【Republic of Italy episode14】毎日休みみたいなもんだけど、ローマの休日~その1

こんにちは、世界放浪2輪旅中の管理人です。

イタリアの首都 Rome; ローマに到着。Bibi&Danilo のお家におじゃましつつ せっかくだからローマ市内を見て周ろうと思います。
バイク旅とは関係ないただの観光録なので かなり適当めに書こうと思います。

※この記事は2024年11月頃のものです。

とりとめのない、ローマ散歩録—1

Bibi&Denilo の家はセンターからやや離れているので、

最寄りの駅でチケットを買って列車で中心へと向かう。

文字通りピラミッドのある、

Piramide 駅で乗り換え、センターへ。

これがローマ市内の路線図、東京に比べればシンプル。

適当に Circo Massimo という駅で下車して、地上へ。
ローマ地下鉄の雰囲気。

巨大な競技場跡地のCirco Massimo の広場と、その向こうに Colle Palatino; パラティーノの丘という考古学公園の遺構群が見える。
初代皇帝 アウグストゥス帝の住居や、2代皇帝ティベリウス帝の宮殿など 初期帝政ローマに縁の深い遺構が密集した重要な考古学公園だけど、入場には事前予約が推奨ということで今回はパス。まぁローマは普通の観光でまた来られる(?)からね。

そのまま北方向へと歩いていくと、

絶賛修復中だtArco di Constantino; コンスタンティヌス帝の凱旋門と、

言わずと知れた Colosseo; コロッセオが姿を現す。80年頃の完成。
コロッセオの前は、シーズン外だというのに観光客でごった返し状態だ。

80年頃に完成したコロッセオ、地中海沿岸部に数百現存する類似のローマ期闘技場の中でも、その規模や建築的な秀逸性、象徴性というあらゆる点で頂点とされている。

コロッセオが円形劇場の中で最も秀逸とされることに異論はないけど、ここまでローマの代表的なモニュメントとなった今 観光客だらけ&規制だらけ&事前予約必須 となってしまい、個人的にはトルコで訪れた野良闘技場達の方が「遺跡としての魅力」は断然上だなぁと思ってしまった。

遺跡保護ということもあって、今後コロッセオが何十年も前みたいにゆったり内部を見て周れるようになることは無いと思うし、
なかなか世界的な観光地というのはもう今後「そういうもん」として訪れるしかないんだろうなぁ。

観光客過多への対応に対して、観光客が辟易するってのも、本当に勝手な話なんだけど。

街中には充電用のアウトレットや、

給水用ディスペンサーがあって、観光インフラの整い具合も垣間見える。

コロッセオから西方向へと歩いて行ってみる。左手には Foro Romano の遺構群が広がる。

向かい方向左手に出てくる路地奥に Basilica dei Santi Cosma e Damiano がある。
元々は Foro Romano 側にある Tempio del Divo Romolo; ロムルス神殿が入口として機能していたらしいけど、現在はそっちは閉鎖されて 北側のファサードに門がある。ロムルス神殿はForo Romano側、つまり先のColle Palantino に入場すれば訪れることができる。

ファサードを通り抜けると中庭と、

教会内部。
現存の教会は1632年 教皇ウルバヌス8世によって修復された後の姿だけど、構造の一部は1世紀、4世紀へと遡るものもある。
後陣に、コバルトブルーに輝くモザイクはなんと大半が6世紀のオリジナルだ。

ふらっと入った教会にも、幾千年を架ける再建や修復の歴史が凝縮されていて、ローマの懐の深さを感じる。

Fori Imperiali 通りをそのまま西方面に歩いていくと、

Largo Romolo e Remo

カエサル広場のTempio di Venere Genitrice (紀元前46年)

トラヤヌス広場の Basilica Ulpia(106~113年頃) や 世界最古のショッピングセンターといわれる Mercati di Traiano Museo dei Fori Imperiali などの遺構が左右に広がり、

