【Republic of Italy episode27】Bologna; ボローニャでの日々

こんにちは、世界放浪2輪旅中の管理人です。

ボローニャでLuca宅にお世話になっている間の記録を、いつも通りとりとめもなく乱記していこうと思います。

※この記事は2024年11月頃の出来事を書いています。

Santuario Madonna di San Luca へつづく世界最長のポルチコ

この日は、ルカと2人で ボローニャの南西部はずれにある Santuario Madonna di San Luca; 聖ルカ聖堂に向かう。
市内から聖堂へとつづく、Portico di San Luca; 聖ルカのポルチコ は、世界最長のポルチコといわれていて、丘の上の聖堂まで3,796m の巡礼路がつづいてる。

Santuario Madonna di San Luca; 聖ルカ聖堂.
現在の建物は1723-70年頃築造、バロック様式の聖堂で 西日を浴びてオレンジ色の外壁が輝いてる。

丘の上からは、北側に市内が 南側には延々とつづく丘陵が望まれる。

西側ファサードに両腕のように突き出した塔。

教会の創建は12世紀で、ギリシア人巡礼者が 当時のコンスタンティノープルから聖ルカ(福音記者)の作とされる聖母子像を運ぶ旅の末、ボローニャのこの丘に辿り着いたことに始まる。その聖母子像を祀るために、12世紀末に小さな礼拝堂がつくられたらしい。その後、何度も再建と改修を経て、今の姿になった。

教会の北側につづく回廊も、1674~1793年まで 長い歳月をかけてつくられたもので、アーチの数は全部で666個ある。
666は悪魔の数とされていて、くねくねと曲がりくねった回廊は大蛇を、そして丘の上の聖堂はその大蛇の頭を潰す聖母の勝利をそれぞれ象徴しているんだそうな。

アーチに振られた番号。

聖堂内、ギリシア十字の単廊バシリカ。

主祭壇と、いまでもそこに収められている聖ルカの聖母子像。せっかく主祭壇上で写真撮れたのに、肝心の絵は反射してしまってちゃんと写ってなかった・・・
本当に1世紀の人物 ルカの作なのかというと、実際には12世紀頃 ビザンツ帝国で描かれたものだと考えられているらしい。それでも、ボローニャの街の守護者として絶大な信仰の対象となってるのだ。

Tenere × Portico di San Luca

ぶらり Bologna の街

また別の日、朝からLucaに歴史地区の周辺を案内してもらった。

日用衣類から蜂蜜まで、いろいろ並ぶ朝市を抜けて

センター付近にやってきた。

ボローニャのみどころは、なんといっても街全体にひろがるポルチコ。
中世のボローニャでは、大学の創設によって人口が急激に増加、上層階を通路側にせり出すことで居住スペースの増築をするようになったわけだけど、次第に重みを支えるための柱が必要になって 結果としてこのような屋根付き通路が発達したらしい。

1288年には、新築する建物には必ずポルチコを設けなければならないという法律までできて、結果現在では総長60km以上のポルチコが街中に張り巡らされてる。

そんなポルチコを歩いていて、ふと現れる Cattedrale Metropolitana di San Pietro; サン・ピエトロ大聖堂 は、一見地味にみえるけど ボローニャ大司教区の司教座があるカテドラルだ。
狭い通路からだと全然画角に収まらない、、、やっぱ広角高画質のスマホは必携だなぁ。

教会の創建は10世紀ごろまで遡るけど、現在の姿は17~18世紀 バロック様式による再建のもの。

三廊ラテン十字の側廊と翼廊奥の祭壇たち。

そのまま目貫通りを歩いていくと、Piazza del Nettuno; ネットゥーノ広場とPiazza Maggiore; マッジョーレ広場にでる。

広場の南側に建つ Basilica di San Petronio; サン・ペトロニオ聖堂.
1390年に着工してから 実に270年以上経った1663年に完成した。ファサードを見て一番最初に感じるのは、豪華に装飾された下半分と、煉瓦が剥き出しになった上半分のギャップだ。
聖堂が建設中の16世紀初頭、翼廊を増築してローマのサンピエトロ大聖堂をも凌駕する世界最大の教会をつくろうという野心的な計画が立てられた。これを驚異にみたローマ教皇庁は さまざまな妨害策を講じてその計画を封じ込め、結果資金難に陥ったボローニャはこのような半々の状態で聖堂を「未完成の完成」としたらしい。地方都市の野望に対する教皇権力の勝利 みたいな構図を象徴するファサードなのだ。残念ながら、訪れた時は中に入れなかった。

