【Republic of Turkey episode 27】Sivrihisar 回遊記

どうもこんつくは、グレートエスケープ中の管理人です。

エスケシェヒルで Ayfer 一家に礼を言いお別れし、少し東にある Sivrihisar; シヴリヒサルという街を目指します。

ここまでのルート

Sivrihisar の街

エスケシェヒルから東に約100km ほど走ると、

Sivrihisar; シヴリヒサルの街に到着した。

木造建築モスクの傑作 Ulu Camii と、Alem Shah の墓

1232年に最初に建てられたシヴリヒサルのグランドモスクは、1274年に修復され、

1440年にこのミナレットが追加された。

モスク東側/北側の扉にある碑文と特徴的なレリーフ。

西側の入口から中に入ると、

そこには見事な木柱が並ぶ。

 

ジュニパー(セイヨウネズ)とイエローパイン製の木柱は全部で67本あって、63年間生きた預言者ムハンマドと、その後の4人のカリフを表わしているらしていて、

天井を構成する950本の幹は、ノアの寿命を表わしているらしい。

どことなく、日本の老舗旅館なんかを連想してしまうような雰囲気。

礼拝室中央のシャンデリア。

美しくライトアップされたミフラーブ。

特に、ルームセルジューク朝の木工芸術の傑作といわえるミンバル。
1445年、Hasan bin Mehmed という職人によって製作されたものが、完全な状態で今に残っている。

クルミ材から完全な手作業で掘り込まれた彫刻は美しくて見とれてしまう。
現地の看板には「マッチボード法」と書かれていたけれど、たぶんこれはいわゆる Kündekari; クンデカリ と呼ばれる技法で、釘や接着剤を一切使用せずに木片などを組み合わせていく技術で、セルジューク朝~ルームセルジューク朝にかけてアナトリアで技法が成熟していったといわれている。日本の寄せ木細工に通じる部分があるね。

ミンバル正面に設置された扉にも、余すところなく技工が施されている。

木柱のディテールにも注目で、遠目では同じように見えるそれぞれの柱も、近くで見ると色々とディテールが異なる。

一部の木柱にはローマ、あるいはビザンチン時代の遺構から採られたと思われる柱頭が再利用されている。
これは Spolia; スポリアといって、特にアナトリアのセルジューク期はイスラームとビザンツ様式の融合が盛んだったらしく エスケシェヒルのセイトガジ モスクにもみられた。

日本家屋のような雰囲気の木組み屋根の下に、特徴的な掘り込みを持った木柱と、ローマ様式の石製柱頭・・・・

予想以上に面白さが詰まったモスクだった。

グランドモスクの北側には、Alem Shah; アレムシャーという人物の霊廟が建っている。
アレムシャーは、ルームセルジューク朝3代スルタン Melik Shah; メリクシャーの弟で、1327年に建てられた。

扉の周囲と上部に施されたレリーフと碑文。

2階構造となってる霊廟の地下部分に、タブートが安置されていた。

時計塔から Metin Yurdanur の野外博物館

グランドモスクから北に向かって丘を上って行くと、1899年に建てられた 街を象徴する時計塔が見えて来る。

ガラスでできた床面の遊歩道が特徴的で、赤瓦屋根で統一された街が一望できる。

街の北側に聳える岩山の脇には、

  

トルコの彫刻家 Metin Yurdanur による彫像が多数並んでいて、野外博物館になっていた。

この子は彫刻みたいなポーズをとるイッヌ。

Surp Yerrortutyun Kilisesi シヴリヒサルの三位一体 アルメニア教会

野外博物館を挟んで通りの向かいには、シヴリヒサルのアルメニア使徒教会が建っている。

黄金に輝く ナスレッディン・ホジャ像と教会の東側。

教会が最初に建てられたのは1650年。1876年の火災の後 1881年に再建されるも 再び1915年のアルメニア人に対する迫害の一連の中で破壊された。
2010年に修復が開始されて今の状態に至る。

西側のファサード。

教会内部は、まさに修復中といった雰囲気で なんだか道半ばでそのまま放置されているようだった。

だけどそれがまた独特の雰囲気を出している。

教会内部にあったとされるフレスコ画や装飾品はほとんど失われたなかで、オリジナルと思しき壁面の彫刻が壁の中から覗いていた。

教会の中に置かれていた SIVRHISAR アートと、

もう1頭いたらケルベロスか、と思うところだったちょっと治安の悪そうなイッヌ。

ぶらりSivrihisar 

さて、シヴリヒサルの街を適当に徘徊してみよう。

エスケシェヒルのオドゥンパザル地区と同様、ここシヴリヒサルの街にもオスマン帝国時代の伝統的な木造建築家屋がたくさん並んでいる。

Çıkma; チクマ という、2階部分が水平方向に張り出した特徴的な姿は、しばしば他の国の歴史地区でもみかける。
木材が組み合わさった間を埋める漆喰部分は、色とりどりに塗られたり、特徴的な柄が描かれていて、どれも特徴的。

一部、修復されずに廃屋化したのも。

ローカルな商店に並ぶローカルな品々に興味津々。いつかまた来るときは、こういう普通の商店で、値段交渉しながらヤカンとか買いたい。

煙突のあるこじんまりした平屋、いいねぇ・・・

街中に突然現れるミナレット。モスクなしのミナレットなんて、何か面白い歴史的な曰く付きなのか と思いきや、
これはトルコの人気ドラマ Gönül Dağı のために建てられたセットがそのまま観光名所ななったんだとか。


劇中で登場人物 Sefer のバスの停留所としてミナレットが使われている。
なんでも、このドラマをきっかけにシヴリヒサルの街はかなり発展したんだとか。

Aziz Mahmut Hüdayi Camii.

 

民家の窓に干しピーマンを発見。
トルコでは、夏~秋に収穫された野菜をこうやって干して、長期保存できる状態にしてから冬場の調理に使うのだ。

この感じ、たまりません。

いろいろと味わいが深すぎる。

味わいがいろいろと深すぎる。

完全に住宅街に迷い込んでみても、いろいろと発見がある。

たとえば、こういうなんでもない扉とか。

ちょっと古めのルノーとか。

よく意味がわからないウォールアートとか。

Hazinadar Cami と Hoşkadem Cami

下から見ると、ミナレットの上部はレンガが複雑に入り組んでる。

ほんのささやかに外壁に入り込んだアラビア文字のタイル。

逆五芒星のレリーフ。

しばらく歩いて街の北側に戻ろうとすると、お土産屋が何軒か並ぶ場所にでた。

ここもなんとなく、日本の田舎の商店街の一画みたいな雰囲気だった。

ってなわけで、シヴリヒサルの徘徊記録でした。
この日はまだ日が持ちそうだったから、この足で更に次の場所に向かうことにしよう。

つづく

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