【Republic of Turkey episode 19】Olympus と Myra の古代遺跡を経て、Kaş の街へ

どうもこんつくは、グレートエスケープ中の管理人です。

チラリの村で Sezar夫妻と合流し、海岸で朝を迎えます。

ここまでのルート

Çıralıの朝

朝、昨日は真っ暗で何も見えなかった海岸の様子が見えて来る。

少し明るくなってくると、近くのリゾートに泊まっている観光客たちが朝から泳ぎにやってくる。

管理人も朝から海に入って涼む、日が昇るともう暑いから気持ちいい。

諸々の撤収作業が終わった後は、Sezarたちとお別れだ。彼らはこれからEskişehir; エスケシェヒルの家まで戻って行くみたい。

Sezar たちが出発したあと、積載を終えて道にでると 自転車旅行者の Trugay と出会った。
これから朝食を食べるから一緒にどうだい?ということで、せっかくだからご一緒させてもらうことにした。

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Trugay はこの街出身で、時間を見つけては自転車で色々なところを旅しているらしい。同じ2輪旅人ってことで 声をかけてくれたのかな。いずれにせよ長期のオーバーランダーは旅行者の中でも似たメンタリティーを持っているから お互いを理解しやすい。
こんな豪華な朝食を全部ご馳走してもらい 色々と旅の話をさせてもらった。マジ感謝。

Olympos 古代遺跡

Turgay とおわかれして、今日もまた走り始める。
チラリから少しだけ外れた場所に、Olympos; オリンポスの古代遺跡がある。
行こうか迷ってたけど、Sezar におすすめされたから一応来てみた。

Northern Necropolis は、1~3世紀まで断続的に使用されてたという墓地がつづく。
4世紀以降は住宅地として利用されていたらしい。

今回見回ってる最中も、絶賛修復作業が進行中みたいだったけど この修復されすぎてない雰囲気がイイ。
オリンポスの都市は、ローマの支配下に入る以前 リュキアという名の古代文明の一部だった。現在のアンタルヤからフェティヘに至る南西アナトリアの膨らんだ部分(テケ半島)一帯に栄えた都市国家の連盟のような文明だったという。最初の記述は古代ギリシアよりも古い紀元前15世紀頃だけど、特に栄えたのは紀元前6世紀以降で、ギリシアの都市国家が民主制を採っていたのに対して 連邦制という独自の政治体系を築いていた。

遺跡には様々な碑文がみられるけど、メインはギリシア文字で、中にはヘレニズムの影響を受ける以前あるいは受けた後のリュキア文字や、ローマの支配下に入った後のラテン文字のものも見られるらしい。

遺跡に流れる小さな水路は、18~19世紀頃に製粉所の水車を回すためにつくられたもの。

現地のサインボードによると、リュキア同盟の長 Marcus Aurelius Archepolis とその家族の墓とあるけど、これが一体誰なのか調べてもよくわからない。五賢帝のアントニヌス帝はたぶん時代が違うし、正確な墓の記録はないらしいから名前はめっちゃ似てるけど別人物。いつの時代のリュキア同盟長なのか?

そのすぐ近くにある Antimakhos とその家族の墓。
このアンティコマスという人物も詳細はよくわからず、Wikiでは古代ギリシアの詩人とかが該当してくるけど それらとは別人の、ローマ期の人物らしい。

石棺には様々なレリーフが施されている。特に側面の両脇にある蔓のような文様は、シュメール人の生命の樹をあらわしていて、生と死の終わりなき輪廻を象徴しているんだとか。

そのまま水路脇の石積みの遊歩道を歩いていくと、

壁面のモザイク柄が特徴的な半壊状態の建物で行き止まりになる。
この建物は、5世紀末~6世紀頭にかけてつくられた なにかしら重要なポジションの人物の住居だったと考えられている。