Trajan’s Column; トラヤヌスの柱 と Chiesa del Santissimo Nome di Maria; 聖マリア聖名教会 が聳え建っている。

トラヤヌス帝のダキア遠征成功を記念して113年に建てられた記念柱の外周には 引き延ばすと全長200mにもなるレリーフが彫られている。

北方角へと路地を抜けていくと、

Fontana di Torevi; トレビの泉につくのだけど、、、 こりゃあローマで一番興ざめだったかもしれない。
実は管理人、20年以上前に一度ローマに来た事がある。
その頃といえば、トレビの泉の前には観光客やジモティーが入り混じって腰かけて 各々が優雅な時間を楽しむ自然な空気があった。
それが今はどうだろうか、、、泉の前には仰々しく遊歩道が設置されて、事前にオンラインで予約したパスでゲートから入場して 順々に泉の前を進んでいく・・・ なんだこれは・・・
外見的な美しさに何よりもプライオリティを置くイタリア人がしたことなのだから、よほどこうせざるを得ないほどの状況だったんだろうとは思うけど、それにしてもこれにはドンびいてしまった。

Galleria Sciarra

ローマの不動産、なかなかのお値段。

ローマのキオスクを通り過ぎて少し南西側に行くと、

Chiesa di Sant’Ignazio di Loyola; ロヨラの聖イグナチオ教会がある。
1626~1650年にかけて建てられたバロック様式の傑作といわれるカトリック教会だ。

ロヨラといえば、イエズス会の創設者であり 日本でお馴染みのあのザビエルの同志だ。
当時のスペイン・ポルトガルが 植民地化の前駆段階として布教活動をしていたのは明らかで、これにいち早く気づいて警戒態勢を敷いた秀吉には感謝しよう。

当時ローマ教皇からポルトガル王やスペイン王に与えられた Padroado; パドロアードという権限は、被植民地側の人々の尊厳と名誉を完全に無視した西欧の傲慢で超自己中心的な意識の権化のようなシステムだけど、一方で その産物としてつくられていったこういう教会は本当に美しい。

とくに16世紀以降のバロック・ロココ様式の荘厳な教会を見る時は、その美しさの裏に 植民地からの圧倒的な搾取と現地での暴虐の限りがあること、この美しさはその副産物であるという穿った目も必要だと思う。

この教会で特にみどころなのは Andrea Pozzo 作の Gloria di Sant’Ignazio; 聖イグナチオの栄光 という天井画だ。
これは Quadratura;直交法 とよばれる錯覚絵画の代表で、実際の構造物と、絵画の中に描かれた構造物がまるで連続しているようになってることから、天井が実際よりも遥か上方につづいているような錯覚を感じるのだ。

ロヨラ教会のすぐ脇にあるこじんまりした Oratorio San Francesco Saverio al Caravita.

たまたま説教をしている司祭の前に置かれた 銅による現代アート The Oak of Mamre が綺麗だった。

またまた路地を西方向へと歩いていくと、

今度は Panteon; パンテオン が姿を現す。
もともと Marcus Vipsanius Agrippa; アグリッパによって紀元前25年頃に建てられたものが焼失、118~128年にハドリアヌス帝によって再建されたものが今でもほぼ完全な状態で残る奇跡的な建造物だ。

パンテオンも事前予約推奨の上での有料入場。
パンテオンに関しては20数年前の記憶もないし、今思えば入場してもよかったかもしれないけど、当時は事前予約とかいちいちするモチベもなく、パスした。まぁ、また来よう、たぶん、たぶん。

ローマの神々を奉る神殿として建てられたパンテオンは、609年に教会へと転用された。
内部は直径とドーム頂上への高さがいずれも43.3mという巨大な空間になっていて、それが補強無しのコンクリート材でつくられている。
これは現代でも世界最大の無補強コンクリート建設らしい。

