こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。
アルメニアとトルコの国境は “完全閉鎖” なので、トルコに行くためには一度ジョージアに戻る必要があります。
イラン経由でトルコへ行くことも可能ですが、イランを通過するためには既に失効したカルネの再発行が必須で色々とめんどいので、ジョージアへと戻ることにします。
ここまでのルート
ジョージアへ再入国
アルメニア、ジョージア国境にて。
アルメニアに入国した時に保険に加入したブースからおっさんが出てきて、ジョージア側の保険に入らないと罰金をとられるぞ、としつこく客引きをしてくるのをガン無視して写真だけ撮らせる。
ジョージア側の保険にアルメニアじゃなきゃ入れないわけないだろ。
アルメニアの出国は簡単に済んだ。入国時にもらった何かしらのペーパーが見つからずに焦ったけど、ファイルの奥底に挟まっているのを見つけて何とか窮地を逃れた。
ジョージア入国の際には、なぜか「以前入国した時に保険に未加入だった罰金」が課せられた。なぜ今? ジョージアから出国の時に言ってくれればいいのに と思ったけど、確かにロシアからジョージアに入国した時、雨がひどくて保険ブースを見つけるのが億劫になってしまい 未加入だったのは事実だからおとなしく支払いを済ませて入国。
国境から数キロ走ったところにあるブースにて、ジョージアの保険に加入。
保険代は概ねSIMカードと同じような価格設定。
ジョージアもアルメニアも、ローカルSIMのインターネットが無制限なのは本当にありがたい。
再びトビリシにやってきた!
クラ川沿いの見慣れた景色に なぜか少し安心する。
トビリシでは、以前同じくトビリシで偶然出会った Saya と再会。
Saya はトルコやハンガリーの旅を終えてジョージアに戻ってくるということで、2人でキャンピングカーをレンタルして一緒に旅する計画を立てたのだ。
No carnet
No covid
No inspection
Declaration letter was collected
Face Photo
No Carnet
No Covid
Face photo
No inspection
Vehicle insurance: 20₾ 15 days
キャンピングカー ゲット
ジョージアに戻って来た翌日、既にSayaが予約をしてくれていたキャンピングカーの受け取りに行く。
トビリシの中心部は、相変わらずの雰囲気だ。多くの旅人がここで沈没してしまう理由が、なんとなく分かる。
問題のテネレに関しては、キャンピングカー旅の間 以前トビリシで知り合ったフランス人サイクリストのアレックスが預かってくれることになった。ありがとう、アレックス!
5月の半ばだけど、快晴だと気温は30℃を越えてかなり暑い。
レンタカーの場所がよく分からないと伝えると、どうやら迎えにきてくれるみたいなので それまでこのイカしたBar で買ったアイスコーヒーを飲みながら待つ。
そしてやってきたのがこちら! Ford Transit がベース車両の Campervan.
バンを見た時の最初の印象は「デカい」「マウンテンデューじゃん」の2つ。
6速MT で、ステレオや電子ロックといった”最近の車”の電気制御はついている様子。
水回りとIHヒーター。ルーフにソーラーパネルが取り付けられていて、晴れてる限りはほとんど電気の心配はない。
室内設備に対するバッテリーのサプライは車のバッテリーとは完全に分離している。
冷蔵庫も完備。
他、温水は出ないけど、シャワーとトイレが、車体後方にはテーブルと変形式のベッドルームも装備されていて、まさに動く家だ。
勝手にマウンテンデュー号と命名して、Let’s get it started.
