どうもこんつくは、グレートエスケープ中の管理人です。
アジアの終着点 イスタンブールに到着し、ヨーロッパに向かう前にしばらくこの巨大な街で時間を過ごすことになりそうです。
イスタンブールでの写真は膨大にわたり、一体何から書いたものやらと思案するまま数か月が過ぎるというLazyっぷりの果て、よし まずは猫の手でも借りようということで、ただひたすらイスタンブールに暮らす猫たちの写真を貼りまくる雑な記事から始めたいと思います。
Cats in Istanbul
オッドアイの君からスタート。
海外で見る野良たちは大抵病気か怪我で悲惨な姿だったり、ガリガリに瘦せ細ってる事が多いけど、イスタンブールの猫たちは皆飼い猫のようにきれいなやつらが多い。
そして多くの人が猫に対して優しいからか知らんけど、みんな警戒心というものがない。寝てる猫を撫でても、そのまま眠りつづけるレベルでオープンマインド。
たまにイッヌ。
カフェやレストランの座席が猫によって占拠されてることも多いけど、店員はじめ誰もそれを気にとめない。
写真を撮ってたら ふと気づくと足元に猫が落ちてるなんてことも。
猫が多すぎて、観光どころではなくなるタイミングしばしば。
おぉ―――かわいいねぇーよしよし はい次、
あぁーーー君もかわいいねぇ よしよし ってな具合で、全然前に進まない。
これは猫好きがイスタンブールに訪れた際に生じる最も一般的な問題として旅人間で共有されている事実。
生垣の中も、よく見ると猫が落ちてる。
キッズ。
美人だねぇ。
イスタンブールは、ただ猫が多いというだけではなくて、自治体レベルで支出をして猫や犬と共生できるような施策や努力が講じられている。
たとえば、市内を歩いていると 最もツーリスティックなブルーモスクなどがあるエリアに、猫に自動でエサを与える機械のようなものが設置されていたり、
住民の善意や市の拠出で設置された猫ハウスなどもたくさんある。
暑い時期には、猫のために蛇口から水を出しっぱなしにしておいたりなんかもする。
各自治体が予算の一定割合を動物福祉に充てるよう義務があるのだ。
日本での野良猫に対する施策なんかとは、文化的な背景が違いすぎて単純に比較できるものではないけど、
家で飼われる愛玩動物としての猫と、迷惑動物とされる野良猫 のようなコントラストが非常に感じられづらい。
猫が好きかどうかなんてのは、育った環境にもよるし 嗜好性の問題みたいなもんだから、猫嫌いな人がいるのも理解できるし、
盛りのついた野良同士の喧嘩は確かにうるさい時もあるし、猫の排泄物は臭い。
結局は、なにもかもが区画整理化されて、清潔であることに慣れ過ぎた社会と人々のメンタリティには、そういう自分が不快だと思うことを許容する余白があまりにも少ないんだろうな。除夜の鐘がうるさいとか、小学校の運動会がうるさいとか そんなの雑音として無視すればいいのにと思ってしまうけど、無視をするどころか あまつさえ受け入れて体制変更するという右顧左眄さには いよいよ皆辟易してるんじゃないのか?
ただ自然に「そこにいて当然の存在」として、街の住人として受け入れられているイスタンブールの猫たちは、
良い意味でも悪い意味でも”適当でラフ”な人々の心の余白に住んでいるといっても過言ではない。
30年前 東京でもそこらへんを歩いていた野良猫は、いつの間にか見かけなくなった。安直に殺処分と非難されがちな日本の施策も、実際にはTNRによる減少策だったり、殺処分ゼロを達成した自治体もあったりと そんなに悪いもんでもないのかもしれない。
国や自治体の方針がどうかというよりは、それを望む社会的要請圧がどういう形で 定量的にどの程度あるのかという方が 違いとしては注目すべきことなんだろうなぁと思う。
ただ、色んな事を許容する心の余白というのは、人間のもつラフさと表裏一体で
ゴミの無い美しい街というのが 何に対しても過剰にクリティカルな日本の社会のひとつの表情でもある。
でもそれは日本に限ったことじゃなくて、一般的に言われる先進諸国ではどこも同じだ。西ヨーロッパの主要都市でも 野良をみかけることはほとんどない。つまるところ、社会が「発展」して ある一定のプラトーに達することと、街の野良猫というのは 一定の逆相関関係があるのかもしれない。良いか悪いかはそれぞれの人の心持次第というだけで、ただ猫好きにとっては少し残念。
2020年代も後半に入って、いよいよ日本の首都圏・大都市圏も そんなプラトーな領域に入りつつある感がプンプンする。
実体験に基づかない2次~3次情報もかざして、匿名性を武器に相手を非難する脆弱な馬鹿が本当に増えたなぁと 実感することも多くなった。東京の街に野良猫が戻ってくることは無いだろうけど、広い視野と堅牢なパーソナリティを持った日本人が 戻ってきてくれたらいいなぁと思うのであった。
通称”マツコ・デラックス”なイッヌ。
カラバシュ(アナトリアン・シープドッグ)の血を引くからか、トルコの犬はとにかくでかい。
ドネル屋の前でおこぼれを待つにゃん太。
もはや店員よりもちゃんと店にいるかもしれない店猫。
ある時、エレベーターのドアが開くと、そこに猫が寝てるなんてことも・・・
いやなんで?!
ってなわけで、ただ 文字通り猫の手を借りて 久しぶりの更新でした。
つづく