【Hashemite Kingdom of Jordan episode 12】ヨルダン北部の歴史都市 Jerash と Ajloun を経て 無銭宿を確保する

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

首都アンマンを去り、北へ向かいシリアを目指します。
その途中、ヨルダン北部にある小さな街に寄り道した記録です。

Jerash の街 と古代都市遺跡

アンマンから北に約50kmほど行ったところに ジェラシュという街がある。
ここはローマ帝国の版図下、シリア属州として周辺都市とデカポリスを形成した Gerasa;ゲラサ という都市の廃墟が今も多数残っている。
746年にこの地を襲った大地震により一部が砂の中に埋もれていたという。
ジェラシュの街に着き、バイクを駐車場に停めて遺跡のサイト内に入っていく。

南側がらサイトに入り、まず出迎えてくれるのが Arch of Hadrian.
130年頃、ローマ皇帝ハドリアヌス帝のジェラシュ訪問を記念して建てられた凱旋門だ。

遺跡は広大だった。じっくり見てまわるなら1日全部割いてもいいかもしれない。観光客はヨーロッパ系の人を中心にけっこう来ている。

South Gate と名付けられている入口。ここでヨルダン・パスの提示を求められた。
が、なぜかスマホのダウンロード画面からヨルダン・パスが消えてしまっている・・・パソコン持ってきて見せるしかないか、めんど!と思って 「忘れちゃったんだけど・・・」というと、「あーオッケーオッケー」と言って通してくれた。ザルか。
ヨルダン・パスが無かった場合の入場料は不明。

South Gate を通って道を進んでいく。道もかなりそこら中で枝分かれしているので、どうやって進むか迷ってしまう。

Temple of Zeus; ゼウス神殿。

ジェラシュの遺跡に2つ存在する円形劇場のうち南側の Southern Theatre.

遺跡内に特にフェンスなどはなく、完全にフリーサイトといった感じで円形劇場に上ったりもできる。

劇場内も細部にヘレニズムな装飾が施されている。

丘の上からみた Oval Plaza. 楕円形に柱が並んだ広場。

代表的な遺跡のほかにも、至る所に列柱群やローマ時の教会遺跡が多数点在している。

Church of St. Theodore.

碑文が刻まれた残骸もそこら中に散らばっていた。
列柱の向こうに見えてきたのが、

Temple of Artemis; アルテミス神殿。
柱頭をよく見ると、かなり複雑なアンカンサス装飾が施されていて、ギリシア三柱式のひとつ コリント式のデザインであることがわかる。

そしてこちらが北側の円形劇場 Northern Theatre.

迷路のような通路を通って中に入ると、

かなり急斜面に拵えられた観客席に出る。

南側劇場よりもわずかに小ぶりながら、こちらも劇場の石段に座った時の爽快感たるや。
ここでお湯でも沸かしてコーヒーでも飲めたら最高だなとか思った。

そして南側劇場よりさらに奥に見えるのが Tetraphylon; 四面門と、

そこにつづく Cardo; 列柱道路。
列柱道路の向こうに見えるのが North Gate で、サイトの終着点でもある。

ネバーエンディングストーリーでアトレイユが通ったスフィンクスの門を、なぜか連想した。

Tetraphylon の南側通路にて。

無造作に散らばる遺跡の残骸たち。

The Church of the Propylaea.

The Nymphaeum.

The Cathedral.

巨大な列柱に挟まれた通路は800mにもなる。今度は南に向かって戻っていくと、

先に丘の上から見た Oval Plaza に戻ることができた。

ジェラシュの遺跡、かなりボリュームがあって遺跡の保存状態もよく、正直なんで世界遺産に登録されていないのかが謎だとしか言いようがないくらい良かったし、ヨルダンに行くのであればかなりおすすめできる。歴史に興味がなくても、遺跡が点在する巨大な公園を散策するだけでも気持ちいいと思う。

Aljoun の要塞

ジェラシュを去り、今度はやや北西に向かっていく。途中、小さな街をいくつか通り過ぎる。

標高は1,000m前後を行ったり来たりといった感じ。この日は曇っていたので走行中はけっこう寒い。

もはやオマーンやサウジの砂漠しか無かった景色が懐かしい。

山の斜面に均等に植えられたオリーブの木々。
ヨルダン北部の山岳地帯は土地が肥沃で、低標高の谷あいは気候も温暖なため農耕地が沢山ある。

そうこう走っていると、アジュルンの街に着き、長い坂の上にファンタスティックな要塞が見えてきた。

丘の上に曇天を従えて聳える姿はなんとも特徴的で幻想的。
アジュロンの要塞である。

特に駐車場がなく、車はみんな入口手前の激坂部分に停めてるけど、バイクは無理だと説明したら中に停めていいと言われたものの、今度は違うスタッフに中はだめだと言われる。

あっちいってこっちいって、最終的に回りの観光客も巻き込んで助けを借りつつ外の坂に駐車することになった。
もう駐車するだけで大騒ぎ。

Ajloun; アジュロンの街。

入場料はなかった。
要塞の全貌。

日本でも、イスラム史の一番有名人といえるサラディンの治世、アイユーブ朝期の将軍 Izz Al Din Usama によって1184年に築造されたという。
もともとはビザンツ帝国時代の修道者がこの丘の上に暮らしていたらしく、その頃の修道院跡も要塞の下部に発見されている。

石橋を渡って城の内部に入っていく。

内部は迷路のように入り組んでいるけど、観光客が入れる範囲はそこまで広くないので 30分もあれば内部を探検できる。

階段をのぼって要塞の上部にま上がったりもできる。

要塞の中の一室がこじんまりとしたミュージアムとして整備されていた。

モザイク画は、いつのものなのか?

管理人、とにかくこういう小さいガラスの小瓶みたいのが大好きだ。
これはビザンツ帝国時代の発掘品。ローマン・グラスと呼んでいいんだろうか?

要塞内にいたヨーロッパクロスズメバチ。寒いのか、もう今にも息絶えそうだった。

要塞の入口にいたなつっこいにゃんころ。いつまでもなでろなでろと寄ってくる。
現在チリを走行中のゆーしも言ってたけど、なつっこいにゃんころ程愛すべき動物が他にいるだろうか。

図らずもget系宿再び

さて、この日はどこかで適当に野営しようと思ってたんだけど、アジュロン要塞前の露天コーヒー屋の焚火で暖をとっていたら、そこにいた Mohammad 氏が家に来いよと言ってくれた。

本当は売り物のはずのシャイを何杯もおかわりしつつ、「え?いいの?」と白々しく一応聞き返したりしてみて、

露天コーヒー屋が閉店するまで焚火前に居座った挙句、夕飯にマンサフまでご馳走になって、

寝床を確保したのであった。

つづく

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