Sighnaghi で最初からダラダラ 編
さて、いよいよキャンピングカー旅が始まった。
正直、こんなにデカいマニュアル車のバンを運転するのは久しぶり過ぎて不安はあったけど、まぁ走り出してしまえばなんとかなるもんだ。
車重は3,5t 近く、車格もこのデカさだから バイクでちょろちょろと走り回るのとは違う。今回はジョージアの東側に絞って、特にあてもなく彷徨う方向で旅を開始した。人によってはこの無計画さに不安を抱くこともあるかもしれないけど、Saya とはその辺の波長も近く、「とりあえず、行ってみよー」というノリで出発した。
ジョージア南東部に広がる平原。車をとめて、写真を撮る という一連の動作も、実はバイクより車の方が楽だったりする。
いいな、車旅も。
まず最初にやってきたのは、東の一大観光地(?) Sighnaghi; シグナギ。
シグナギの街はとても小さいけど、街を囲んだ城壁 Sighnaghi Wall や、まるで中世のような街並みが有名で、アクセスもいいから ジョージア内でも屈指の観光スポットのよう。
城壁に上ってみると、360°街の東西南北を遠くまで見渡せる。
丘の向こう側を見ると、まるで万里の長城のように壁がつづいているのが見える。
城壁から下りて、街の中を少し散歩してみる。
パステルカラーの壁面に石畳、いまはお土産屋となっている古い石積みの家、
赤茶色の屋根が相まって、確かに街は独特のかわいらしい雰囲気がある。
シグナギはカーペットでも有名なんだろうか?地産のものなのか、観光客が多いからとりあえず置いてるのか。
一通り散歩したら、マウンテンデュー号に戻る。
キャンピングカーって、本当に家みたいなもんだから 宿も場所もきにする必要なくて精神的にすごく楽だ。
まぁヒルバーグ×ウェスタンマウンテニアリングという最強コンビを積んでのバイク旅も同じようなもんだけど、やっぱり設営場所には神経質にならざるを得ない。
帰り道、ワインを買おうとお店に寄る。
シグナギ産のワインや、ジョージアン・ウォッカのチャチャが並ぶ。
気のいいワイン屋のおやじ。試飲と盛大にこぼす分で、価格の1/4くらいいってるんじゃないかと突っ込みたくなる。
ペットボトルに注ぐスタイルで、赤と白を買ってみた。
シグナギの丘から望む Alazani; アラザニ盆地。
この日は近くにあったレストランで夕飯を済ます。ジョージア料理の Ostri; オーストリは、おおむねビーフシチューのような感じでとってもおいしい。
後ろのハッチをフルオープンにして、半屋外のような状態にすれば 初夏のコーカサスの夜風にあたりながらワインを飲むなんて乙な真似ができる。
翌日も、朝はコーヒーを飲みながらダラダラして、
街へ散歩にでかける。
わたあめ売りのおやじや、
相変わらず目を惹くカーペット。
知らない街をなんの制限もなくふらつくのは本当に楽しい。
が、ジョージア人男性はどこかいつもDepressedな雰囲気だ。
スカーフや網人形。
公園ではいつも同じおっさんがバスキングをしていた。
この日からは自炊を開始。Saya作、なんだろう パプリカ on チーズド・マッシュルーム うまい!
次の日も、なんだか「心地いねぇ~」とか2人で言いながら移動せず、stay in Sighnaghi.
シグナギ・ウォールを歩いて買い出しに行っては、
マウンテンデュー号で自炊したり(料理はほとんど Saya がしてくれた)、
後部スペースでPC作業をしては、
洗濯したり、
昼間っからワイン飲んでは、ギター弾いたり、
なんと贅沢な時間を過ごしたことだろうか。
結局、最初のストップであるシグナギに3泊もしてしまったのだった。
シグナギにいる間、ずっと無償で番犬を引き受けてくれていたスクービー。
足が短い犬って、めっちゃかわいいよね。
シグナギにいる時、Sayaから最高に嬉しいプレゼントをもらった。
管理人が自作した Riding The Globe のロゴ入り木製のマグと、同じく Riding The Globe のロゴが入った燕三条産のシェラカップだ。
どっちも日本の職人が造った唯一無二のギアで、いつでも使えるようにMoskoのバックパックの中に入れておくことにした。
これから使いこんで、色が変わっていくのが楽しみだ👍🔥
東の果てへ アゼルバイジャンとの国境を見てみよう 小さな教会脇編
翌日はさすがに移動を開始する。
ただ地図上で、「道の果てっぽいから」という理由で次の目的地を決めた。
シグナギの街から東へつづく道に戻ったところで、シュワルマ屋をみつけ腹ごしらえをする。
なぜか皆の前でギターを弾く流れになり、see you again を弾いてみた。案外いい感じに反応してくれてよかった。
その換わりといっちゃあなんだけど、シュワルマ屋の外にあった水道からタンクに給水させてもらうことができた。
キャンピングカー旅ではいかに効率よく道中で給水を挟むかが重要だというのを、今回学んだ。
おしくらまんじゅうの牛を積んだノロノロトラックが、前をゆく更にノロノロなトラックを果敢に追い越してゆく。
まぁマウンテンデュー号もかなり遅い部類だから、あまり無理はせずゆっくり進んでいく。