2,000年も経った今でもなお なんで「世界最大の無補強コンクリート建築」なのか というと、それは現代では「無補強でつくるコスト的なメリットがない」という事以上に、476年の西ローマ帝国滅亡後、ローマン・コンクリート製法がロストテクノロジー化したこと、そして「基部は玄武岩など重い石を骨材とし厚みは6m に達し、中間層は凝灰岩などに変化させ、上層は軽石をメインとした骨材にした上で厚さ1.5mまで減じる」という複雑極まりない比重調整が施されているからなのだ。

“補強材が無い” という制約下で紡ぎ出された古代ローマ人の究極的なエンジニアリングは、現代の技術であっても「採算を度外視すれば再現可能」とぎりぎり言えるレベルの賜物なのだ、、、本当に恐るべき古代人の建築技術!

またまた路地を南西方向へ歩いていく、、、

Basilica di Sant’Andrea della Valle.
1591~1650年頃にかけてつくられたバロック様式の教会。東側には修復の足場が組まれてたけど、その奥に見えるドームは サンピエトロ大聖堂に次いでローマで2番目に高いドームらしい。

正面ファサード。

教会内部。

メイン身廊と奥の主祭壇。

身廊の天井画は19-20世紀になってから装飾されたもの。

三廊式ラテン十字バシリカの側廊に並ぶサイドアルターたち。ひとつひとつが、小さな教会の主祭壇を凌駕する豪奢さ。

少しだけ南西側に路地を抜けると、

Campo de’ Fiori という青空市場が広がっていた。広場の中央には 1600年 「世の中心は地球でも太陽でもなく、宇宙には無数の星がある」という先進的な宇宙論を展開して異端審問にて死刑となった哲学者 Giordano Bruno の像が立っている。

余談だけど、彼は火刑に処されるその時も 執行官に対して
「刑に処される私よりも、刑を執行するお前たちの方が真理の前で震えているではないか」と言い放ったという。
今から火あぶりになるという状況の中で、それでも自分の信念を撤回することなく 命乞いせず焼かれて逝った彼の精神の気高さはどれほどのものだろうか? 神の権威という支離滅裂なキリスト教界の教義と それに染まった大衆を相手にするということが、当時どれだけ孤独で絶望的な闘いだったか、そして死と壮絶な苦しみを目の前にしてもその不羈を守り抜いた人間としての態度には 数百年を経た今を生きる現代人の胸にも刺さるものがある。
ブルーノの視線のその先には、カトリック総本山のサンピエトロ大聖堂があるというのも、粋な配置だ。
あまり一般的ではないかもしれないけど、カンポ・デ・フィオーリ広場でフードの下に隠れたジョルダーノ・ブルーノの峻厳な眼差しを見るのは、ローマ観光の管理人的おすすめである。

 

今となっては そんな広場も賑やかな市場で、ち〇こ形の瓶に入ったリキュールはじめ 肉・魚・スパイス・野菜・・・と色とりどりの食材がぎっしり並んでいる。

 

パスタ関連の食材も、もうわけわかんないくらい沢山ある。
イタリア人はこの辺の種類にまじで厳しいからなぁ・・・

ローマの石畳が見合う白のチンクエチェント。

北側へ歩いていくと、

Piazza Navona; ナヴォーナ広場 にでた。

西側のChiesa di Sant’Agnese in Agone; 聖アグネス教会と、オベリスク 南北の噴水を囲むようにレストランやホテルが並ぶ。

広場から川側に向かって歩いていくと、

Chiesa Nuova di Santa Maria in Vallicella は閉まってて、

Basilica di San Giovanni Battista dei Fiorentini はまだ開いていた。

1734年頃 着工から200年以上経って完成した、ルネサンス~バロック様式のカトリック教会。

三廊式のラテン十字バシリカ、主身廊と主祭壇。Ercole Antonio Raggi 作のキリストの洗礼を象った彫刻がそのまま主祭壇になってる。

ファサード側のパイプオルガンと、

サイドアルターたち。この他にもまるで博物館のようにバロック彫刻が沢山並ぶ教会内だった。

そのまま北側に、Ponte Vittorio Emanuele II; ヴィットリオ・エマニュエーレ2世橋を渡る。

東側には Ponte Sant’ Angelo; 聖アンジェロ橋と、その先の Castel Sant’ Angelo; 聖アンジェロ城が Tevere; テヴェレ川に反射している。

