【Republic of Armenia episode 8】アルメニア南部へ Tatev; タテブの街と崖下の廃村

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

幸運にも泊まらせてもらえた部屋で無事朝を迎え、更にアルメニア南部へと進んでいきます。

ここまでのルート

Zorats Karer

昨夜は暗くてよく見えなかったけど、こんな建物だったのか。
1晩世話になりました。

この日も快晴に恵まれて、ほぼ360°を山々に囲まれた景色のなか、昨日おっさんが指さしていた方の丘の上にのぼる。

標高1,770mに位置する高原には、巨石だったり、そんなに巨大でもない石が、規則的なような、そうでもないような感じで並んでいた。

21世紀に入ってからの研究によれば最古のもので紀元前18世紀にまで遡るらしい。新しいもので中世13世紀の埋葬品もあるというから、とんでもなく長きに渡って人々の生活に関わって来た場所なんねぇ。

巨石の配列をずっと北に追っていくと、端はまた深い渓谷になっていた。

巨石は概ね南北に配列されてることや、いくつかの岩に空いた穴は天体の観測に適していることから、以前は「世界最古の天文台」という学説もあったみたいだけど、未だ発掘されてないエリアもあるみたいで 定かではない。

いずれにせよ、雪山をバックに巨石が磊磊と並ぶ様は妙に神々しく、不敬にもペタペタ触ってご利益をお願いしといた。

遺跡の周りで出会った昆虫たち。
ハナムグリが花弁をまさぐる姿には猫に近しい愛らしさを感じる。

Tatev; タテヴへ

見てくれ、このすがすがしいを具現化したような道を。

羊飼いの夫婦かな。

アルメニア独特の石造りの家が並ぶ田舎の風景。

だんだんと道は山がちになって、小さな村をいくつも通り過ぎる。

驚くほど近くに猛禽が迫って来たので、慌ててバイクを停めて望遠を取り出すも、構えたときにはもう遠くに飛んで行ってしまっていた。

Tatev Monastery; タテヴ修道院

つづら折りにつづら折りを重ねた山道をのぼって、再びヴォロタン川を挟む峡谷の崖の端にやってきた。
ここには、やはりアルメニア中にある数多の修道院の中でも最も有名なもののひとつに数えられる Tatev Monastery; タテヴ修道院が建っている。

ゲートを通って修道院に近づくと、周りは修道院というより城塞のような壁で囲まれていた。

城壁北側にあいた入り口から中へはいってみる。

城壁の階段をのぼってみると、北東端に位置する St. Astvatsatsin Church; 聖母教会 がある。北側からの景観で左側に見える教会だ。
城塞中央に位置するメインのSt. Paul and Peter Church; 聖パウロとペテロ教会が建てられた後の1087年に建てられた。

敷地中央に鎮座するSt. Paul and Peter Church; 聖パウロとペテロ教会。
建設されたのは895年から906年にかけてで、当時シュニクの司教座がここにおかれていた。教会の西側に位置するガビットは今まで見てきた修道院のなかでも特に立派だ。

ガビット正面。

アーチの下面にも細かな装飾が彫られている。

ガビット上部に鐘楼を伴うのではなく、ガビットのアーチ中央に直接鐘が下がっていた。

重厚な柱と、教会の西ファサードのハチュカル。

教会内部。男が2人、司祭のような人に頭を垂れて、なにか文言を暗唱してもらっていた。懺悔と贖罪だろうか。

北側の壁。
建設後間もない930年には内部がフレスコ画で装飾されたらしいけど、現在はほとんど確認できない。

教会の南の壁の一部は St. Grigor Tatevatsi の霊廟となっていた。彼は14世紀タテヴ修道院の長であり、並はずれて優秀な学者であったという。

教会の南側へまわると、南側の壁にはアーチ状の装飾と、1787年に増設された 先の St. Grigor Tatevatsi 霊廟がちょこんとくっついている。

その更に東側に、聖パウロとペテロ教会にぴったりとくっつくような形で併設されている St. Gregory the Illuminator Church; 啓蒙者グレゴリウス教会。836年から848年にかけてはじめてつくられた教会は12世紀の地震で完全に破壊され、1295年に再建されている。

教会南側に無造作に並ぶハチュカルと、

壁面のハチュカル。

教会の南東には、なにやら不思議な柱が建っていた。
この柱は Gavazan; ガヴァザン といって、つくられたのは906年。他の構造物が、度重なる侵略や地震によって損壊・修復を繰り返す中、つくられた当時から唯一ほぼ原形をとどめ今に伝わる驚異的な柱なのだ。

そのガヴァザンのすぐ近く、敷地の南東の端は 司教館という一見地下牢か何かかと思うような建物で囲まれている。

内部は複数の部屋が狭い通路やトンネルで繋がってる上に、階層構造も相まって本当にダンジョンのようだ。

タテヴ修道院は峡谷の崖の端に建っているから、司教館の壁の向こうはまさに断崖の端になる。

ダンジョン(司教館)の南東壁からの景色。

とある一室に入ったら、物置になっていた。

都市伝説好きが好きな16花弁紋。

修道院の北西側の城壁内部は、ミュージアムを兼ねている。

 

