【Georgia episode 14】廃墟の街 Tskaltubo; ツカルトゥボ を巡る 改めて考える 衰亡の美学とは

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

クタイシの街でダラついている時、同じドミにいたアメリカ人の青年から
「ちょっと離れたところに廃墟の街があるから、興味があるなら行ってみれば?」
と教えてもらい、早速晴れた日に向かってみることにした。

荷物が外されたテネレはいつもよりどこか軽快に走るけど、荷重が減少して足つきの悪さにビビる。

ただの廃墟 写真集

クタイシの市内から北西に15kmほど行くと、だんだん道脇に廃墟が見えはじめる。
ツカルトゥボは古来から良水の湧く地として知られ、特に1920年代から温泉リゾートとして都市の開発がはじまったんだと。

特にソ連時代の1950年代には多くの療養施設やリゾートホテルが建設されて ジョージア共和国内で温泉リゾート地としての地位を確立して、年間沢山の人が訪れる場所になったらしい。


おそらく、その1950年代からしばらくが、ツカルトゥボの黄金時代で、訪れる観光客の多くはロシアからやってきていたという。

 


まぁそんなわけで、何も情報なしに写真だけみると、なんだかとんでもない歴史的な建造物群のある場所にきたような印象だけど、これらの建物は全部 それっぽく 建てられたものということになる。

部屋の中には、当時の生活の名残がいまだに感じられる。確かにここに人の暮らしがあったという痕跡は 何らかの形で部屋の空気にいまだ絡まりついている。


しかし、廃墟と廃墟をバイクで縫っていくのは なんて楽しいんだろう。ヨンダボで浮島の工場地帯に夜な夜な走りに行ったのを思い出す。


しかし、管理人も含め ある一定の人たちはなんで廃墟に惹かれるんだろう。

改めて考えてみてもよくわからない。
まぁ歴史的な背景とか 人々に見捨てられた経緯とか、いろいろこじつけられるとは思うけど つまるところ何かが滅んでいくのを、朽ちていくのを見たいという欲求があるようにも思える。


ソ連が崩壊して、ジョージアが国家として独立すると 国境の策定によってそれまでマジョリティを占めていたロシア人観光客が激減。
それに伴って街はどんどん荒廃していき、いまではごくごくマニアックな”朽ちていくものを見たい人”が年間数百人訪れるのみになってしまった。

廃墟は、確かに栄枯盛衰という言葉を具現化したようなもので、かつて人々の注目を集めていたものが 忘れられて 放棄された成れの果て、あるいはそこに向かう過程を目の当たりにしているといえる。


実はこの廃墟群には、人が不法に居住している場所がある。
90年代初頭のアブハジア紛争からの難民が収容された後、そのまま住み続けているらしい。

家は人が住まなければ死ぬというけど、不法ながらここに住み続ける人々の存在によって 完全に息絶える前の廃墟が首の皮一枚で生きながらえているように思えた。


万物は常ならざる、まさに諸行無常を言葉なしで語るのが廃墟だともいえる。


人間の営みやそれによって作り出されたものが、時間×自然の前では敗北以外の選択肢を持たないことに ある種の美学を感じるのは 全然共感できないことではない。


そこに改めて人の退廃的な感情、憂鬱だったり逃避 あるいは自棄が乗っかる事で 廃墟の魅力は死の偏在性といったニオいを持ち始める。

 


たぶんいつか渋谷のセンター街も中洲のラーメン屋も廃墟になる。

ウォール街のビル群も、パリの凱旋門も UAEのブルジュ・ハリファも全部廃墟になる。

それを目撃する”人間”がいるかどうかはわからないけど、その時はきっと「あぁここに人が暮らしてたんだな」なんてノスタルジアが観測されるんだろうか。


ひとは 自分の体力が衰えたり、肌に皺が増えるのを忌避する反面 過去を振り返って己の人間的な成熟に安堵する。
若さが持つ鋭さや美しさが、危うさとバランスをとりながら研磨されてきた過程を知っているからだと思う。

朽ちてゆく廃墟を前にしたときの、情景美とかそこにちょっとだけ含まれる畏怖みたいなものは たぶん普段綺麗な建物とか 清潔さがまわりに溢れて日常となっている人にしか訪れないもので、それは非日常を目の当たりにすることで 自分を含めた環境に流れる時間軸を意識するからかもしれない。

ノスタルジアというのは、単純な回顧ではなく あくまで現在と過去を比較して後者を美化しがちな文脈で用いられるべきと 誰かが言っていたような。そういう意味では、人間的成熟に対する安堵感と 去った日々への懐古 という一連の流れの収斂先として 衰亡の美学があるのかもしれない。人が生きてきた過程を時間軸として俯瞰して、それを目の前で朽ちていく建物に投影して最終的にだれもが向かう死の普遍性と時間の不可逆性を感じる それが廃墟のもつ魅力の一面だといえる。


とまぁ自分でも何言ってるのかよくわからなくなってきたけど、ジョージア北西に潜む廃墟の街を テネレで徘徊することで そんな事を考える1日になったのであった。

つづく

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