さて、もう日が暮れそうな頃 本日の〆でPiazza San Pietro; サンピエトロ広場にやってきた。

この柵から向こうが、れっきとした独立国家であるバチカン市国の領土内で 国際法上も「越境」して広場内へと入って行く。
まぁあり得ないけど、もしバチカンが「ラテラノ条約を棄却します!」なんて言い出したら、いちいちここでパスポートコントロールすることになるのか・・・

さて、そんなわけで 全カトリックの頂点に君臨する Basilica di San Pietro; サンピエトロ大聖堂に入って行く。
入口のところで、黒×黄色の特徴的な制服に身を包んだ Pontifical Swiss Guard: バチカンのスイス衛兵 をみかけた。
1505年に当時の教皇ユリウス2世がスイス衛兵を雇った事にはじまり、1527年に起きた神聖ローマ皇帝によるローマ侵略の際も 当時の教皇クレメンス7世を守るため最後まで戦ったことから、今でもスイス兵がバチカンを守っている。

日が暮れてライトアップされた大聖堂のファサードと、広場。

教会内、メインの身廊。
教会はかなり複雑な構造をしてるけど、概観はラテン十字の三廊バシリカで、メインドーム下には広大な翼廊が広がる。
管理人が訪れた時は 2025年の「聖年」に向けた修復作業がまだ完全には終了していないようで、ところどころ白幕で隔てられたり足場が組まれたままだった。

主身廊。

側廊のサイドアルターと上部の楕円ドーム。

聖堂内はもはや美術館。ミケランジェロをはじめとした巨匠による彫像や、モザイク画に置き換えられた絵画など数百点で埋め尽くされている。とても全てを詳細に堪能するのは不可能なボリュームだ。
スタンダール症候群を発症しないために、適度に楽しむのが吉。

翼廊と、メインドーム下の Gian Lorenzo Bernini作 大天蓋 baldacchino.
サンピエトロ大聖堂の地下には1世紀に遡るネクロポリスが広がっていて、このバルダッキーノの真下には使徒ペテロの墓があるとされている。本来、教会の主祭壇は東側を向くのが習わしだけど、地図で見ると分かる通り、サンピエトロ大聖堂のそれは真逆の西北西を向いてる。これは、東側に主祭壇を向けるという習わしよりも、ペテロの墓の位置を優先して設計されたためだ。

独特のねじれ構造をした4本の柱は「ソロモンの柱」とよばれて、黄金に輝く聖堂内で異質な黒々としたブロンズは凄まじい存在感を放ってる。高さは29mにも及んで、製造につかわれた真鍮材の一部は先のパンテオンの軒の一部から剥がされたという逸話もある。

ガラスケース内に安置された St. Josaphat Kuntsevych の遺体。顔にはマスクがつけられて遺体は腐敗しない不朽体として扱われているけど、実際には保存処理が施されている可能性が高い。聖堂内には他にも複数の教皇の遺体が安置されている。

今回、有料のバチカン美術館とシスティーナ礼拝堂には行かなかった。
ツアーを申し込めば地下にあるネクロポリスに訪れることもできる。
つまるところ、サンピエトロ大聖堂関連を余す事なく堪能しようとしたらそれだけで1日あっても足りないくらいだから、まぁ今回はこのくらいで More than enough ってことにしとこう。

夜になってライトアップされたヴィットリオ・エマニュエーレ2世像と、コロッセオをちら見しつつ、

コロッセオ駅から電車で帰路へ。

夕飯をつくって待っていてくれる Bibi&Danilo 家に帰るのであった。

つづく

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