主に古いハチュカルが展示されていたけど、正直外に放置されているハチュカルとの違いはわからん。

教会の見学を終えて一息いれていると、何だか賑やかな音が聞こえて来たとおもったら 花嫁さんとその取り巻きが入って来た。
どうやらこれから教会内で挙式のようだ。

城壁の外の北東側に建つこの簡素な建物は、13世紀に修道院に併設する形で建てられた当時の搾油工場だ。

オリーブや種を潰す巨大な石臼。

圧搾した種などから油を抽出するための巨大な機械。

当時はこんな感じで、巨大な木の柱をテコ状に上下させることで、支点部分に置かれた目的物を圧縮していたらしい。

タテヴ修道院界隈のLADAたち。エレバンのドミトリーで一緒になったロシア人に LADAが欲しいって言ったら、全力でとめられたなぁそういえば。

Wings of Tatev; 世界最長のロープウェイ

こんなアルメニアの田舎町だけど、実は世界最長のロープウェイとしてギネスに登録されてるケーブルカーが運航している。
エレバンで泊めてくれたアルメンから教えてもらっていたけど、修道院のほぼ隣に乗り場が併設されていた。

建設したのはオーストリアのDoppelmayr/Garaventa Group.
2,200万ドルを投じて2010年にオープン。
ちょっと高かったけど、せっかくなので往復で乗ることにした。

同乗したアルメニア軍の若者たち。アルツァフ共和国が消滅した今、彼らの心境はどんなもんなんだろうか?
将来カラバフ紛争が再燃すれば、彼らの中の誰かが前線で命を落とすこともリアリスティックだなぁとか 写真を撮りながら考えてしまった。

ロープウェイの全長は5,752m.
天気に恵まれて、確かに景色は最高にいい。さっき走って来たつづら折りがよく見える。

運行時間はだいたい15分。単純計算で23km/h くらいの速さだ。ちょっと料金は高めではあったけど、まぁここまで来たらせっかくなんで乗っておくべしだと思う。

Tatev; タテヴの村散策

ロープウェイから帰った後、修道院からほど近いタテヴの村を散策してみる。

なんかロシア製ってだけで妙にかっこよく見えるトラクター。

廃墟も多い。

しかし廃墟かと思ったら中から人がでてくることも多い。

アルメニアの田舎を存分に味わえる村徘徊だった。

Devil’s Bridge

今回のアルメニア旅は、タテヴを最南ポイントとして、また北へと戻る。

つづら折りの道路と Vorotan; ヴォロタン川が交差するポイントに、いわゆる魔橋とよばれるポイントがあったので、渓谷を下へ降りて行ってみる。

途中からほぼ垂直のはしごとロープをつたって降りていく。これは怖い。

渓谷下からの景色。やっぱり今の季節は流れが速くて、川を渡るのもけっこう勇気がいる。

ミネラルを多く含んだ鉱泉の影響で、様々な色に見える岩壁や鍾乳石。
ものは試しで口に含んでみるも、味が強すぎてとても飲めたもんじゃなかった。

Old Khot の廃村

再び道路に戻って来た道を戻っていく。

落石で一時通行止めになる。

途中、Khot という村に寄ってみる。現在の街のはずれに、Old Khot という廃村があるというのだ。
廃村だの廃墟だの、場合によっては廃棄物まで 「廃」という字がつくものに惹かれるのはなんなんでしょう。

ダートを進んで廃村があると思しき方向に行ってみるも、一向にそれらしきは見えてこない。

すると、崖の下につづく道を発見したが、、、、
うーーん、これはテネレで行くのはやめておこう。

やっぱりテネレで来なくて良かったと思う道が延々と折り返しながらつづく。
テネレで来なかったのはいいけど、この道を今度は上りで戻らなきゃか、と思うと気が重い。

途中で突然現れたこいつは、一見ヘビのようだけど実はトカゲの仲間で、いわゆるアシナシトカゲの類。
顔をよくみると確かに瞼があって外耳孔もある。この廃村を守ってるのかな。

一体崖上から何mくだっただろうか、もはや何回折り返したかもわからないほどに悪路を下った先に、突然現れた Old Khot の廃村。
勝手にアルメニアのマチュピチュと命名したいほどに印象的な景色じゃないだろうか。

KKKか、あるいはベルベル人の伝統衣装を彷彿とするような尖がり屋根が目を惹く。

岩壁によって守られた天然要塞のこの村には、驚くことに1970年代まで人が暮らしていたらしい。

アクセスはかなり悪いけど、これは廃墟好きにはたまらないですねぇ。

洞窟住居からはじまり、徐々に石造りの家屋が拡張していったらしい。山肌の斜面に建ち並ぶ廃墟群の中には、最も古いもので5世紀、保存状態のよいもので12世紀ごろの教会も含まれている。
大変だったけど、これは来てみてよかった。帰り道には運よく地元の車でも通りかかって乗せてくれないかと期待したけど、まぁ人っ子一人通すらしなかった。

ぜぇぜぇ言いながらようやくテネレを停めてたところまで戻る。

その後も、Khot近くの廃納屋なんかをみつつ、

ハイウェイを北方向へ進む。

途中、分岐を東へ向かうと、山の上から Goris; ゴリス の村が見えてきた。
アルメニアはどこも、メインの道路から山道を上るか下るかして近辺の街に到達する。

今回は山上から道を下って街へ入る。

たまたま見つけたドミトリーが清潔で値段も安かったので、少しこの街にとどまって周辺をまわってみることにしよう。

つづく

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