運転中は、いわゆる懐メロを2人で思いだしながら、あの時はこの曲が流行ったとか その時は小学生でどうの~と平成前期ちっくな話題で盛り上がった。
結論、「YATTA! by 葉っぱ隊」と「ナンダカンダ by 藤井隆」が最高に秀逸でハッピーな曲だということが再認識できたのであった。
“何だかんだ夢見たって、問題ない世の中です” とか本当その通りだわ特に日本は。
20代前半から年金の心配してる杞憂の天才たちに真意を考えてみて欲しいもんだ。
ほとんどジョージア最東部の一角にまでやってきた。
人口はとっても疎な様子で、たまに小さな厩舎が遠くに見える。小さな池で水を飲む馬が、なんとも田舎に来た感をそそるじゃないか。
路肩に泊まっていると、すれ違いの車が近づいてきて「問題ないか?」と声をかけてくれる。
どこの国も、田舎の方が 大都市では感ぜられない親切を感得する機会が多いらしい。
道は時おりAlazani; アラザニ川と1kmほどしかない距離まで近づく。この川が、アゼルバイジャンとの国境だ。
そんな感じでどんどん東に進んでいくと、終末点漂うゲートがあらわれた。この道路の東の果て、Sabatlo; サバトロ の街の入口だろう。
サバトロの街から、少し北へとのびる道を行けば、アゼルバイジャンとの国境までいけそうなので、マウンテンデューをそこいらに停めて歩きで向かってみることにした。この時も、道行くおばちゃんが、いきなり焼きたてのパンを分けてくれたから、歩く前にしばしパン休憩。
まぁ予想はしていたけど、さすがジョージア東の果ての村。こんな感じの平屋が建ってるだけで、見事に潔くなにも無い。
野放しとなったブーがいる、この道をいく。
道端に咲く野花。
最近雨つづきだったのもあって、道はなかなかぬかるんでる。
綺麗に白黒な2頭の馬たち。
Saya は生まれも育ちも北海道だから、管理人より動物の扱いは弁えてる。
どこまでも延々とつづくブドウ畑のあぜ道をてくてくと、歩いていくこと、、、30分くらいだったか、
突然左手にイネのような金色の絨毯があらわれる。これは陸稲ってやつか?
そして右手には まさに国境をなす アラザニ川が。
アゼルバイジャン入国証明写真(入国してない)を撮影。
アゼルバイジャンの陸をこの目で確かめ満足したから、また来た道を戻る。
ブドウ畑だからなのか、土がやたらと粘土質で、歩いてると靴があっという間に厚底になる。
2人ともmontbellのレインウェアだったもんで、勝手に motbell 宣材写真をイメージして写真を撮ってみる。
モンベルさん、どーすか? 宣材、ここにあります。
サバトロの村はあまりにもなにも無かったので、Samtatskaro; サムタツカロ という村まで少し西に戻って来た。まぁここも何もなかった。が、おそらくほとんど観光客なんて来ない小さな村に、いきなりアジア人2人が乗ったマウンテンデューがやってきたからか、自然と村の子供たちが集まってくる。
ちょうど教会があったので、中をみてみたいというと、子供たちが中へ案内してくれた。
その後、今度は子供たちの前でギターを弾く。
みんな静かに聞いてくれて殊勝なもんだ。
そしたら、お返しなのか 今度はみんながジョージアの唄を歌ってくれた。たぶん国歌だったのかな、わからんけど 何とも素晴らしい異文化コミュニケーションだった。
ずっと村で一生を終える子もいれば、いずれトビリシに行って企業で働く子もいるだろう。そんな折、ふと昔日本からの旅人に出会った事を思い出してくれたら嬉しいもんだ。
一度マウンテンデューに戻って夕飯を食べる。Saya 作、ペペロンチーノ Good Good !!
夕飯を食べた後、教会のトイレを貸してもらおうとうろついていたら、修道士たちが中に招き入れてくれた。
修道士の子供をみていたら、管理人はなぜか昔ネット界を賑わせた「キーボードクラッシャー」を思い出してしまった。
キーボードクラッシャー改めチョコレートクラッシャーは、明らかに年齢にそぐわない量のチョコを過剰摂取しなさって候。
管理人がギターを弾いてる動画を見せると、子供のような目で「おれもギターもってるよ」と Harley Benton 製の黒レスポールをもってきたグレゴリー。残念ながらアンプが見つからず、音は出せなかった。
Kochebi Lakeの湖畔 編
明くる日、グレゴリーに礼を言おうと教会を覗くも どうやらいないみたいだから、不躾かもしれないけど そのままサムタツカロの街を去る。
また適当に、「ちょっと西にあるこの街に行ってみようか」くらいのノリで走っていると、道端にヒッチハイカー発見。
名前は、難しくて忘れた。 まぁヒッチハイカーというか ジモティの便乗待ちだ。
最初内装がキャンピング仕様と気づくと乗るのを断ろうとしたジモティ、つまり座る場所が無いと思ったんだろう。
後ろに座れるよと教えてあげると乗って来たが、その後結局一度も後部に座ることはなかった なんやねん。
ジモティはどうやら Tsnori; ツノリ という街に行きたいらしい。ややおれらの目的地とは違ったけど、急ぐ旅でもない故 乗せてってあげると、友人の家に連れてってくれて、
給水させてもらえた。これこそ気持ちよいくらい分かりやすい Give & Take.
