こんにちは、世界放浪2輪旅中の管理人です。
廃墟の村クラ―コと 粘土岩の悪地地形 カランキを経てマテーラ県からポテンツァ県へと跨いできました。
駐車場での野営明け、イタリアで最も美しいといわれる村のひとつに向かおうと思います。
Potenza の田舎道を行く
キャンパーバン用の駐車ロットで起床。11月を迎えて、夜はかなり冷え込む。
Z lite sol のマットは設営・撤収の圧倒的な楽さで エアマットに替わり最終的な装備にしたわけだけど、低温だと結局体からの蒸散が結露して凹凸面の凹部分のところに水滴が溜って、これを拭き取ったり乾燥させるのに時間がかかる。
昨日グロッサリーで買っておいたフルーツを食べて、
撤収、出発。
Viggiano; ヴィッジャーノの街、Lucania; ルカニア(バジリカータ州の古い呼び名)出身の芸術家 Felice Lovisco による聖母マリアと担ぎ手たち というブロンズ像が印象的だった。
Potenza; ポテンツァ県に入って、北東方向に走っていく。
低木の山地と、その合間に農作地が点在する 里山の中を縫っていくような道。
途中から厚い雲がでてきてちょっと天気が怪しくなってきたな・・・
美しい灰色の古代種 Podolica; ポドリカ牛 が道脇で草を食んでる。
なるほど、これがランボルギーニのロゴの由来か、とか思ったりして、
ゆるやかな丘陵の上にのぼっては落葉樹林の中に入ったりを繰り返す。
交通量はほとんどなくて快適。
そんな感じでやってきたのは Castelmezzano; カステルメッツァーノ という小さい村。
Castelmezzano
岩肌の側面にカラフルな家々がひしめき合う様は、「イタリアで最も美しい村」のひとつに選出されるのも納得の様相だ。
狭い急坂が迷路のように行きかう村の中は、なかなか住民以外車両乗り入れができなそうだったから、まずは歩きで散歩スタート。
標高は750m と比較的高め、
観光資源としての評価が高いとはいえ、山間でローマからの距離もあるし 観光客はほとんどいなかった。
せっかく美しい村なのに曇天は残念だなぁと思っていたら、だんだんと雲が晴れて青空が見えてきた!
野良にゃん太も青空にご機嫌である。
街の中へと坂道をのぼっていくと、パノラマテラスの開けた場所に Mother Church of Santa Maria dell’Olmo が建っている。
12~13世紀に遡る教会で、度重なる改修を経て 1870年頃に側廊が増築されて概ね現在の姿になった。
教会内部と主祭壇、
サイドアルター。
村の東側に入り込んでいく路地を歩いて行ってみよう。
こういう村は、遠くから見る方が美しいってのが相場だったりするけど、カステルメッツァーノは中に入ってもどこも絵になる路地がつづく。
10世紀頃の南イタリアには、北アフリカあたりを拠点としたイスラム勢力(当時はこれを、クリスティアニティに対してサラセン人と呼んだ)の侵略が度々起こるようになる。
伝承によると、そんなサラセン人の攻撃から逃れるように山間へと逃げてきたPaolinoという名の羊飼いが この地を格好の隠れ家としたことから中世の居住が始まったんだとか。
家の前の花鉢には綺麗に花が飾られて、厳しい冬に備えた大量の薪が用意されてる。
11世紀以降、ノルマン人支配の元で Albano di Lucania と Pietrapertosa (カステルメッツァーノの南北に位置する古い街) のちょうど中間に城が築かれたことから、Castrum Medianum; 中間の城 という名で発展したのが、今の村の名前の由来だという。
中世は、フランスのカペー朝に起源をもつアンジュー朝、そしてその後はスペインのアラゴン王朝の支配の元、衰退と発展を繰り返し、
19世紀に入ると 地理的な条件から山賊の拠点となったことや、度重なる自然災害もあって 住民のアメリカなどへの移住が加速したらしい。「山賊の隠れ家」と聞くと、まるで漫画の中の話みたいでロマンを感じてしまうけど、住民からしたらたまったもんじゃないわな。
狭い狭い石畳の路地に停められた古いフィアット。
南伊では、まだまだ小さい古いフィアットとかピアッジオ製の軽トラが現役でがんばってるのが嬉しい。
イタリアの風土のもとでフィアット500が愛されたのも、機能面で納得である。
2次大戦後は インフラも整備されたことで更なる住民の流出は防がれ、「イタリアで最も美しい村」に選出されたこともあって 経済的にも成り立ち、こうして存続しているというわけだ。
Tenere × Castelmezzano .
なんて映えるんだろう・・・
入国してから圧倒されつづけてるぞ、、、 イタリア!
ってなわけで、ある程度散策を楽しんだところで 次の場所に向けて出発。
おまけ 麗しき Castelmezzano の扉たち
つづく