【Republic of Tajikistan episode 1】タジキスタンに入国 ~首都ドゥシャンベを目指して

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

ウズベキスタンのフェルガナ付近にて、親切な方の家の庭に宿を確保し 翌朝タジキスタンへの国境を目指します。

ここまでのルート

タジキスタンに入国

朝、撤収作業を終えると Adarjohns の奥さんが手招きして朝食までご馳走してくれた。ほんとにありがとうございます。
残念ながら あんなに優しくしてくれたAdarjohns は既に不在で、直接礼を言えなかった。

奥さんに、彼にも感謝を伝えて欲しいと、身振り手振りで伝えるしかない。

そして、また国境を目指す。キルギスへの入国から出入国つづきだ。ひたすらに農地に挟まれたまっすぐな道を進む。

タジキスタンとウズベキスタンの西端の国境は2か所あるんだけど、そのうちの近い方に向かったら、ここは通れないよと言われてしまった。もう1か所の方へ行くように促してくれたおっちゃん達。

そしてやってきた、ウズベキスタン→タジキスタン 国境。

ウズベキスタンの出国は、入国の時と同様簡単なものだった。通関時に警察犬の入念なチェックが加わったくらい。

タジキスタンの入国も、予想していたよりずっと楽だった。

通関と思しきブースにて、オフィサーにこの紙を発行してもらうまでに少し待ったくらい。
あと、おそらくこの紙の発行料だと思うんだけど、USD10 を支払うことになった。その後、結局入国時に荷物検査はなかった。

Border Information
Border Point : Патар (Tajikistan)
DEPARTURE
No carnet
No covid
No fee
Only minor inspection & dog inspection
ENTRY
No Carnet
No Covit
USD 10 → for customs document ?
Face photo
No inspection

タジキスタンのVisa に関して

タジキスタンは、基本的に短期滞在であればビザなしで入国できる。
が、多くの旅行者はパミール高原を旅するため、ある程度の期間が必要となり、首都ドゥシャンベにある OVIR という施設に出向いて滞在登録やパミール高原を含む Gorno-Badakhshan Autonomous Province への渡航許可証, 通称 “GBAO Permit” を取得しに行かなければならない。

管理人は、パミール高原へと向かう前にオイル交換や道具の整理など、ドゥシャンベの宿でそちらに注力したかったので、事前にオンラインでGBAO Permit を含む eVISA を申請した。
タジキスタンのeVISAは ➡【Tajikistan eVISA 】このサイトで申請できる。

これが実際に発行されたタジキスタンのeVISA. これで、ビザもパミールの許可証も兼ねてくれる。
申請時に提出した顔写真に関して、「この写真は鮮明ではないのでダメだ」と、計3回も送り直したのに、結局発行されたビザには写真が使われていないっていう・・・
実は申請時、「宿泊先のホテルや、旅程計画も提出してくれ」 と指示されたんだけど、「バイクの旅で、ホテルはとってないし、明確な旅程なんてない」と返信したら、なぜか後日発行してくれた。費用は USD 50 とやや高め。

後に分かったことだけど、ビザは発行せずに、先述のように現地でOVIRに出向いたほうが、滞在許可やパミールの許可証にかかる費用を含めても安上がりのようだった。面倒を鑑みても安く済ませたいのであれば、eVISAは申請せずに現地でパーミッションを得た方がいい。

てなわけでタジキスタンに入国。

Kayrakkum Reservoir

国境を越えてからの道は、しばらくひどかった。工事区間の未舗装路がつづき、舗装路も穴だらけ亀裂だらけで、高速ではなかなか走れない。

風景的にはウズベキスタンから特に大きく変わることもない。フェルガナ盆地の農地がつづく。

途中から舗装状態もよくなり、だいぶ走りやすい。

田園を眺めつつ、

ひどい凸凹の農道を越えて、 タジキスタン北西部にある巨大な貯水池 Kayrakkum Reservoir の近くまでやってきた。

せっかくだから、水着に着替えてしばらく泳いでみる。湖畔は沼地のようになっていて、あまり気持ちのいいもんではないけど、既に気温は30℃を越えて暑かったから、かなりいい水浴になった。内陸国のタジキスタン人にとっては、ここが”海”なんだという。

このままこの場所で野営してもいいなと思ったけど、地面はところどころ湿地帯のようになっていて、そこらじゅうに馬糞が落ちているのでやめた。ハエも夥しい。

タジキスタン第2の都市 Khojand

湖から上がって、再び南へ走りはじめる。

タジキスタン国旗前にて。

 