その後、ツノリの街で壊れたテーブルを修理するためのドライバーを探していると、釣り具屋のおっさんが近くのタイヤ屋でドライバーを買ってきて渡してくれた。お金を払おうとしたが、いらないとの事。まったく、そんなに優しくされたらこっちの親切バロメーターがもたないぜ👍
シュワルマ屋で腹ごしらえをした後、少し東に戻って Dedoplis Tskaro; デドプリスツカロ という街にやってきた。
この辺りは~ツカロという名前の街や村が多いらしい。
街のバザールで、壊れたサンダルの後釜や、簡単な食材の買い出しを済ませる。
デドプリスツカロの街の奥に行くと、そこには Lake Kochebi という湖があった。
湖の畔というのは、バイク旅でも一番最高の野営スポットになる。
さっそく、昼間もらったドライバーでテーブルを修理して、
夕飯を食べる。
夕暮れ時、曇天の向こうがわずかに焼けて 美しく静かな夜の湖がやってくる。
Lagodekhi の河原編
早朝外に出てみる。まだまだ寒いけど 澄んだ空気が体中に満ちて気持ちい。湖は霧に包まれて、幻想的な雰囲気だ。
朝ランニングに出かけた Saya がいつの間にか連れて帰って来た子犬たち。
と、そんな子犬たちをバンの中から怠惰に激写するおっさん。
管理人も動物には懐かれる方だけど、それを差し置いて更に犬猫に懐かれるSaya.
ここ2日ほど曇天がつづいたせいで、ソーラーパネルからの充電が追いつかず ややバッテリー残量が心もとない。
湖から撤収した後、ガソスタで充電させてもらえることになったけど、いくら待ってもバッテリー残量が増えない・・・
なにかプロセスが間違ってるのかと思って、色々試すが たぶん充電用のコード自体が途中で断線してる疑惑が濃厚だ。
結局外部電源からの充電は諦めて、お礼に給油。ディーゼル指定👍
今回マウンテンデュー号から学んだことは多いけど、その一つに、内装へサプライされる方のバッテリーも オルタネータから充電できるようにできたらいいなぁ という点だ。
デドプリスツカロから、再び西へ戻る道をゆく。
バイク旅だと、曇天はけっこう嫌気がさすことが多いけど、車はいつ雨が降ろうとさして関係ないから 本当に心強い。
旅の手段ってのは、つくづくトレードオフで バックパッカーから自転車、バイクに車と それぞれに利点と欠点がある。
自分にとって最高なのはバイクだけど、こうやって車旅を経験することで新たに発見できたことは驚くほど多い。
このデカいMT車にも慣れてきて、運転も楽しい。ただ、2速のトルクが弱すぎて、たまにエンストする。
途中、またしてもヒッチハイカーに遭遇。今度は正真正銘(?)まじのヒッチハイカーだ。
今まで自分が受けて来た恩を鑑みれば、当然スルーはできない。Saya 曰く、だいぶ長い時間待ち惚けている様子らしい。世界2周の経験があるSayaは、その辺を察する能力も高い。
ポーランドからのハイカー3人組は、Lagodekhi; ラゴダキ という街に行きたいらしい。またしても目的地とは違ったけど、元々拘りのある目的地じゃないから 彼らの行きたい場所まで乗せて行ってあげることにした。キャンピングカー旅のとても良い側面のひとつに、こうやって人助けができることがあるのにも気づかされた。
ちなみに、明らかに荷物満載のテネレで走ってるのに、ヒッチハイクを仕掛けて来るクレイジーなジモティは各国に存在する。中東や東南アジアじゃ、原付に4~5人乗る光景が当たり前だからなぁ・・・
ラゴダキの街を走っていて、偶然発見した河原。
もう完全に最高のロケーションなので、当初の目的地はどこだったかも忘れてここに落ち着く。
ラゴダキはアゼルバイジャンとの国境に近く、更に北には国立公園が広がってるからか、ハイカーには人気の街のようだ。
この日は魚のホイル焼きをつくってくれた。
夕飯を食べた後河原でくつろいでいると、どこからともなくやってきた老齢の紳士 その名もオットーが、近くでゲストハウスをやってるから遊びにこないか 的な感じで招待してくれた。食べかけのキュウリとトマトのサラダを持ち込んで、半屋外に設置された素敵なキッチンでワインとチャチャをご馳走になった。明日の朝、朝食を食べにくる約束をして マウンテンデュー号に戻るのであった。
翌朝は一気に快晴となった。
朝、約束通りオットーのゲストハウスに行くと、
