【Republic of Armenia episode 2】古の修道院を巡り、首都エレバンへ

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

アルメニアに入国し、セヴァン湖畔にて野営をした後 更に南下をつづけて首都エレバンを目指します・・・が、
その前に色々と寄り道をしていきます。

ここまでのルート

Sevanavankへ

朝起きると、テントの周りには犬が2頭いた。海外で野営をしはじめてからというもの 野犬はろくなもんじゃないから嫌いだったけど、今回の子たちは吠えもしないし襲いかかってもこない とても穏やかな犬だった。

だんだん日がのぼると暑いみたいで、テネレの影に入ってきたがるのがかわいい。

朝のセヴァン湖。昨夜は真っ暗でなにも見えなかったけど、北西部にあたるこの位置からはずいぶん穏やかな湖に見える。
セヴァン・トラウトという固有種も生息していて、水鳥の繁殖地としてラムサール条約にも登録されている。

標高は1,900m と、世界でも有数の高地に存在する大型の湖で さすがに水はキンキンに冷たい。

さて、撤収作業を終えたら セヴァン湖の北西部に半島のように突き出している場所に行ってみる。ここにはSevanavank; セヴァナヴァンク という修道院がある。かつてはここはセヴァン島という形で完全に湖岸とは離れていたらしいけど、ソ連時代の灌漑によって水位が低下して いまでは半島化して渡ることができる。

青い空に、広大な高原湖をバックとした古い修道院が聳える様は、本当にファンタジーの世界観。
向かって左が Surp Arakelots (“聖なる使徒”)教会、右が Surp Astvatsatsin(“聖なる母”)教会。

874年、後にアルメニア王となるアショット1世の娘 マリアムによってつくられたという。

いずれも質素な印象の石造りで、ドームとそれを支える部分が八角形をしている。
どちらも、修道院内部は公開されていないようだった。1950年代に修復作業があったようだけど、1150年前の構造物がこうして健在なのは、石造りの大きな魅力だなぁと思う。しかし逆に、600年代初頭につくられたという法隆寺が、木造にも関わらず現存しているのは驚異的なことなのかもしれない。

ハチュカルと呼ばれるアルメニアン・クロス。
9世紀ごろからつくられはじめたというこの精緻な石の彫刻は、アルメニアを旅するとあらゆる場所で目にすることになる。
初期は墓石と近しい意味合いでつくられたハチュカルには、その製造時期や文脈によって様々な志向性をもつようだ。

修道院につづく道には、お土産屋やファストフード店が並んでいた。

この石のナイフは今思えば買っとけよかったかな、、、特にこの青い石でできた刃は綺麗だった・・・

絵画や、アルメニアワインも。

修道院の奥につづく道をさらに丘の上へとのぼっていくと、開けた場所からセヴァン湖を一望できる。西から東を望む形になるので、東側の湖岸むこうに冠雪の山稜が並ぶ。

丘に自生していたブドウムスカリ。学名にarmeniaが入る。ムスカリの一種は人類最古の埋葬花として知られる。

Kecharis Monastery

Sevanの街をじっくりみてもよかったかもしれないけど、まぁとりあえず進む。
ここTsaghkadzor;ツァグハゾール はどうやらリゾート地らしく、それっぽいロッジみたいなのが沢山建てられている。

少し逸れてやってきた Kecharis;ケチャリス修道院。

11世紀から13世紀にかけて、アルメニア貴族のパフラウニ家とプロシアン家によって築造、増築されたという。
向かって左がメインの大聖堂である St. Grigor; 聖グリゴール教会、小さな三角屋根が St. Grigor; 聖グリコール礼拝堂、その右のちょっと小さな尖がり屋根が Surp Nshan; 聖ヌシャン教会、一番右が Katoghike; カトギケ教会。
Kecharis とは「4つの教会」を意味するらしいけど、うちひとつは地震で崩壊し、今は3つの教会が残る。