街並みはとてもきれいで、中央アジア最貧国の呼び声が信じられなくなる。

そしてタジキスタン 北西部ソグド州の州都、かつタジキスタン第2の都市である Khojand; ホジャンドに到着した。
早まって ZET-Mobile というキャリアのSIMを買ってしまったんだが、後に分かることだけど タジキスタンでは Megafone というキャリアの方がいい。特に辺境に行くと、Megafone 以外は全然繋がらない。

ホジャンドの街を少し散策してみる。この街は、2,500年以上前には既に古代ペルシャの城塞が築かれるなど 中央アジアで最も古い都市のひとつといわれている。

Mausoleum of Sheik Muslihiddin.
12世紀、ホジャンドの詩人であり為政者であった Muslihiddin の廟だ。12世紀につくられた時は、泥レンガの簡素な墓だったらしい。モンゴル帝国の侵略によって破壊された後、14世紀に再建されたものも再び破壊され、現存している廟は16世紀に再建されたものと、その後に近くにつくられた複数のモスクやミナレットを含んだ複合施設となっている。

ミナレットと、近代的な金曜モスク。

近代的な金曜モスクの脇には、中央アジア独特の、木製の柱と渡り廊下。色々な時代に、様々な思惑で築造されたものが1か所に集まっている。

柱の彫刻や天井の雰囲気と雨どい。

天井の一部に残った、これはアラベスクと呼んでいいんだろうか。

そんな廟の前は広い広場になっていて、

Panjshanbe Bazar へと連なっていく。

巨大な窯の煮込み。

スイカの荷下ろし?

どこもかしこもフルーツと野菜の山。

クッキーがこんなに。

屋内にも市場がつづく。

ドライフルーツや、様々な種類のパンが多かった。

Mug Tepe Fort

ホジャンドの街を後にして、再び南方向へと進む。
広大で美しい田園風景が広がる。件の貯水池からホジャンドを横断するようにながれる Syr Darya; シルダリア川から豊富な水が供給されるんだろう。

ホジャンドから少し南西に走ると、

ほどなくして Istaravshan; イスタラフシャン の街が見えてきた。

イスタラフシャンもホジャンドと同様、およそ2,500年 すなわちアケメネス朝の勃興と同等くらいまでその歴史を遡る古い都市だという。なにやらWelcom の門があったので、寄り道してみるも、

完全に村の狭い道路に迷い込んでしまったようで、引き返した。

メインの道に戻って、イスタラフシャンの名所、Mug Tepe Fort にやってきた。

現在見る事ができるのは、近代になってから再建された 明らかに新しい城壁になってしまっているけど、ここはイスラーム以前 まさにホジャンドやイスタラフシャンがある現タジキスタン西部を中心に暮らしていた農耕民族 ソグド人の砦があった場所らしい。
イスラームの侵略(ウマイヤ朝)に対して抗ったソグド人の王 Divashtich;ディバシュティッチが処刑された場所でもある(722年)。その後はウマイヤ朝によってアラブの砦が築かれたらしいけど、それがいつまた壊されて、その後どういった経緯で現在の形になったのかは不明。

門の中に入れそうだったけど、現存の建物にはさして興味もわかなかったので 門の外から眺めるだけにとどめた。

Mug Tepe は小高い丘の上に建っているので、上からはイスタラフシャンの街が一望される。

門へつづく坂の途中には、戦士たちの像が何体も並んでいた。情報が少なくて、これが誰の像なのかよくわからないんだけど、たぶん(たぶん)イスラームに抗ったソグド連合の王たちなんだと思う。

ソグドの故郷で野営

この日も「きっといい場所あるさ」戦法で道路脇をちらちら確認しながら野営地を探す。日が落ち始めてまたもや焦っていたところ、メインの道路から逸れて丘の上に走っていける場所を発見。

早速テントを設営する。アライ山脈を南へ越える手前なので、気温的には全然寒くもなく、快適だった。

どこかで手に入れた缶詰と、Adarjohns の奥さんが別れ際にくれたパンを夕飯にする。今から1,500年とかそれくらい前、ソグド人の隊商がラクダに跨ってまさにこの場所を進んでいたんだろうなぁ。

そんなことを考えたり考えなかったりして就寝。

つづく

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