広場に建つ Palazzo Re Enzo は、1249年 教皇派のボローニャ軍が 皇帝派を破ったFossalta; フォッサルタの戦いで 捕虜となった皇帝の息子 Enzo of Sardinia; サルデーニャ王エンツォが死ぬまで幽閉されていた館だ。

エンツォの宮殿が隣接する Palazzo del Podestà; ポデスタ宮の1階部分には

Telefono senza fili と呼ばれる不思議な音響効果を体験できる場所がある。
十字ヴォールトの交差した天井をささえる重厚な4本の柱、

そのひとつの傍らに立って、柱に向かって小声でささやくと、反対側に立っている人にその声が響くのだ。
Luca と試しにやってみたら、本当に電話みたいに声が聞こえる!不思議ですねぇ。

マッジョーレ広場に面した ボローニャ市の市庁舎 Palazzo d’Accursio; ダックルシオ宮.
教皇グレゴリウス13世の像が中央に鎮座してる。

中庭を通って

馬に乗ったままでも上れるよう特別に設計されたという階段をあがると、

上はギャラリーの展示スペースになってたりした。

シャンデリアと天井画で美しく装飾された議事堂ホールや

金と緑の装飾が印象深い格子天井の Sala Farnese; サーラ・ファルネーゼの間。

教皇パウロ3世の像の前に壮大な壁画が描かれてる。

その奥につづく、ファルネーゼ礼拝堂は、カール5世がイタリア王として戴冠した場所だという。神聖ローマ皇帝としての戴冠は、先述のサン・ペトロニオ聖堂で行われた。

マッジョーレ広場を去って、

また路地を歩いていく。

1915年創業の映画館。

過去の傑作や、厳選された現代アート作品が上映されるみたいで、エンタメ全振りの巨大映画館とは趣が違う。

昼時になってひときわ賑やかになってきた レストランの集中するエリア。

こんなに洒落たバルサミコは見たことがないよ、と言いたくなるバルサミコソースたちや、

相変わらず細かな違いがわからない色んな種類のパスタや肉にチーズ、そしてスイーツが並ぶ。

所々に建つ塔が、ポルチコを伴った歴史的な建物の隙間から見え隠れするボローニャの路地は 特別な雰囲気をもっていた。

フィレンツェでも度々みた Ferro; フェッロ. ボローニャのは細長いデザインでフィレンツェのそれとはまた違う。

Luca と管理人も腹ごしらえしに店に入る。

カウンターの後ろには Prosciutto Crudo が沢山つりさがってる。
加熱も燻製もされない、塩漬けと乾燥熟成だけによるプロシュートだ。日本のスーパーやコンビニなんかで安価で手に入る「生ハム」とは製造工程がかなり違う別物らしい。
特にエミリア・ロマーニャ州の 指定された地域、指定された品種の豚、指定された工程・・・と厳格な基準をクリアした特別なプロシュートを Prosciutto crudo di Parma といって、肉には写真にもあるような Ducal Crown; 公爵冠の刻印が押されている。

ってなわけで、本場のパルマ・プロシュートがたっぷりはさまったサンドイッチをいただく!
が、パンの主張が強くてあんまり肉の違いがわからんかった・・・ 今度はプロシュートだけで食べたいな。

7つの教会が集合したコンプレックス Basilica di Santo Stefano.

13世紀の木造のせり出した梁と、それを支える木柱が現存する Casa Isolani.
いまは煉瓦の柱が2本補強している。 700年前はこんなような木造のポルチコが街中に広がっていたらしい。

ボローニャの斜塔 として有名な Le Due Torri; 二つの塔
低い方が Garisenda; ガリセンダで48m、 高い方が Asinelli; アシネッリで97m!特にアシネッリの塔は中世に築かれた塔のうち、聖堂や教会の一部ではない単独の塔として世界で最も高い。
どちらも1109~1119年にかけて建てられた塔で、軍事的な見張りの塔として建てられたらしい。いまでは約20ほどが現存するボローニャの塔だけど、最盛期には100を超える塔が街中に聳立していたらしい。サン・ジミニャーノの街を圧倒的に凌駕する「塔の街」だったのだ。

路地の一画で見かけた看板。旧ゲットーだったことが説明されてる。

1555年 教皇パウルス4世の勅令でユダヤ人が隔離され、1569年ピウス5世による教皇庁管轄区からのユダヤ人追放まで わずか14年間 ゲットーとして機能していたエリアなのだ。

