【Republic of Turkey episode5】Van湖をめざして

どうもこんつくは、グレートエスケープ中の管理人です。

街歩きの後、少しだけくつろいだエルズルムを後にして 南東方向へと進んでいきます。

ここまでのルート

Erzurum →→→ Van へ

エルズルムを去って、更に南東方向へと走る。

Pasinler の街を通り過ぎる時、丘の上にみえた Hasan Castle; ハサン要塞。

東アナトリアの中部から北部にかけては、降水量も比較的多くて広大な農地が広がっている。
100%を超えるトルコの食料自給率を支えている。

Aras; アラス川にかかる橋。トルコを走っていると、Tarihi Köprü と呼ばれる歴史的な橋が至る所でみつかる。

灼熱のトルコでも、何も言わず 大量の荷物と自分をパワフルに運んでくれる 頼もしいテネレ。

道脇に現れた、大量のゴミ。BRICSを皮切りにグローバルサウスが勢力を拡大するのは もしかしたら良い兆候なのかもしれないけど、社会の隅々に浸透する細やかさと粗雑さのバランスは、甚だ西ヨーロッパに及んでいないなぁという気持ちを禁じ得ない場面は少なくない。

やや山間になってきた道を抜けていく。

丘陵地帯にポツねんと現れる村。

50年経てば大きく様変わりするかもしれない こういう何でもない風景の写真を撮るのが けっこう好きだ。

Köyceğiz Pond.

日本ではずいぶん前に野生種が絶滅して、兵庫県を中心に野生復帰の努力がつづけられているコウノトリ、トルコでは見る機会が多いからどういうことかなと思って調べてみると、中央アジアやトルコで見る機会の多かったコウノトリは、シュバシコウ(あるいはヨーロッパコウノトリ)とされて、日本で天然記念物となってるコウノトリとは別種のようだ。コウノトリの野生数は数千と絶滅危惧であるのに対して、こちらのシュバシコウは数十万の生息数とされていて数も多い。なるほど そういうことだったのか。

緑が薄くなって、台地が茶色に変わっていく。中央アジアでもコーカサスでもよくみかけた養蜂。
未だに地理条件の一貫性がなくて混乱する。少なくとも蜜源植物が沢山あるようには思えないような場所なんだけど・・・

川沿いの小さな渓谷に点在する家たち。

東ユーフラテスとも呼ばれる Murat; ムラト川。
かのユーフラテス川の主な源流だ。

肘の様子をみつつ、少しオフも入ってみたりしながら更に走って行くと、

やがて右手に広大な湖 Van湖が見えてきた。

湖畔につづく道をみつけて 下りて行ってみる。

何が残念って、やっぱりゴミ。せっかく美しい湖がいくつもあるのに、どこもかしこもゴミだらけ。
何事も近づきすぎると粗が見えるのか、ヴァン湖は 遠くから眺める方がいい。

ヴァン湖はトルコ最大の湖で、水深も最深部で450mと田沢湖ばりに深い。
流出河川がないせいで湖水は強アルカリ性かつ流入河川の水質の影響を強く受けて、水位の上下も激しいらしい。

とりあえず湖岸東にある街 Van; ヴァンに行って、ウラルトゥ王国時代に築かれたという Van Fortress; ヴァン要塞 をチラ見しつつ、

街のケバブ屋で腹ごしらえをする。
今思えば、ヴァン城塞の中にまで入って色々と探索すればよかったと思うけど、この時はすでに夕暮れということもあってそんなモチベーションがあまり湧かなかった。ヴァン城塞の一番魅力的な部分の写真も撮れてないし アケメネス朝時代の碑文があることも知らなかった・・・ この手の後悔は旅につきものよね・・・

Vanの市内に戻って、湖の周りを時計まわりに南側へまわっていく。

東トルコの道路には、チェックポイントが多い。
ほとんどの場合は素通りでOKだけど、稀にパスポートを確認される。強化アクリル製の防弾盾の後ろに、兵士がマシンガンを構えているのを見ると シリアを走っていた時を思い出して、何があってもおかしくない場所を走ってるんだなと改めて実感する。後にジモティに聞いたところ トルコ東部では一部過激なPKKが未だに存続しているようで、物物しい警備体制はそういった勢力に対する牽制もあるんだとか。2013年に停戦が合意されたものの、つい2年前にイスタンブールで爆破テロがあったように 根絶とは未だに程遠いようだ。これはダーイッシュ(ISIS)も同じ。

ヴァン湖の西側に太陽が落ちていく。早く野営場所をみつけなければ。

小さな住宅地をあっちにいったりこっちにいったり、目論んでいたキャンプ場は全然ダメだったり、

ようやくよさげな場所を見つけた時、ぎりぎりで夕日を撮るのに間に合った。

野営場所を探すのを手伝ってくれたクルド人の皆。
言うまでも無いことだけど、ほとんどのクルド人は心優しくて穏やかな人ばかりだ。特定の切り取り方をされて、エンハンスされたメディア情報で、いくらでも人々の印象は変わっていく。ただし、その「特定の切り取られ方」をされてしまうようなパーソナリティだったり、事象が存在するというのも また事実ではある。全ての視点を考慮して物事を決めるのが不可能なのであれば、特定の視野だけを抽出するのは仕方の無い事じゃないだろうか。重要なのはどれだけ多くの視座を鑑みたのかというプロセスと 決定に対する主体性じゃないかと思う。

この湖の湖底には、ウラルトゥ王国時代の古代遺跡が眠っているらしい。
向こうはまだ明るいけど、 手前からどんどん暗くなっていく。

テントを張ったテネレの後ろには星空が広がる。

不思議なことに、トルコ東部のよくわからん場所で、急に与謝野晶子の歌が思いだされた。
“夜の帳にささめき尽きし星の今を下界の人の鬢のほつれよ”
解釈はいずれにせよ、いま世のなかで起きているいざこざのなんと些細なことか と、星を眺めればみんなそう思えるんじゃないだろうか。
けど実際のところ、そのいざこざのせいで星を見る心の余裕さえ無いというのが現代のパラドックスかもしれない。

つづく

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