【Hashemite Kingdom of Jordan episode 6】ペトラ遺跡 訪問

こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。

数ある世界遺産の中でも、群を抜いて知名度の高いペトラ遺跡を訪問します。

Visitor Center へ

Wadi Musa 村の明かりが眼下に広がるなか、まだ暗い内に撤収作業を始める。

ビジターセンターのすぐ近くにある無料駐車場にバイクを停めて、ゲートへ向かう。

ヨルダンパスが入場券を兼ねてくれるので、ヨルダンパスを提示してチケットを受け取る。

サイト内には、東のゲートから入るのが一般的。実はサイト最深部のMonastory(Ad Deir)裏から入るというルートもあるらしい。
ゲートではパスポートの確認があった。
地図が置いてあるので、もらうと便利。

Al Khaznah

まだほとんど真っ暗な中、Siq;シークという峡谷を約1.5kmほど歩いて進んでいく。

すると、まさにインディジョーンズ「最後の聖戦」のワンシーンと同じように、シークの隙間からモニュメントが見え始める。

ペトラ遺跡の中でも、最も人気があり なおかつ最も精緻といわれる Al Khaznah; エル・カズネ だ。
早朝に来たおかげで、人がほとんどいない。
世界有数の観光地ということもあるので、少し時間が経つとすぐに観光客で溢れてしまう。

いつか行きたいなぁ なんて漠然と思っていた場所に、本当にバイクで来ることができた。モニュメントそれ自体の荘厳さもさることながら、今エル・カズネを目の前にしているという感動が大きかった。

Al Khazna は英名でThe Treasury と表記され、宝物殿的なネーミングとなっているけれど、実際にこれだけ精緻な彫刻によって創られたモニュメントが何の目的でつくられたのかはわかっていない。
創作者はマダイン・サーレハで言及したナバテア人。➡【サウジが誇る巨岩の遺跡群 Madain Saleh】
北アラビアの遊牧民としての起源をもつナバテア人は、交易中継による関税収益やそれによる繁栄と人口増加に伴い、紀元前168年にナバテア王国を築いてペトラを首都とする定住を開始した。

エル・カズネがつくられたのは、その後ローマ帝国やヘレニズム文化の影響を受けた紀元を挟んだ100年前後の頃。
柱は上下段あわせて12本、ファサードをよく観察すると、ゴブレットの彫刻が7つ、そしてそれより上段に花型の彫刻が31こある。これはどう考えても暦を表していそうだけど、詳細は不明。
柱の最上部はギリシア様のディテールが施されていて、エジプトのイシス神ではないかという彫刻もあることから、まさに多様な文化がこのエル・カズネに集約されているのかもしれない。

墳墓群とRoma の面影

エル・カズネから、さらに奥へと通路を進んでいく。
途中、まだ店主のいないお土産屋。

値段も安いので、記念に何か買うのもいいかもしれないね。

左右には彫刻の痕がいっぱいに広がっている。

不完全な彫刻のままなのか、浸食してしまったのか、

無数に点在する墳墓群。

ウナイシュの墓とよばれる。洞窟のような墳墓の中には、入ったりすることもできる。
基本入場してしまえばフリーサイトな感じだ。

紀元前63年ごろよりローマ帝国の属国となったナバテア王国には、ローマ様式の建造物も沢山みられる。
これはいわゆるローマの円形劇場。

ほとんど人のいない道を進んでいく。

コリントの墓、アーンの墓 といった特定の名称がついた墳墓群が丘の上に連なる。

サイト内は広大で、荷物を背負いながら歩き回るのはかなり骨が折れる。
ラクダやロバに乗って移動することもできるみたい。

ローマ属国時の神殿跡なども多数。

アレタス4世の治世期、紀元前10年~40年頃に完成したとされるGrand Temple.

「ファラオの娘の場所」という名をもつQasr Al Bint. キリスト教への改宗以前、多神教や山岳崇拝を持っていたナバテア人の宗教的な場所だったと考えられている。

Ad Deir

さて、Qasr Al Bint のある場所から、更にペトラ遺跡最深部のAd Deir を目指すのだけど、この道はかなり険しい900段の階段を上ることになる。

バイクに置きっぱなしにはできなかった荷物を背負ってではかなり厳しそうだったので、ロバに乗ることにした。

険しい階段を力強く上っていくロバ。たまに足を踏み外しそうになったりするのでかなりエキサイティングだった。

頂上に近い場所でロバから降り、さらに上っていくと、

Ad Deir;エド・ディル 英名 Monastory が現れた。

エル・カズネに似ているけれど、更に一回り大きくて、幅47m 高さ51mにもなる。

ナバテア王国最後の統治者ラベル2世の治世期につくられたという。
106年、ローマのトラヤヌス帝に併合され事実上ナバテア王国が消滅した後も、キリスト教徒によって修道院として利用されていたため、Monastory といわれる。

エド・ディルはペトラ遺跡の終着点ともいえる場所。奥にはView spot へつづく道があった。

かなり危なっかしい階段を上っていくと、

エド・ディルを更に上部から眺めることができる。
ちなみにエル・カズネの方のView spot はガイド同伴じゃないと行くことができない。

終着点だけあって、休憩所もある。パイナップルジュースを飲みつつペトラのネコパンチを見学してエド・ディルを去るのであった。

帰り道

エド・ディルは実は山の名前で、Jebel Ad Dayr とかとも表記される。標高は1,000mあって、ここからまた階段を下りて来た道を戻る。

地元民の手作りのスカーフなんかも、お土産にいいかもしれない。

峡谷の風景もまた、ペトラ遺跡の魅力のひとつだと思う。

サイト内は縦横無尽に多数の遺跡が存在していて、全てを見学するには1日じゃ足りないかもしれない。
ヨルダンパスも、ペトラへの複数回エントリー版なんかもあるので、ペトラを十分に堪能したければ、ワディ・ムサに宿を取って2日かけて訪問するのもあり。管理人は今日中に死海へ到着したいため、ほどほどだったけど、エル・カズネとエド・ディルの2つを見ることができれば十分だと思う。

帰ってきた頃のエル・カズネ前。

行きは暗くてよく見えなかったシークや、

ゲート近くのオベリスクの墓。

だいたい4時間半くらいだろうか、途中ロバに乗ってもこれくらいの時間がかかる。
すっかり疲れたので、思わず近くのレストランに入ってしまったけど、完全に観光客設定の値段でちょっと後悔した。

つづく

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