【Islamic Republic of Iran episode28】リフレッシュしたテネレでイスファーハーン巡りのつづき

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

ようやくオイル交換と諸々の清掃を終える事ができたテネレ。これでイスファーハーンでもタスクが終了したので、あとは適当に各所を巡ろうと思います。

ってなわけで、イスファーハーン巡り Part.2

Jameh Mosque of Isfahan

イスファーハーンのとある路地を抜けて、

やってきたのは イスファーハーンの Jameh Mosque.

イスファーハーンのJameh Mosque はその規模も大きく、周囲のアーケードも複雑に入り組んでいる。どこが入口なのかはよく分からないけど、とりあえず突き当たったバザールの入口から入ってみる。

衣類や雑貨などの日用品が多い印象。

女性が羽織るヒジャブもデザイン豊富。

飾り方・・・

いくつかのコリドーを抜け、

一旦広場にでると、モスクの入口が発見できた。どうやらこの広大なモスクには複数の入口があって、その内ひとつだけが常時一般開放されているようだ。

内部に入ってみる。中庭は55×68m のスクエアで、南西側をメッカ方面とした長方形の配置になっている。それぞれの辺に異なった特徴のイワーンがあって、この4つのイワーンは全てセルジューク朝期につくられたものだけど、同時期ではなく、12~13世紀にかけて異なった時期、異なったデザインでつくられている。どうしてそのようなつくられ方となったのかはよく分かっていないらしい。

南西に位置するメインのドーム前のイワーン。11世紀セルジューク朝期の建築。

イワーンのムカルナス アップ。

イワーンの美しいタイルワークとデザイン。

ドーム内部。イスファーハーンのJameh Mosque は770年代の建築と非常に古い。現在の概観に至ったのはおよそ先述のセルジューク朝の頃らしいけど、この南のドームの建設もおそらく同時期。広大なモスクの各所に施された拡張や増築が、それぞれどの時代のものなのか 専門家の間でも意見が分かれ、はっきりしない部分があるらしい。

ミフラーブの前では、何やら準備がおこなわれていた。

北西側のイワーンと、

ムカルナス アップ。

南東側のイワーンと、

ムカルナス アップ。

そして北東のイワーン。ここだけは深く半屋内のようになっていた。

各イワーンを結ぶ回廊はレンガ造りの列柱でアーケードを成している。

同区画内に異なった時代の多様な建築様式を見る事ができるイスファーハーンのJameh Mosque は、世界遺産にもなっている。
まったく、OMDで撮影ができないのが悔しいが、光量がしっかりあればTG-6 もなかなかしっかり写るもんだ。

モスク裏側の路地にて。

New Julfa の教会群

イスファーハーンの街を横断する Zayandeh River の南側には、New Julfa と呼ばれる地域がある。ここは世界でも最も古いアルメニア地区で、17世紀の初頭からアルメニア人によって築かれてきた。それ故に教会が複数密集している。
Julfa 自体はアルメニアのナヒチェバンにあった地名で、それを地名として持ってきたようだ。New York とかと一緒だ。

Saint George Armenian Church 前にて。

Julfa 地区の街並み。美しいイスファーハーンの街の中でも、更に洒落た印象があった。

Bethlehem Church. サファビー朝 アッバース1世の頃 アルメニア商人によってつくられた。

内部は想像以上に絢爛。

天井部分。

中にいるのはきっと皆シーア派のムスリムという不思議。一般的に十字軍から同時多発テロまでをイスラームとキリスト教の2項対立と認識しがちだけど、ムスリムはキリスト教徒やユダヤ教徒を「同じ聖典の民」として認識している。

入口脇には多くの壁画が。

これはまさに地獄絵図。

Julfa 地区をさらに歩き回る。ペルシャ語の路上ミュージシャンも。

この長い塀で囲まれた教会が、Vank Cathedral.

時計塔の下が入口になっていた。

1606年、オスマン・サファビー戦争の影響で強制移住させられたアルメニア人移民たちによってつくられた。Vank はアルメニア語で修道院を意味するらしい。

内部にはミュージアムが併設されていて、当時のアルメニア人の暮らしを知ることができる。

メインの礼拝室内。

シャンデリア~天井。

また、地獄絵図。終末論~アフターライフ の概念はゾロアスターから一貫している。

この混雑具合。恐るべきNoo Luz.

また別館にもかなりしっかりめのミュージアムがある。16世紀~18世紀をメインにアルメニア教会に関するものやイスファーハーンの工芸品など、多数の展示物を見ることができる。

Bell Tower 下の石碑。こんなような石碑が、境界の敷地内には沢山置かれている。

サファビーの古都イスファーハーンにて、現代のムスリム達で賑わうアルメニア教会だった。

Vank Cathedral 前の通り。

路上の本屋。

いい感じのコーヒー屋には、かわいらしいマグが沢山並んでいた。

橋巡り

イスファーハーンを横切る Zayandeh River には、特徴的な橋が沢山ある。

Khajoo Bridge

川の両サイドには緑が多く、どこも綺麗に整備されている。それでもゴミを捨てる人は多い。

なにやらイベントが行われているけど、あの赤いヤツはポンキッキのムックにしか見えないんだが・・・

これが Khajoo Bridge.

橋の上から。

Ferdowsi Bridge

美しい公園にテネレを停めては橋を巡る。

Ferdowsi Bridge.

橋の上から。

Si O Se Pol Bridge

今度はバイク置き場があった。

Si O Se Pol Bridge は初日に Kamir たちと来た橋だ。 33のアーチを意味する。水面のリフレクションがきれい。

Zayandeh River の夕日。

Separ との出会い

イランの新年 Noo Luz に加え、中東諸国では一斉に Ramadan が開始した。Ramadan; (イランでは ラマジャン と発音しているように聞こえる) は、太陽の出ている間断食となるので、当然店はほとんどやっていない。

どこも閉まってるな~ なんて考えながらタラタラ走っていたら、珍しく(日本)国産車のライダーが走りながら声をかけてきた。
カワサキから送られたパーツがイラン国内でアッセンブルされているらしい。それって、いわゆるノックダウン生産じゃん。

彼の名前は Separ.
よかったら家にこないか?ということで、例のごとくお邪魔させてもらうことにした。

Separ 一家は金商品の商いを専門としているようで、どうやら相当裕福な様子。彼の家のガレージにテネレを停めさせてもらう。

Separ のおじさんの愛車はBENDAという中国製のVツイン。

ケバブとイランの伝統料理(また名前聞くの忘れた・・・)をご馳走になった。

Separ のいとこは日本語を勉強しているということで、持ってきてくれた日本語の教科書。

漫画のコレクションも持ってきてくれた。鬼滅の刃 ペルシャ語バージョンだ!

紅茶の葉もいろいろと種類があるようで、緑色のが気になると言ったら、それを淹れてくれた。

味は中国茶に近い。なんだか久々にアジアを感じた。

 

夜はSepar の親戚一同が集まるってんで、参加させてもらうことになった。
ピアノを弾いたり、ギターを弾いたり、

Ryuも弾けるだろ?! という無茶ぶりにもなんとか応え、

またもイランの文化の心臓に、少し触れたような気になった。

つづく

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