【Syrian Arab Republic episode 4】Christianity of Syria~~Maaloula と Sednayah シリアにみるキリスト教の軌跡

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

ダマスカスにバイクを置いたまま、車で北東にある2つの村を訪問します。

Sednayah

ダマスカス市内を抜けていく。

アンチレバノン山脈の東側の谷間 の斜面に広がる小さな村 セイドナヤ。
こんなような立地条件が助けて、多くの戦火や迫害から逃れ ずっとキリスト教徒たちが存続できたらしい。

そんな中、ひときわ大きな教会へやってきた。

岩窟の斜面にそびえたつ The Convent of Our Lady of Saidnayah.
セイドナヤ聖母修道院 と訳せばいいんだろうか。547年 ビザンツ帝国の版図下で建設されたという。

教会への入口に向かう階段の途中、柵に囲まれた「滲み」があった。
とある参拝者のこぼしたオリーブオイルが聖母の形になった奇跡だというのだ。確かにそこには人形の滲みがあったが、、、

そんな階段の途中 気持ちよさそうに太陽を浴びる子猫。

敷地内の壁画。
左側の絵に描かれている男性はビザンツ皇帝のユスティアヌス1世。彼が部下と共にこの場所を進行し、部隊が喉の渇きに絶望していたとき、現れた美しいガゼルがマリアに変わり、彼に「この丘に教会をたてなさい」と告げた場面が描かれている。

特徴的な階段をのぼり内部へ。

外観はやや質素な印象があっただけに、内部の荘厳さと絢爛さに一瞬言葉を失った。

これでもかという黄金とクリスタルのシャンデリア、壁に沢山かざられたイコン、そして美しい水色の天井 全てが相まってごちゃごちゃした空間が大好きな管理人にとってはとても心地よい気分だった。

柱の一か所に発見した双頭の鷲。双頭の鷲は各国の国旗や紋章など色々な場所に登場して、その起源を調べると面白い。シンボルとしては古代シュメールに最古のものがあるらしいけど、こういった東方教会由来の場所で見られる双頭の鷲は、おそらくローマの東西分裂後、ビザンツ帝国が「東西双方に支配を波及させる」意味合いで用いられたものだと思う。

シリアの山奥に、こんなに美しい礼拝室があるなんて、全く期待していなかった。
古いイコンが保存されているという部屋にも入れてもらえたけど、室内は写真撮影を禁止されてしまった。

礼拝室の一画にて、蝋燭を灯すSana.

屋上にのぼってきた。

いままでモスク三昧だったけど、シリア~レバント地方にかけての山岳地帯には こんな感じで騒乱を生き延びた教会が沢山あるんだろうなぁ。

ドライバーのBahaと。

セイドナヤの街全体が見渡せる。1月のシリア山岳部では雪が降るのも珍しくないらしいけど、幸運なことに快晴で気温も12℃くらいまで上がり、とても気持ちのいい日だった。

まさに “Rocky Knoll” の上に築かれている。

教会脇に停められていたが、メッキがやたら美しい。新品なのかな。シリアの中華バイクは(勝手に中華と決めつけてる)、みんなこんな感じでいい具合に布が被せられている。

丘の向こうに見える The Holy Shrine of St.Ilias. など。

Maaloula

シリア、ダマスカス北東部の丘陵地帯を抜けていく。

セイドナヤから更に北西部、ここはマアルーラという街。同じくダマスカス北東部に散在する岩山の斜面に家々がへばりつくように建てられている。

そんな急な斜面を登った丘の上に建つ Maaloula に沢山ある教会のなかでもひときわ大きな The Church of St.Sergius and Bucchus; 聖セルギルス教会。
中東において最も古い教会のひとつで、つくられたのは4世紀の初頭だという。

2013年頃、ヌスラ戦線とISISなどの攻撃によって教会の一部は破壊され、イコンをはじめとする「彼らにとっての」偶像が多く破壊された。
中には13世紀頃の貴重なイコンも含まれていて、「永遠に」失われてしまったものも少なくないという。

