【Georgia episode9】ドゥシェティの山を下り、スターリン生誕の地 Gori; ゴリの街へ

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

なかなかの悪路を進み、冠雪の山稜に囲まれながらの野営を経て辿り着いたArdoti Guest House.
ただただのんびりと過ごした後、再び山を下り、次の街へと移動します。

ここまでのルート

Ardoti にて

ゲストハウスでの朝食。この薄皮のパンケーキみたいなのにジャムを塗って食べるのが好きだ。
中央アジアやイランでは、似たような薄皮に いちごにかける練乳のようなのをつけて食べてたのを思い出した。

部屋からの眺め。
もうダラダラするしかない、これは。

テネレのカバーにひっついていた甲虫は、一見カミキリムシのようにみえるけど これはジョウカイボンのなかまだ。

日がな1日、そこいらを散歩して、

思い切り時間を浪費する。

Sayaがくれたマグとシェラカップも、すでに旅の道具として馴染んだ。

洗濯ものも気持ちよさそうだ。

贅沢な1日はあっという間に過ぎて行って、山頂を覆う雪がオレンジ色になっていた。

夕飯はこんな感じで、ボルシチにハチャプリ、ハンバーグにポテトスープ、サラダにパンとチーズ と、とても食切れない・・・
ジョージアでも 食事に関しては大めに出して残すのが普通 というやや中国に共通する文化があるようだ。

Datvisjvari 峠を東から西へ越える

翌朝、突き抜ける快晴に恵まれて、再び来た道を戻る。

まぁなんか身も蓋もねぇはなしをしたら、こんな山の中までひぃひぃ言いながらやってきて、特に何をするわけでもなく時間を弄してまたひぃひぃ言いながら来た道戻るって、何やってんだろ?とは思う。

特に下りのダートは怖い。テネレはABSを遮断できるようになっているけど、それとは関係なく 急勾配の大粒ダートだと 止まらずに滑って行ってしまう。いつかちゃんとオフロードの講習とかも受けてみたいな。ってか本当は250のオフ車とかで練習すべきなんだろうけど。

何回も何回も折り返しながら つづら折りをゆっくり下っていく。

あそこで草を食んでる牛からはいいミルクがとれそうだな。

とはいえ下りは早い。上った時の、「これいつまで上んの??」感はなく、

すぐに1本道の終着点へと下りたった。道脇に積み重なる頁岩。

再び Andakistskali 川の脇を、今度は北上していく。

ジョージアの山道で度々見かけるソビエト製トラクター DT75.
放棄されてるのか、現役なのか?砂利が押し固まったキャタピラからは “使い込まれた機能美” が放たれている。

予備のジェリ缶だろうか。隙間からはエンジンが覗く。

廃れ方的に、除雪ではなくて主に崩落の処理に使われてるのかな。後部の懸架方式もメカメカしくて👍

なんとな~く現タイヤの空気圧最適解は、このくらいのフラットダートで 前 Mitas E-07: 1.7 、後 Michelin Anakee ADV:1.9 kgf/cm2 といった具合。

そしていつも、同じ道を帰るときは、来た時よりも楽に感じる。

ほんとにあの家には人が住んでるんだろうか??
冬前には違う場所に移動するのか、あるいは尋常じゃない量の買いだめをするのか、はたまたヘリコプターで物資が供給されるのか。

あっという間にAnatri の最北点を折り返し、Shatili の城塞まで戻ってきた。

今度は Arghuni川の脇を南下していく。

生まれたてと思われる子ウマが、他の大人ウマに守られながら駆けてゆく。

割と穏やかなフラットダートを抜けた後は、

Datvisjvari峠に向かって、今度は東側からののぼりがはじまる。
ここは一部ロッキーで、なかなかにエキサイティング。

道幅が狭くなる場所では、すぐ脇に断崖とその下を流れる急流が見える。

アルグーニ川の西側へと渡って、更に南へ南へ走っていく。

出発前に夢にまで見たような景色の中を、本当に自分のバイクで走ってるんだなと 改めて思い返す。
当たり前になってしまった日常を、これは特別なことなんだと再起させてくれる そいういう道だった。

