こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。
ウルミアの街で無事ビザの再発行&延長をし、次の目的地を目指します。
再三北部のアルメニア国境付近まで行くか悩みましたが、全体的な期間を鑑みてここから南東へと向かっていきます。
ここまでのルート
Zarrine River に沿って南下
ウルミアの街から南へ。
Hasanlo Lake にて。
山間の高原道路を進んでいく。
道脇にあらわれだした謎の小屋(小屋ですらないが)。
ここはMiandoabの街だったかな、ここから主要幹線道路を外れて高原へとはいっていく。
平原の向こうに丘陵が、そしてその奥に雪山が連なっていく。
そんな写真を撮っていたら、車を止めて声をかけてきてくれた女性陣。どうやら近くに(たぶん)バイクでも行ける美しい場所があるから行ってみないかと教えてくれた。
一度舗装路を離れ、車に付いていくと、
羊飼いが行きかう川沿いの景勝地に辿り着いた。
Zarrine River は概ね23号線に沿ってKazemi Dam までつづく。
夏はみんなここで泳ぐらしい。確かに、ここでキャンプとかサイコーだろうなぁ、一瞬行程を遅らせようかと考えたけど、思いとどまってこのまま進むことにした。
わざわざ教えてくれてありがとう!
沃野を越え Takht-e Soleyman へ
彼女たちに別れを告げ、
どうか雨は降らないでくれと願いながら、曇天の雲の下雪山に囲まれた道を進んでいく。時おり分厚い雲と雲の境目から日がさすのが遠くに見える。
あの雲の裂け目の下に向かわないかなぁとか思うけど、そううまくはいかない。
辺りは一面雪に覆われる。気温は3℃くらいまで下がっただろうか、さみー。寒いけど、これこそバイク旅の醍醐味と思える景色がつづく。
アップダウンと共に雪が現れては消え、雪がなくなると 広大な沃野が眼前に広がる。
再び姿を現したZarrine River. 晴れ間が広がってこのまま晴れるかなと思いきや、
またも頭上には分厚い雲がかかる。小高い丘のように見えるのは Kuh-e Zendan-e Soleyman. 通称 The Prison of Solomon; ソロモンの監獄だ。ソロモン王が悪魔を閉じ込めたとされる伝承から地域の人々によって名付けられた。なぜここで遠く離れた古代イスラエル王国の王の名がでてくるのかは、確かになかなかの疑問だけど、これから訪れる Takht-e Soleyman と共に、この地はかつてソロモン王が活躍した場所とされているらしい。
ようやく辿り着いた Takht-e Soleyman; タフテ・ソレイマンの遺構。
世界遺産とはいえ、正直ここまでの道程はなかなかにシビアだった。立地としてはまさに辺境の高原ど真ん中で、周辺にも小さな村しかないし、一般観光客が訪れる場所としてはかなり難易度の高い場所だと感じた。
Takht-e Soleyman
急勾配の坂の頂上にバイクを停めさせてもらった。
なぜかフリーエントリーだった。
サイト内に入ってまず目に飛び込んでくるのはこの遺跡の象徴ともいえる火口湖だ。
天気が残念過ぎるけど、それでも周辺の雪山が湖面に反射して美しい。
湖面は80×120mの楕円形で、深さは112mもある。古代イスラエル王ソロモンが怪物を閉じ込めたといわれる伝承にも納得の深さだ。日本でいえばちょうど北海道の屈斜路湖と同じくらいの深さだろうか。
タフテ・ソレイマンの湖にて。
湖からは2か所、勢いよく水が湧き出していた。この火口湖の湖底から湧き出してるんだろうか、飲んだらご利益がありそうだけど、アメーバ原虫の生息有無が分からない時はまぁやめといたほうがいい。
さて、件の火口湖を取り囲むように、遺構は四方を沢山の遺跡によって囲まれている。遺跡自体は紀元前1,000年紀の間 サファビー朝に至るまでの時代のさまざまなものが混在しているというカオスな遺跡だ。
その中でも最もアイコニックといえるのが、上の Adur Gushnasp Fire Temple; アードゥル・グシュナスプ拝火院とAnahita Templeかもしれない。
正直全ての遺跡が煉瓦で連続しているようで、どこからどこまでが何の遺跡なのか判別するのが難しいけど、この一帯こそ、ササン朝ペルシャの時代にイラン南西部から移されたという拝火壇があった場所らしい。まさしくゾロアスター教の聖地。Anahita はハスの花の紋章で以前触れた、ゾロアスター教の水を司る女神だ。
遺構は標高約2,200m. 他の観光客もいなく、雪に覆われた遺跡を巡るのは探検感がつよかった。ガエルネのブーツも、砂漠から雪まで、おつかれさんです、どっかで余裕があるときにしっかりクリーニングしてあげたい。
突如現れた長いアーチ状のトンネル。Leke Arcade の一部だろうか。
真っ暗なので、懐中電灯で照らしながら進んでみると、別の場所に出ることができた。
ササン朝時代の宗教的建造物の遺跡に加え、後期のイルハン朝時代に築かれた遺跡も多く存在する。先述の通り、境界不明瞭でどこからどこがどの時代のものなのか判別するのが素人には難しい。
膝下まで埋もれてしまいそうな深さの雪を踏みつつ、見て回る。
アーケードの内部。
てなわけで、生憎の天気ではあったけど、日が沈む前までにゾロアスターの聖地を訪れることができたわけでした。
急遽 近くにて宿をとる
この日から、なぜか原因不明でSIMが機能しなくなった。SMSと通話はできるものの、ネットに繋がらない。ギガを使い切ってるわけもないし いやはやイランのネットはわけがわからん。
すでに日も沈みかかっているし、宿も決まっていないし、Ahmadの勧めを振り切ってどっかでテントでも張ろうかと考えていたところ、Ahmad から電話があった。ネットが繋がらなくなった旨を伝えると、とりあえず近郊の宿を確認してみてくれるという。
数分後、すぐ近くの村 Tazekand-e Nosratabad にツーリスト用のホステルが空いているということで、急遽そこへ向かうことになった。
遠くからの遺構の姿は完全にただの壁にみえる。
夜、たまたま宿に一緒だった Toomaj氏に誘われ、先のThe Prison of Soleyman に一緒に上る。彼は父親と一緒に観光旅行にきていたようだ。SIMの不調も解決しようといろいろ試してくれた。
宿前の焚火台で暖をとった後、疲れで爆睡した。
つづく