1088年創設、世界最古の大学として有名な Università di Bologna; ボローニャ大学の学部が集まるエリアにやってきた。
ボローニャに来る前には、きっと立派な「ボローニャ大学」という建物を見ることができると思ってたんだけど、実はボローニャ大学は明確なキャンパスを持たない。

ポルチコの内側を歩いていると、入口にこんなようなプレートを見かけんだけど、これがそれぞれ大学の教室になってるのだ。
法学科や学生自習室、

人文学・文化遺産学科に歴史・文化・文明学科、哲学・コミュニケーション学科、

経営学科と数学科、、、入口にプレートがなければ大学であることにすら気づかないような場所もある。まさに、旧市街の至るところ、まるで普通の民家のように 各学部・学科の教室が溶け込んでるわけだ。
学生が集まることで経済が発展し、それによる人口増加で発達した世界遺産 ボローニャのポルチコ、そしてその中に浸透するように存在する大学の教室、、、都市景観と一体化したキャンパスは ボローニャの歴史そのものを示すようだった。

旧市街一番東側の Porta San Donato までやってきた。

旧市街北側の Via Irnerio; イルネリオ通りを歩いて、

独立戦争の戦没者記念碑まで戻って来た。

記念碑の建つParco della Montagnola; モンタニョーラ公園の北西側、
Castello di Galliera; ガッリエーラ城の遺構と Scalinata del Pincio; ピンチョの階段.

旧市街の外側に出ると、全然違う雰囲気になるのも面白い。

Stazione Bologna Centrale; ボローニャ中央駅。
1980年8月2日、イタリア史上最悪といわれる爆破テロによって亡くなった85名の犠牲者の追悼プレートを見て、ボローニャの散策を終えた。

Yuzuya で 日本食に涙

とある日、Luca が「ボローニャに本格的な日本食屋さんがあるよ」ということで連れてきてくれた Yuzuya.
海外での「ジャパニーズ・レストラン」ほど当てにならないものもないんだけど、Yuzuya さんは店主が日本人の方で、食材も「日本の味」になるよう厳選されてる。

唐揚げとフライ定食を頼んだ管理人は、久しぶりの”リアル日本の味” に思わず泣いてしまいそうになった。
日本で暮らしている頃は当たり前だった日本の食事に、ここまで感謝の気持ちを持てたことがあるだろうか。
自称「そんなに食に興味ない」とほざいていた自分でさえ、いろいろな制限のなかで長旅をつづけていると 食事にありつけることのありがたさと、更にいえば日本食の異常なまでに特殊なうまさは色んな意味で「当たり前」ではなくなっていたのだ。
ここに連れてきてくれたLuca と、店主の Tさんには 本当に感謝です。

Moto Club Tenere Italia に参加

ボローニャに滞在している間、イタリアのテネレ愛好家グループ “Moto Club Tenere Italia” がたまたま近郊で開催されるということで Luca と一緒に参加してみることにした。

会場はホテルのワンフロア貸し切りで、まずはフロア内で軽く色んな人の挨拶があった後、

レストランに移動して談話会。イタリア語がわからないから若干アウェーだったけど、これだけ沢山のイタリア人がテネレを好んでくれてるってのはうれしいことだよねぇ。やっぱり80~90年代のパリダカラリーの恩恵が強いんだろうか。

管理人も「日本から8万キロ走ってイタリアまでやってきた」として紹介してもらって、記念品までいただいちゃいまいした。

Luca のガレージと愛車

テネレを停めさせてもらっているLucaのガレージ。夢が詰まってる。

一番驚きだったのは、驚愕のグッドコンティションで動態保存されている CB 500 Four だ!メッキ部分にも錆びひとつなく、エンジンもすぐに始動。アイドリングも吹け上がりも良好で、日本でもここまで状態の良い車両はなかなか見つからないと思う。

Luca とは今でも頻繁に連絡をとる。
バイクという共通言語を通して、こうやって友人ができたことが この旅のもたらした大きな財産なんだなぁ、と改めて思うのであった。

おまけ1

ボローニャ郊外にあるバイク屋にもやってきた。

日本のバイク用品店では見かけないようなブランドのケミカルやパーツもけっこうあっておもしろい。

おまけ2

アジアンマーケットもあるってんで Lucaに連れてきてもらった。

ところどころ日本の商品も混ざってるなか、

野営の時に食べる用でラーメンをゲット!!これけっこう重要。

つづく

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