聖ヌシャン教会とカトギケ教会を西側より。カトギケ教会は13世紀。

カトギケ教会内部。

自然光の採光。

教会内部の壁面にも、ハチュカルや教会独自の彫刻がある。

聖ヌシャン教会。11世紀。

内部。

聖グリゴール教会の西側には、ガビットとよばれるアルメニア教会特有の回廊部分がある。

西側から入り、ガビッド内部を覗く。重厚な4本の柱にはアルメニア文字が刻まれている。ガビッドは12世紀後半。

奥に(東側に)、聖グリゴール教会がつづく。

聖グリゴール教会内部。1013年 これらの中で一番最初につくられた構造物。

敷地内のハチュカルたち。

教会の裏側にも。この十字架の下側が魚の尾ひれのようになったデザインはよく目にする。

Hovhannavankへ

アルメニアもジョージアと同じく脇道天国だ。
メインの道路から少し逸れてダートに入ると、視界の開けた絶景に出会えることが多い。たまに思ってたよりヤバい道になってあえなく引き返すこともある。

ケチャリスから南西方向へ進み、脇道へ寄り道しつつ

Ohanavan; オハナヴァン村 にやってきた。
この季節はあちこちでチェリーやリンゴの木に花が咲いて、風が強い日は花吹雪の中を走ることになる。これは嬉しい予想外だった。

やってきたのは Hovhannavank; ホバンナバンク

どうやら結婚式が行われているようで、参列者と思しき人達がせわしなくしていた。

聖堂への入口部分は即ちガビットの入口で、壁面には不規則にハチュカルが彫られている。ガビット部分は1250年 ヴァチュティア朝のクルド1世によってつくられた。

結婚式の参列のためか、民族衣装を纏う女性たち。

大聖堂部分のドーム。アルメニア教会特有の傘型屋根。

ガビット内部。重厚な4本の柱とそれらを繋ぐアーチ。天井部分は列柱で支えられた半球のドームから採光される。

ガビット内部のハチュカル。

奥の洗礼者ヨハネ教会では、やはり挙式が執り行われていた。

教会のシャンデリア。

満員状態で、教会内部の写真はさすがに撮れなかったけど、まじのキリストのような見た目の主教が花嫁の前でなにやら文言を唱える様子を見ることができた。教会部分は1216-1221年、先のクルド1世の父 ヴァッシュ1世によってつくられた。

ガビット内、教会への入口の左側に 別で小さな入口がある。

ここの奥にある 単廊式の聖堂部分はなんと4世紀 アルメニア使徒教会の創設者である啓蒙者グレゴリウスがこの地に建てた教会跡にまでその由縁を遡るというから、アルメニア最古の教会構造物のひとつといえる。勿論今見る事のできる大部分は度重なる改修後のものではあるようだけど…

Amberd Fortress に向かうも・・・

英名の無いオハナヴァン村の小さな教会。

特に観光スポットとなっていない修道院や教会の内部は、概して誰もおらず、静寂で、涼しい。

なぜかひっくり返ったBMWを眺めつつ、

夕暮れの山岳道路を上ったり下りたりしながら進んでいく。
標高はわからないけど、おそらく2,000m前後だろうか、日が落ちはじめると一気に冷える。

突如雪の塊が目の前に現れて、行く手を阻まれた。
この先、あと10分も走れば Amberd Fortress という要塞に辿り着くんだけど、まぁ仕方ない 季節があわんかった。
レバノンの雪山を思い出す。もうあれは御免だ。

まぁせっかくなんでそこいらの丘に登って雪景色でも眺める。が、どうやらやばめの分厚い雲がゴロゴロいいながら近づいてきやがる。

そしてロシア製LADAの4×4で何度も雪塊に突っ込んでいくジモティ。いやいくらなんでも無理だろ 、でも面白いからどうなるか眺めてよう、と様子を見守っていると、でかいスコップを取り出したり、今度はバックギアで突っ込んだりと色々散らかしたあと諦めて引き返していった。

そしてそんな雪塊アタックLadaを眺めてる時話しかけてくれた Armen.
なんと、誕生日が1日違いの同い年だった。
1日違いで盛り上がって、そのままその流れでArmenの家の庭に泊めてもらえることになった。
この辺でテント貼ろうと思ってる と言ったら、山間はオオカミが出るからやめといた方がいいと言われた。
それに今夜は雨も降りそうだし、本当にラッキーな出会いだった。

Armen は外国人観光客相手にツアーの仕事があるので、一度別れてエレバン中心方向へと進む。
雨は降ったり止んだり、途中でヒョウになる。

エレバン中心に着いた後、しばらくカフェでArmenが帰宅できる時間まで時間を潰した。

Armen が送ってくれた自宅の位置情報に向かい、庭にテントを貼らせてもらう。
アルメニアワインをご馳走になりつつ、アルメニア南部で訪れるといいスポットとかを教えてもらった。

おまけ

つづく

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