どうもこんつくは、グレートエスケープ中の管理人です。
ここまでのルート
Salda湖の朝
朝。気温もちょうどよくて、夜も静かで いい野営場所だった。
湖の東側から 空が明るんでくる。
トルコの夏は、日が上るのが早い。
あっという間に明るくなって 気温もどんどん上がってく。
そんなわけで、今朝はサルダ湖浴から始めちゃいましょー。
湖畔を歩いてみると、めちゃくちゃスティッキーな泥質の浜と、そこに多孔質な 一見サンゴのようにも見える岩みたいのがちらほら見られる。これが、現生ストロマトライトなのか わからないけど、湖水中のミネラルを微生物が捉えて堆積することによって膨大な時間をかけて形成された「サルダ湖の微生物岩」と呼ばれるものだと思う。地球上で誕生した生命のうち最も原始的なもののひとつである微生物岩が今も確認できることから、火星の生命探査の比較としてNASAによって調査されている。
歩いてくと、こんな感じでスネまでずぶーーーっと沈んでいく。
そんでもってこれがアルカリ性の泥で、ゆるく溶いた紙粘土みたいな硬さと柔軟性がある。
あくまで民間療法的な範疇ではあるけど、この泥にはスキンケア効果・デトックス効果・抗炎症効果・筋肉のリラクゼーション効果 と、いろいろ効能があるらしい。とりあえず野営中に得体の知れない虫に刺された場所に塗りたくってみる。
ひとしきり泥遊びに満足したあとは、撤収して 更に内陸の Denizli を目指す。
Karahayıt の温泉宿
ガソスタでは、相変わらず何もいわなくてもチャイが出てくるトルコ。
サルダ湖から Denizli; デニズリ まではわずか60km程度で到着した。
さすがの観光地ということもあって、デニズリ近郊にはいると欧米人・中国人の観光客が激増し大型バスも行き交う。
途中で目に止まった韓国料理屋で思わずラーメンを注文してしまった。
やや Touristic Price で、食べ終わってやや後悔。言わずもがなそんなにおいしくはないけど、ずっと”ケバブ的” なものばっか食べてると 少しでもアジアンテイストなものを渇望しちゃうんだよ。
とりあえずデニズリの街はスルーして、やや北にあるKarahayıt; カラハユットの街に宿をとった。
宿に泊まるの久しぶりだ・・・
街を適当に徘徊してみる。
小さな町で、これといったものがあるわじゃないけど、雑然とした商店街がなかなかおもしろかった。
それより、カラハユットの宿にはなつっこいにゃんころがいたのが最高だった。
かなり気まぐれなやつだったけど、存分に猫チャージさせてもらう🥰
もしも神がいるならば、猫というこのどうしよもなく愛らしいクリーチャーをつくったことがその最大の功績では と思ってしまうのは私だけですか?
デニズリの近郊は温泉が有名で、宿にはなんと熱々のHot Spring が直接給水されるプライベート浴槽が!!
風呂にも温泉にもさして興味はなかったけど、最近野営つづきだったのもあって 湯船に浸ってめちゃくちゃリラックスできた。
Hierapolis
着いてから丸3日は、ただ猫と温泉を愛でるだけの日々を送って、ようやくこの街がトルコ最大の観光地のひとつである所以をみにいくことにした。
街の随所にある温泉の噴水(?)
Hierapolis; ヒエラポリスのメインの遺跡群に行く前に ちょっと離れた場所にある古代浴場の遺跡にやってきた。
ヒエラポリスの温泉は少なくとも紀元前2世紀のセレウコス朝時代から温泉療養の地として人々に愛され、古代ローマからの浴場の遺構も沢山発見されてるけど これはそのうちの一つ。詳細はよくわからん。
さて、そしてやってきた ヒエラポリスの遺跡。北と南に入口があるけど 南側はパムッカレで混み合ってるので 北側から入っていく。
遺構にはいっていくと、まずは Northern Necropolis が眼前に広がる。
たぶん今まで見てきたどのネクロポリスよりも広大で、こんなような石棺や
特徴的なファサードを持った墓や、キューブ状の形をした墓など、なんと1,000基以上も並んでいる、、、!まさにアナトリア最大の古代墓地なのだ。
現地の看板によって説明がある墓は主に2-3世紀のものがメインだけど、実際にはギリシア時代後期(というと紀元前2-1世紀?)のものが多いらしい。
墓にはギリシア文字で故人の名前や生前の職業や善行が記される。
この囲われた墓所の右側に見える部屋の中に、Marcus Aurelius Ammianos という人物の石棺があって そこには水力を動力とした製材機のレリーフがあったらしいんだけど、はて 写真が見当たらない。撮り忘れたか オリジナルは別の場所にあるのか… あるいは奥に見えてる石棺のレリーフがそれか…?
