【Republic of Turkey episode6】ティグリス川に水没した古代都市 Hasakeyf; ハサンキーフの今

どうもこんつくは、グレートエスケープ中の管理人です。

Van湖畔での野営を経て、湖の南側から西へとステップを進めていきます。

ここまでのルート

Van 湖畔の朝

朝。日が昇るとテント内の気温は一気に上昇して、とてもじゃないけどずっと寝てはいられない。

昨日どっかのガソスタで買っておいたエナドリとチョコレートがパニアの中から出て来た。
棚ぼた気分でこの不健康な朝食を楽しむ。

巨大な湖を取り巻く乾いた山を眺めながら、撤収。

昨日、クルド人のみなさんの中のひとりがくれたミスパ。またタンクバッグの裏側が賑やかになっていく。

灌漑用の水路が発達した小路を通って、湖の周遊道路へと戻る。

チェックポイントにて、JANDARMAの皆さん。

Van湖の南側を、ひたすら走って行く。

Bitlis という街

途中の町にて、とっても長い2階の回廊で チャイを嗜むじっちゃん方。Ibadullah Cami.

Tatvan の雑踏を抜けて、

もう一度 Vanの湖を見ておく。ここから南西に進んでいくから これが見納め。

やってきた、Bitlis という小さい街。
İhlâsiye  Medresesi; イーラシエ・マドラサ というセルジューク朝時代のマドラサだ。
建設に関する詳しい資料はなくて、様式などから13世紀に建てられたとされている。

どうやらメインの建物は修復中らしく 足場が組まれてた。

どこからともなくやってきた少年が、案内してあげるよ 的なのりで先導してくれたから、「こりゃ絶対後で金を無心してくるな」と思いつつついて行く。

入口にある、アラビア語の碑文。
これは修復の記録を記したもので、
【İhlâsiye と呼ばれるこの名誉あるマドラサの建設は、神の御前で誠実に命じられた. 997 年に最も偉大で公正で知識豊富な首長、故Şemseddin Hanの息子である首長Şeref Hanによって建てられました】とあるらしい。997年は西暦で1589年に相当する。
こういうの読めたら本当にかっこいいし楽しさ100倍だろうなぁといつも思うけど、それいうならまずは自国の草書体の勉強からだよな とか、帰ったら勉強したいことがたくさんある。

入ってすぐの、メインホール。

 

中央のホールに開放する形で、左右対称な形で四方にいくつもの小部屋が開放してる。つくりはどこも簡素で、これといって目を見張るような構造物はない。

マドラサの近くにはいくつかの霊廟が点在していて、この建物は1394年没 Şeref Han一族の誰かの墓。

中には沢山の石棺が並んでいる。

Şeref Han Ⅰ; シェレフ・ハン1世の娘の墓 とある。

1421年没のシェレフ・ハン一族の誰か。1421年没ってあるけど、石棺がいくつもある。

他にも、敷地内にはいくつか古い建物が並んでるけど、現地の看板の情報が乏しくてよくわからん。

案の定、最後に金をくれと言ってきた少年。50回くらいダメだ言ったけど、それでも粘ってきたから 全然悪い雰囲気もなかったし、彼の執念に免じて10リラだけ渡してあげた。まさに根負けってやつ。

更に Bitlis; ビトリスの奥へと行ってみる。

アヒルたちがよちよちと道路を横断していく。

紀元前312年 アレキサンダー王の指揮官 Badlis; バドリス によって建てられた Bitlis Castle; ビトリス城。
ビトリス市内を縦断するビトリス川が2つに分かれた真ん中にある険しい岩山の上に建っている。

Blacks are special.

ビトリス市内へとつづく道、

東アナトリアで撮影した中でも 特に気に入ってる写真のうちの1枚。
ビトリス川と、その向こうにミナレット、なんともいえない 異国を凝縮したような風景が撮れてるなぁと思う。

橋を渡って、ガチャついた雰囲気の方に行ってみる。テネレで通り抜けられるんか?

町をうろうろしてたら おっさんらに強制招集されてチャイ定期。
ここで、Hasankeyf という街がいいよ と教えてもらって、その場で次の目的地が決定した。

ビトリス川の脇に広がる景色。

Hasankeyf へ

目的地が特に決まってない旅ならではの、次の目的地の決まり方。
ビトリスのおっさんらに教えてもらった Hasakeyf; ハサンキーフ に向かってみる。

テネレの外気温計で42℃  F*ck.