ご近所さんを交えて 朝食の準備が始まっていた。
ジョージアの素敵な朝食は、かなりボリューミーだ。
焼きたてのハチャプリ(いわゆるハチャプリとは違う、チーズピザのような感じ)や、
中東のシャクシューカのような卵料理も。
ヒマワリのオイルをベースにしてつくられた自家製のドレッシングが秀逸においしい。
同じく自家製のチェリージャムもいい甘さ。
これは、タラゴンという名前の草で、あまり他の国のバザールでは見かけたことが無い。
ドレッシングに付けられた独特の風味はこいつ由来のようだ。
半屋外キッチンの目の前には、広々とした庭が広がっていて、様々な種類の果物や野菜が育てられている。
庭で摘んだ材料をつかって、そのまま料理に使うってのは まぁ田舎では普通なのかもしれないけど 都会で育った管理人にとってはとても豊かなスタイルに感じられる。
ご近所さんの家にいたにゃん。ちゃんとこっちの顔見て来るのがなんと愛らしい。
天気は快晴で気温は高いけど、それでも全身浸かるのは気が引けるほどキンキンに冷えた川の水。
川で洗濯する女。
川で髪を洗う男。
薪を集める女。
オットーが再び、どこからともなくやってきて、管理人の道具を興味深そうにみている。
ストライカーの使い方を教えてあげたが、彼の人生で役に立つことはあるんだろうか。
運転席のドアと後部ハッチを使って物干しをつくって、この快晴を機に一気に洗濯を済ます。
洗濯ものが乾いた後は、ラゴダキの街にでかける。
中心となる通り。
スーパーマーケットと、街の八百屋が ほどよく共存できてるのは、消費者たちの無意識的な選択によるものなんでしょうか。
相変わらず、旧ソ感ただよう集合住宅や廃屋は どの街にいても健在。
側溝にカメラのレンズキャップ落として、助けてもらってるの図。
街の教会は西日を浴びて外壁がより赤橙色に輝いている。
短い間ではあるけど、すでに愛着がわいてきたマウンテンデュー号。
バイクとは違った、完全に四方を守ってくれる心強さがある。
河原に戻ったら、午前中Sayaが集めてくれた薪をつかって火を起こす。
ここ連日雨が降ったせいで、薪の乾燥はイマイチ。なかなか火が安定しないけど 辛抱強く息を吹く。
昨日出会ったポーランドのヒッチハイカー3人とは、午前中偶然再会して 夜一緒に焚火をする約束をしていたのだ。
意外にも、火吹き棒はあんまりメジャーな道具じゃないらしく、「これいいね!ポーランドに帰ったら買おうかな」と絶賛だった。
この写真も、火吹き棒の宣材にピッタリだな。
火は安定し、投入していたジャガイモは完全に灰になってしまった。肉を焼いて、ワインを飲んで、お互いの国の話をして、時間は過ぎてゆき、全てのものが焚火臭くなってゆく。
3人が彼らの宿に帰った後は、残った薪を全投入して黒魔術の儀式を行っといた。
Alazani 河畔編
朝、この日も快晴。
昨日八百屋で買ったフルーツを食べて、
トビリシ方向へと向かっていく。
今日も特にあてもなく、なんとなく河原あたり くらいの感覚で進む。
Eniseli という村からアラザニ川沿いへ出ようとするも、細すぎる農道につき引き返す。
切り返しのタイミングでタイヤが側溝に落ちたけど、なんとか持ち上がってくれて助かった。
道の途中、大きな城塞と教会が崖の上に見えて来た。
ここは Gremi; グレミ という街で、現在のジョージア東部カヘティア地方を15-18世紀に治めていたカヘティ王国の最初の首都だった場所らしい。
階段をのぼって教会に近づくと、外壁の修復中のようで足場が組まれていた。
Archangel’s Church; 大天使教会は 1565年 ペルシャの侵攻を受ける前の16世紀、カヘティ王国が最も栄えたといわれる時代に、当時の君主 Levan; レヴァン王の指示で建設された。
教会内部。
柱の側面やアーチ下面まで、完全に内壁を覆う形で描かれたフレスコ画。
ブドウの木をモチーフにしたシャンデリアがなんて素敵なんでしょう。
教会裏から崖下をみると、やっぱりデカいな 我らがマウンテンデュー号。
大天使教会のやや南側には 別棟の鐘楼が建つ。
振り向き美人。
教会を去って、また近くの村で買い出しをした後、アラザニ川を挟む浅い峡谷上の美しい台地を見つけた。
気持ちのいい緑の絨毯が延々とつづく。
思わず座り込むSaya.
