とか思ってる時に限って、こういうことになる。海沿いは整備の行き届いた道ばかりで、少し外れても農地ばかりで野営には適さない。こんなに暗くなってから内陸に入る気にもならず、もうここでいいかな・・・と 道脇に少しだけ膨らむようにできたゴミ捨て場用のスペースをライトで照らして見て回っていると・・・
「おい! こんなとこでキャンプする気か??!」
と通りがかった車から身を乗り出したおっちゃんが声をかけて来る。
Google翻訳をつかって、野営地を探してたけど見つからんからここで野営しようと思う と伝えると、
「それなら家に泊めてやるからついて来い!おれもテネレ乗りだ!」
!!?まじかっ!
トルコのチャナッカレで、こうも都合よく連続でテネレ乗りに出会うなんてことあるか?
と思ったけど、状況的に願ったり叶ったりだったから彼について行くと、本当にテネレが停めてあった。
彼の名はFirat.
夕飯を分けてくれた上、快適な寝床まで提供してくれた。繰り返しになるけど、今こうして何カ月かぶりにブログを書いていて 改めて感謝の気持ちが湧き上げてくる。
翌日はFiratの案内で界隈の史跡や、先述のトロイの博物館に行こう ということになった。
急に安堵感と満腹感で眠気に襲われて、濃い1日を終えるのであった。
つづく