道中、どっかのガソスタ。
トルコ東部のガソスタでは たいてい数人のおっさん達がスタンド前の椅子にたむろってチャイを飲んでることが多い。
まぁとりあえずこっちに来てチャイでも飲んでいけ という感じだから、まぁとりあえずそっちに行ってチャイを1~2杯飲んで休憩する。

大地が焼けている。伝わって欲しい、この朦朧感。

やがて、広大な川が見えてくる。
これぞかの Tigris; ティグリス川。源流はやや北西にある Hazar; ハザル湖 といわれてるけど、ここもまぁほぼほぼ源流域に近い。

川幅が広くなる一画の北岸に、目的地 Hasankeyf; ハサンキーフがある。

メインの道路をはずれて、町に下りて行ってみる。

東西に流れるティグリス川の北岸には、まるで計画都市のように区画化された白い壁の建物が並んでいて奇妙な光景だった。
2000年代の終わり頃から、ここよりやや下流に建設がはじまったイリスダムの建設が深く関わっている。

住民や諸々の団体の反対を押し切って強行されたダムの建設によって 界隈の河川水位は大幅に上昇して 元来のHasankeyf の町は完全に水没してしまったのだ。現在みることのできる街は 住民の避難に伴って新たに建設された Yani=New Hasankeyf と呼ばれている。
そういえば、イラク南部を走ってる時も 上流域にトルコがダム建設をしたことでユーフラテス支流の水が干上がってしまっていた。イリスダムに関して、トルコは下流域に影響はないと言っているみたいだけど、まぁそんなわけはない。小舟で巡ったイラクの湿地帯が無くなってしまうのも時間の問題かもしれない。日本は他の国と陸続きの国境を有しないから全く抱く可能性の無い問題だけど、国境を跨ぐ長距離河川の場合、上流域を掌握する国は多くの利益を享受するし、逆に下流域の国は河川からの水供給という点で 多くを上流域の国に依存してしまう。イラクやシリアの場合 ティグリス・ユーフラテス両河川の源流域を両方トルコに握られているのだ。

İmam Abdullah Türbesi や Er- rizk camii が、川を挟んで集在するビュースポット。
町の水没に伴って、古代メソポタミアの主要都市のひとつだと考えられていたハサンキーフの遺跡のほとんどは水没して今は水の中に眠っている。「川に水没した古代の都市」と聞くと、なんともロマンチックではあるけど それが短期的な営利主義のダム建設によるものとなると、なんと短絡的なことなんだろうかと残念な気持ちになる。でもまぁ真意はわからない。イスタンブールのような集客性の無いものは たとえ歴史的な価値を鑑みてもダム建設によるメリットに抗えなかっただけかもしれないけれど。

そんな中でも、水位の上昇に伴って高台に避難された遺構もある。

そのひとつ、Zeynel Bey Tomb. ゼイネル・ベイは 主に15世紀、現在の東アナトリアから北西イランを支配していた アク・コユンル(白羊朝)の英主 Uzun Hasan; ウズン・ハサンの息子で1473年に戦死した。なのでこの霊廟もほぼ同時期につくられたと考えられている。

2017年に、上昇する水位から逃れるように、約2kmも離れた場所から移送されて今の場所にあるのだ。
ターコイズブルーとダークブルーのタイルであしらわれたデザインと、ドーム上の装飾が美しい。

ゼイネル・ベイ霊廟の周りでお土産なんかを売ってたみんなが、シュワルマ的な、ドネル的な 何かをご馳走してくれた。中にはいってるのがレバーで、皮が分厚くてかたくて、あんまおいしくはなかったけど、ありがたくいただいた。

この辺で野営したいというと、特別にゲートを開けてテネレを中にいれさせてくれた。

置いてあった本を手に取ってみてみると、水没前後のハサンキーフの全貌がよく分かる写真が載っていた。左が水没前、右が現在。もはや別世界。水没都市ツアー的な感じで、スキューバダイビングのアクティビティを開設したら、けっこう人集まりそうだけどなぁ。

あまりおいしくないシュワルマをがんばって食べ切ろうとしていると、花嫁さんが2組やってきた。
霊廟でウェディング・フォトってのはよくわからんけど、ランドマーク的な場所であればその実はあんまり関係ないのかもしれないし、もしかしたらとっても深い意味があるのかもしれないし。

せっかくテネレを入れさせてもらって この550年前の遺構の側で野営する機会を得たけれど せっかくならティグリス川沿いがいいなぁと思って川沿いの未舗装路に行ってみることにした。

あんまり良い場所は見つからなかったけど、川のすぐ近くになんとか落ち着けそうな場所をみつける。

地面には茨のような硬い茎質の植物が這っているから、斧を使って整地する けど、結局日が落ちても気温がさがらなくて、テントは張らずに地面の上に直接コットを置いて、その上で寝ることにした。そういや鉄板を溶接してつくった斧ケースは、今頃どうなってるだろうか、もうどこにあるかもよく覚えてない。たぶんメタボンさんの実家の車庫に預けたテネレの純正パーツ群と一緒だったかな。

テントがないと、当たり前だけど星空を眺めたまま寝落ちすることができるなんて、今まで気づかなかった。幸い風は弱くて、テントがなくてもそれなりに寝ることができそうだ。

つづく

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