マウンテンデュー号といい相棒感出てるけど、明日でお別れだ。
ん?! 寝てる!
しかしこうやって毎日ちょうどよく素晴らしいスポットが見つかるジョージアは、Wild Camping スタイルで旅するには最高の国のひとつかもしれない。西ヨーロッパやアメリカじゃ、そこらへんで勝手にキャンプすることは基本的に認められていない。
崖の下につづく道を発見したので、そこを下りてみると、
やっぱり最高の場所が広がっていた。アラザニ川は、アゼルバイジャンの国境部分より大分川幅が広くなっている。
Cliff × Mountain Dew
缶詰の炊き込みご飯と、白魚のホイル焼き by Saya.
バン内でのほとんどの自炊作業を Saya に任せてしまった。どれもおいしかったよ👍!
夕方、アラザニ川の西側の空がきれいに染まる。
トビリシ帰還
朝、羊飼いたちの行脚で目を覚ます。
牧羊犬たちが怪しい車を発見して近づいてくるも、どうやら問題なし判定を受けたようだ。
雲一つない快晴。ソーラーパネルからの充電はほぼMAXにまで回復していた。
川の東側に移動していった羊たち。
朝ごはん。
あぁ~~出発したくないなぁ~ という表情の管理人。
が、今日はマウンテンデューの返却日だ。ひとしきり、最後の怠惰な朝を過ごしたら、
いよいよトビリシへ戻る。
途中通った街で、一応最後の給水。
カヘティからカルトリへの州境をわたる道路は、
途中からなかなかの悪路にかわる。こんな重い車体でべーパーロックを起こしたらお手上げなので、下りは特にゆっくり走る。
途中、丘の斜面に養蜂箱が並んでるのをみつけて、
はちみつを味見させてもらった。
めっちゃ濃厚だけど、中央アジアよりは割高だ。
はちみつおじ 2人組。
その場でWhatsapp を交換し、写真を送ってあげたら 大層ご満悦な様子のはちみつおじであった。
Mlashe Lake にて。
当初の返却時間は過ぎていたものの、無事トビリシに 無事故無違反で帰還。
このわずかな時間で愛着のわいたマウンテンデューともお別れとなった。
キャンピングカーで旅したのは初めての経験だったけど、これは最高寄りの最高で楽しいかもしれない。
相棒感ではバイクに敵わないけど、霹靂が轟こうが雹が降ろうが、外界から守ってくれる車というはやっぱ圧倒的安心感がある。
日本に帰って余裕ができたら、いつかベース車両を買ってコツコツと自分仕様のキャンピングカーをつくるなんて新たな夢がインスパイアされるほどに、今回の旅はよかった。
なにより、8日間旅をして 全くストレス無く一緒にいることができた Saya に感謝。
世代が近く、旅の経験が豊富で 自ら会社を経営するからこその強いメンタリティを持つ彼女がいてくれたおかげで、素晴らしい日々を過ごすことができた。もとより今回のキャンピングカー旅を提案してくれたのも Saya だ。
長く1人で旅をしていると、それによって得られる自由も その代償となる孤独も 今ではよく分かる。
だからこそ、こうやって人と何かを共有することでしか得られない愉しみを 一入に感じることもできるかもしれない。
いずれにせよ、ジョージアの違反謹慎期間も含めて数多の因果の末、彼女と出会えたことにも感謝だ。
ってなわけで、キャンピングカー旅を終えて、またバイク旅に戻ることにしよう。
つづく