キューブ状の墓の内部。
Northern Necropolis がつづく道は、両側が緩やかな傾斜で挟まれてるけど、その斜面にもびっしりと墓基が並ぶ。
この墓には、「墓荒らしをした者への罰」として来世での不幸などが記されていることから「呪いの墓」とよばれている。
石棺の材質は地元産の石灰岩のものが大部分だけど 大理石をつかったものもある。
これは少し趣が異なった円形の古墳で、紀元前1世紀のもの。内部は階層構造になっていて地下に埋葬室がある構造になっている。
そんなかんじで、それぞれの石棺や墓にはそれぞれの逸話があるようだけど 今回は割愛。
Northern Necropolis を抜けると見えてくる巨大な建物は、
The Basilica Bath. 3世紀ごろ、街に入る前の清めの場として建てられた浴場が、5-6世紀頃増築されて教会になったという。
Tomb A6 と名のついた、細長く 地下構造を有した独特の墓地。
Northern Necropolis で最も保存状態がよいといわれる Tomb A18は、直方体の埋葬室後方にアーチ状の構造物がくっついている。
現地の看板を読むも、このトンネルみたいなのが何なのか言及していなくて不明。
Northern Necropolis の南端、つまりヒエラポリスの入口に到着すると そこには Frontinus Gate がある。
今は崩壊してしまった2つの円筒形の棟を両脇にかかえて、トラバーチン製のブロックで組み上げられたファサードを3連のアーチが支える。84年に建てられたと推測されている。
門を抜けると、南に向かって 約170m の Frontinus Street がつづく。
メインストリートの脇に設けられた The Latrine は、その名の通り古代ローマのトイレで、壁に沿って用を足す穴と その下を流れる水路が設けられている。
Frontinus Street の南端には 4世紀に建てられた The Northe Byzantin Gate.
北門を抜けてヒエラポリスに入る。メインストリート北側にある 6世紀前半の 教会跡。
ドレナージの溝。
更に南側へと進んでいくと、劇場が建つ丘の麓に Sanctuary of Apollo; アポロンの聖域が広がる。
ヒエラポリスは元々セレウコス朝によってつくられ、その後セレウコス朝から独立したペルガモン王国によって発展していった。紀元前133年にはローマに服従することになるけれど、キリスト教以前のこの時期は、ヒエラポリスの主神はギリシアの神 Apollo の影響をつよく受けていて、そのアポロを祀る神殿が建てられたのだ。
写真の地下部分にはアーチ状の入口が見えていて、これは Ploutnion; プルトニオンとよばれる冥界への入口。ギリシア神話の冥王 Hades; ハデスに由来する Pluto; プルートを祀る洞窟で、古代から温泉が湧くヒエラポリスでは 実際に二酸化炭素を主とした有毒ガスが噴出していて、家畜を洞窟内に入れると即座に窒息死したらしい。
アポロンの神殿とプルトニオンは、ローマ時代になってから統合されていって、このような複合的な施設になっていったようだ。
オリジナルが失われた頭部が3Dスキャンによってデジタル修復されたという冥王像の足元には、やはり冥界の番犬 ケルベロスの像がある。
さて、アポロンの聖域のある丘を上までのぼっていくと、そこには60年頃つくられた巨大な円形劇場がある。
収容人数は約15,000人で、現存するだけでも30列の座席が並ぶ。
フロンス・スカエナエはほぼ完璧な状態で保存されていて(大規模な修復はされている)、幅は90m以上ある。
列柱を支える台座や、柱頭部のエンタブラチュアには細かいレリーフが彫刻されている。
見た目の迫力感はアスペンドスのそれに匹敵する印象だったから、試しにChat GPTにどっちが上か?という愚問を投げかけたところ 「収容人数などの規模、保存状態などいずれにおいてもややアスペンドスが上回る」との回答をいただきました。おもしろいね。
劇場の背面にある丘の斜面を更に上って行くと、
巡礼者が清めを行う噴水。全体がトラバーチンなのに対して、壁龕の上部が貝殻のモチーフをした大理石でできている。