オリンポス遺跡は、思っていたより広くて見応えも十分だった。なにより、今まで知らなかったリュキアという古代地域について知るきっかけになってよかった。

テケの東海岸沿い

オリンポスの遺跡を後にして、また 海岸線を西へと進んでいく。

きれいな港町がいくつも点在する。
どちらかというと、リゾート地っぽい雰囲気が多い。

街に入っては出て、海岸線すれすれの道路をくねくねと走って行く。

道路が左カーブをする度に そのカーブの断崖の下にこんな感じの小さな入り江が現れる。ここはその中でも特に綺麗で、

思わずバイクを停めて下りていってしまう。
おっさん達気持ちよさそうだなぁ・・・

羨まし過ぎて結局海にも入る。

TG-6 も取り出して海中写真も撮ってみるけど まぁろくな写真は撮れなかった。

夏のトルコを走るなら、こうやって気ままに見つけた海岸で泳ぎながらのんびり進んでいくのはいいもんだ。
図らずも、そんなことに気づきながら進んでいくのであった。

その後も、断崖の隙間から真っ青な地中海がのぞく絶景がつづく。

Myra 古代遺跡

ってな感じでテケ半島の南側まで走って来たところに、Myra; マイラの古代遺跡があるのでまた寄ってみる。
トルコ南西部は、おそらく世界でも最もローマ期の古代遺跡が密集している地域で地図上で確認すると進む先々に遺跡があって正直どこを訪れるべきなのかめちゃくちゃ悩む。すでに管理人はトルコを去っているけど、今でも「あぁここも行っておけばよかった」という場所が次から次へと湧いてくるのだ・・・

マイラも先のオリンポス遺跡同様、リュキア同盟の一員だった都市国家だ。

ここの遺跡の特徴は、そこら中に無造作に放置された遺跡の残骸に 面白い彫刻が沢山発見できることだろうか。
リュキアとは言え、都市国家間で同盟が形成された紀元前168年以降は 既にギリシアの影響を強く受けているようで、柱頭の残骸なんかもほぼアンカンサスのコリント式にみえる。

ただ、人の顔を象ったレリーフがやたらと多い。

リュキアの文化の中でも最も特徴的といえるのが、この垂直な岩盤をくり抜いて作られた墓地だ。
リュキア独特のネクロポリスは まるで岩窟神殿の密集のようにも見える。

墓地のファサードは何重かの窓枠のような彫刻や、頂上部分のレリーフで装飾されている。

マイラの円形劇場は、リュキア地方で最も保存状態がよく なおかつ最大規模のもので収容人数は約11,000人。
つくられたのは紀元前220年前後で、141年の地震で損壊するも 隣都市の Rhodiapolis; ロディアポリス の裕福な有力者 Opramoas; オプラモアスのポケットマネーで修復されたらしい。

frons scaenae; フロンス・スカエナエ は、連続するアーチで構成されて そのトップ部分には精巧な彫刻が施されている。

劇場の2階部分を構成する回廊。

荒々しい削り出しの石段は、どこまで修復されたものなんだろうか。

劇場、ファサードの背面からの眺めも圧巻。

よく見ると、ここにも他とは少し趣向の違うレリーフがある。

マイラの遺跡もなかなか見応えがあった。
一日にオリンポスとマイラ、ボリューミーな遺跡を2つも見て回るとかなりお腹いっぱいである。

Kaşへ

更に少し進んで、ほぼほぼテラ半島の最南端部分に Kaş; カシュという小さな港街がある。

街へと下る前の高台から、カシュの街が一望される。

やや南西方向に伸びるのが、チュクルバーグ半島。
90年代以降 裕福なイギリス人やドイツ人が別荘地としてマンションなんかを沢山建てているらしい。
都市開発が進む過程で、リュキアの遺構や石棺が多数破壊されてしまったらしい。

街中まで下りて来た。

チュクルバーグ半島のちょうど付け根あたりに、修復された Antiphellos; アンティフェロスの劇場がある。

アスペンドスとかマイラの劇場に比べるとややこじんまりしてるけど、
海が一望できるロケーションは最高だ。ちょうどストリートミュージシャンが路上演奏をはじめるところだったけど、なんて贅沢なステージなんでしょう。

突如始まったショーに集まる観客に愛嬌を振りまくニャンころ。

もうこのままここで寝たいわー と思ったけど、とりあえず一旦街中へ戻ってみる。

Kaşぶらりとネコたち

中心部(らしき場所) は交通量も多くて、なかなか駐車するのが大変だった。

アンタルヤほど観光地として擦れてないというけど、まぁけっこう観光地だな。

いまおもえば、もっと住宅地の奥の方に足をのばせばよかったなとか思うけど、
まぁもう日も暮れ始めてたし仕方ないか。

ちょっと高級そうなエリアで、

目にとまる日本語、

無意識に脚が店内に向き、

気づいたら目の前にラーメンがあるという不思議。

ラーメンをつくってくれた青年。

食べ終わってしばらくすると、もう日が暮れてしまった。

Cats in Kaş

トルコは、いつでも自動的に猫チャージができるいい国だったなぁ。

さて、今日もどこかで野営地を探さなきゃならない。
色々と徘徊して探し回るけど、どこも住宅地でなかなか見つからない。

チュクルバーグ半島の方に渡ってみるも、どこも管理された私有地やホテルが多くて難儀するけど、

ようやく人がほとんど来なそうな引っ込んだ叢の中にテントは張って就寝。
今日も常人ならお腹を下すような濃厚な1日だった。

つづく

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