礼拝室内はとても質素な雰囲気、まるで洞窟のようだった。そんな中、シスターのひとりが、西方アラム語で暗唱をしてくれた。マアルーラは、古の言葉 アラム語を今でも話す人が暮らす数少ない場所なのだ。
響きは、極めてアラビア語に近いと感じた。

凄惨な攻撃の標的となって 10年前後といったところなんだろうか、今では多くが修復され 内部にお土産屋まで整備されていた。

マアルーラで採れるブドウからつくられたワイン。正直どんな高級なワインよりもウェルチのブドウジュースの方がおいしいと本気で思ってる管理人にはワインのヨシアシなど分かるはずもないけど、こういう特別な機会に食道に入るもんはなんでもおいしく感じるもんよね。

ん~~ 色々買い占めて日本に送りたい!が、がまんがまん。

小休憩。

教会の裏手にやってきた。
内戦の傷跡が生生しい 破壊された Safir Hotel. イスラム過激派により、営利施設は「罪」という名目で破壊されたんだろう。

そんな残骸をよけながら進んでいくと、マアルーラの街を一望できる崖の上にでる。

後から写真を送ると、けっこう喜んでもらえるんよね。

シリア アンチレバノン山脈の東の丘陵地 その岩肌にひっそりとキリスト教徒とムスリムが共存している。

ヒソップの一種? が自生していた。紫が美しい。

さて、ここマアルーラには有名なエピソードがある。聖セルギウス教会の前の道を進むと、こんなような山肌の亀裂がみえる。

両脇に断崖がそびえて、その裂け目を進んでいく。ちょっとペトラを思い出す。

いまではバイクが走ったりもしちゃうこの小道は、1世紀頃 初期のキリスト教徒 聖テクラが追手から逃れている時に祈りを捧げると、山が二つに割れて道ができたことに由来するらしい。

元々はセレウコス朝の由緒をもっていた聖テクラは、先のオールドダマスカスの記事で登場したサウロ(パウロ)の伝道によりクリスチャンとなり、婚約を反故にして家を飛び出したという。そんな娘に激昂した父が追手を差し向けたのだ。

そんな亀裂の小道にて。

山が裂けてくれたことで無事逃げおおせたテクラは、その先にある、いまではこの Monastery of St.Tekla; 聖テクラ修道院 が建つ場所で余生を過ごしたとか。

その場所に18世紀修道院が再築され、現在の建物は1930年代につくられたという。

まさに四方は岩肌に囲まれている。

礼拝室内部。

奥の天井が焼け焦げているのが見えるだろうか?
これも内戦時、ISISなどが火を放ったことによる。

別室に保管されていたイコンたち。

どれも顔面部分に損傷が加えられていて、ひどいものは真っ黒に焦げてしまっている。
偶像崇拝を徹底的に糾弾するという大義は、人類の遺産を無暗に葬ることだと非難される。でもかつて預言者ムハンマドがカーバ神殿にあった古来の像を全て破壊したことと何が違うのかと言われると、まぁ時代の問題だよね と安直な回答しか見つからない。

聖テクラ修道院の上層部へのぼっていくと、

山肌が完全に天井を兼ねているこの空間には、上に行けずに横へ伸びる木と、

聖テクラが見つけた湧き水が。この水は聖水とされていて、リウマチや各感染症に効果があるという。管理人も”とりあえず” 飲んでみた。普通に冷たくておいしかった。

更にその奥に、小さな扉が。上部のライオンの紋章が、なんとなく修道院の雰囲気とミスマッチだなとか思いながら中にはいる。

ここにも、イコンが沢山保存されていた。

大きな損傷を逃れたのね。

Sana はなにやらシスターに手首にひもを結んでもらい、

献蝋していた。

聖テクラ修道院 屋上付近から。

ってなわけで、シリア ダマスカス北東部の小さな村に眠るキリスト教の軌跡の紹介でした、Chao Chao~

つづく

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