6世紀のもの。
そしてその隣にあるこの墓窟は イエスの十二使徒のひとり St. Philip the Apostle の墓とされている。
使徒フィリッポは、ヒエラポリスで逆十字架刑によって殉教したとされていて、1世紀にこの場所に埋葬された後、ローマにてキリスト教が公認される4世紀以降 聖堂や殉教者教会が建てられていった。
なにせ十二使徒の墓ということで、長きに渡って熱烈な崇拝の対象だったらしい。
いまではイスラムの象徴とされる八芒星の中心に十字架 という興味深いレリーフ。
ヒエラポリスのサイト内は、この他にも遺構が沢山のこされているけど、ちょっときりがないのでこれくらいにして、
丘を下ってサイトのちょうど中央部くらいにあるフードコートで休憩。
ここには Cleopatra Antique Pools; クレオパトラのプールなる温水プールがあって、老若男女入浴を楽しんでるようだった。
併設の博物館には、別チケット無でそのまま入ることができる。
主に1~3世紀 ヒエラポリスから発掘された秀逸なレリーフや像が展示されている。
先のビザンチン・ゲートの脇で発見された石棺。
石棺のトップにはメドゥーサ。とにかくレリーフが精巧で驚いてしまう。2,000年近くも前の作業とは思えない・・・
ギリシャ神話やローマ神話の神々や神話に登場する寓話を象ったレリーフが多い。死者の手向けに対してこれだけの労力を払うということは、単なる芸術的な価値以上に 当時の宗教観や死生観を垣間見ることができる。しかしこんな手の込んだ棺桶に、一体だれが安置されてたのか気になるとこだけど それに関しては何も記載がないという。上級市民や司祭、神殿関係者などだと考えられている。
別館には、もっとこまごました食器やアクセサリーなんかが展示されていた。
なんでも鑑定団を見て、初めてローマングラスというものを知ってから、ずっとこの小さな小瓶には惹かれ続けているんだよな。
やっぱりきれいだなぁ。
どことなくオリエンタルな印象をうける絵付けは、ヘレニズム期の影響もあるのかな。
イラク国立博物館でみたアッバース朝の皿にも通じる雰囲気があったけれど、この類の趣の起源はどこにあるんでしょう。
Pamukkale
さて、サイトの南側へと移動すると そこには温泉鉱水が流れ出して形成されたトラバーチンの層状の地形がみられる。
これを石灰棚といって、傾斜した地形の上で 湧き出る鉱水の流出速度に差があることから階段状にトラバーチンが成長していくらしい。
そういわれても、ただ湧き出た鉱水からミネラルが析出・堆積してくだけなら ただただ斜面に沿って堆積していくだけのように思えるけど、まるで人工的な棚田のように美しく階段構造がつくられていくのは不思議。
パムッカレの温泉鉱水は炭酸カルシウムの純度が高いことから、特に白く雪のような石灰棚を形成する。
裸足で入ることが許可されてる場所とそうじゃない場所があって、前者では沢山のひとが”足湯”を楽しんでた。
場所によっては100℃近い高温の温泉水が湧き出る場所もあるらしいから、当たり前だけど禁止区域には入らないが吉ね・・・
犬と猫はどこでも入場可能。
やがて夕暮れになって、西日が石灰棚を照らすと また違った表情を見せる。
一大観光地は、「確かにこりゃあ皆来るわ」と納得の場合と、「え、なんでここが?」というパターンがあるけど ヒエラポリスとパムッカレに関しては完全に納得の迫力だと思う。遺跡の規模も素晴らしい見応えだし、パムッカレは暗くなるまでずっと見ていたくなるほど美しかった。背後の山稜からこぼれる赤橙の陽光を浴びて、ゆっくりと流れ続ける水の流れと 途方もない時間をかけて積みあがって来た石灰華の織り成す景色は トルコの至宝と呼ばれてなお言葉が足りないくらいだと思う。
暗くなった Frontinus Street を抜けて、1,000を超える霊に睨まれながらNorthern Necropolis を北側へと戻る。
テネレの元に戻った頃にはすっかり真っ暗になっていた。
おそるべきヒエラポリス-パムッカレのボリューム。まじで丸1日完全に満喫できる場所だった。
つづく