およそ7万キロに渡って未だドライブスプロケットもドリブンスプロケットも、クラッチも交換していないんだが、みんなこんなもんなのか?パラツインの場合、シングルに比べて駆動系に対する負担は少ないと聞くけど やっぱSunstar 、DID と、日本製の鉄製品は素晴らしいと身をもって実感してる。

だんだんと標高はこの道の最高地点に近くなって、道脇に雪が出てくる。

緑と茶と白が織り成す、南コーカサスの一画。

そうして Datvisjvari 峠の頂上にやってきた。

行きに貼ったステッカーを確認して、

今度は西側に峠道を下っていく。

延々と伸びていく道が見える。

順調に下っていくと、だんだんと民家が増え始めて、

半舗装路のような道になり、

羊の通行規制(定期)を経て、

完全に舗装路に戻って来た。なぜかテネレの側で寝込むわんこ。

空気圧を元に戻して、エナドリ休憩をはさんだら、Gori の街に向かっていく。

Gori; ゴリの街へ

舗装路に復帰した後は、しばらく羊の大群を突破するのに時間がかかって、

Zhinvali Reservoir まで戻って来た。

一度トビリシの北7~8km 地点まで戻ってから、ひたすら西へとハイウェイを進む。

60kmほど進んだところで、Gori; ゴリの街に到着した。

ただの Gori 雑景

その場で決めたゲストハウスに入ったら、ゲートを開けた時に中の犬が出てしまい オーナーのおばちゃんがいきなりご機嫌斜め。
ゲートも渋くてなかなか閉まらないし、ここは失敗したなぁと思ったけど まぁ長居はしないからいいや。

ゴリ中心の広場。

ゴリはスターリンの出生地として有名だけど、地政学的に東西の中心に位置するため、中世ジョージア王国の衰退後は、15世紀からトュルク系やペルシャ系などの支配・そしてジョージアによる奪還を 19世紀ロシア帝国に併合されるまで幾度も繰り返した街なのだ。

南オセチアとの国境に近いこともあるのか、2008年のロシアーグルジア戦争ではロシア軍の爆撃によって民間人も死傷者を出している。

いまでは平穏そのもののゴリ市内。こういっちゃあなんだけど、特に大きな特徴のない街並みではある。

ゴリ市役所と、ゴリ大聖堂のドーム。

Okona Church.

街のシンボルは、中心の丘にそびえるゴリ城塞だ。

北側に回って城塞を見上げる。

現在の姿はおそらく修復や増築の後の姿だと思うけど、元々ここに城塞が築かれ始めたのは紀元前にまで遡るという。
それはジョージア王国が成立するより遥かに昔のことで、交易ルートの防衛が目的だったと考えられている。

街の西側を縦走する Liakhvi 川。

路地雑景。

謎のオンボロ車と、バンパー下にエアフィルターが突き出たKawasakiカラーのBMW.

これはいわゆる輸出モデルのHornet 600 で、海外仕様の場合は Hornet CB600f となる。
かなり色々手を加えられてるようだけど、この直管みたいなアクラボは一体どんな音がするんだ・・・

半地下の店が多いのは、どこの街もそう。

ちょっと浮いてる Gori Public Service Hall.

そういえば、街にシナゴークがあるから行こうと思っていたのに、
忘れてしまった・・・・
それに、スターリン・ミュージアムにも なぜか全く行く気が起きなくて 行かなかったんだけど、今になって外から見るだけでも行っとけばよかったと後悔している。

てなわけで、超適当なゴリ写真集でした。

おまけ

最近やたらと Ostri; オーストリにハマってる。
他のも試してみなきゃと思いつつ、これを頼んでしまう。

つづく

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