こんにちは、世界放浪2輪旅中の管理人です。
アルベロベッロのトゥルッリ群を去って、やや西側にある Matera; マテーラ という街を目指します。
茶色き石灰岩の街、Matera
アルベロベッロを後にして、西方向へと進んでいく。
南イタリアのガソリン価格は、24年11月当時で 1.73€/ℓ
ギリシアより安いけど、北にいったらまた違うんだろうな。
70kmくらい走ったところで、Matera; マテッラ という街に到着した。ここは Sassi; サッシとよばれる石灰岩の洞窟住居で有名で やっぱり世界遺産に登録されてる。さすが「世界遺産最多の国」、入国してからいきなりヘリテージ・ラッシュ。
テネレを停めて、早速街を散策してみる。
Chiesa di San Francesco d’Assisi
Chiesa di San Francesco d’Assisi; アッシジの聖フランチェスコ教会
13世紀に建てられた最初の教会が15世紀に拡張され、写真に見えるバロック様式のファサードが18世紀に追築された。
内部は単廊式で、天井画の先に尖頭アーチで区切られた十字ヴォールトの祭壇につづいている。
祭壇のところに見えるテンペラ画は15世紀のもの。
単廊の両脇には側礼拝堂がいくつも配されていて、
そのひとつひとつが小さな教会の祭壇かと思ってしまうほどの豪奢さ、、、
教会を出て路地をゆく。
Chiesa del Purgatorio
1747年築 Chiesa del Purgatorio; 煉獄教会。ここは閉まっていた。
煉獄とは、天国と地獄の硲にある空間で 生前の罪を炎によって贖罪する場所らしい。
木製の扉には、聖職者や貴族の帽子をかぶった髑髏と、平民の髑髏が一緒に掘られていて 死の前での身分の無意味さをあらわしてるんだとか。
ファサード正面破風部分には、鎌をかかげる髑髏と、砂時計を携える髑髏、そして中央に炎に焼かれる人が彫られてる。
時間の経過と死の到来、そして煉獄での浄化を象徴しているらしい。
Chiesa di Santa Chiara d’Assisi
そのすぐ隣にある Chiesa di Santa Chiara d’Assisi; アッシジの聖キアラ教会がある。
東側の道路に開いた木造の扉。
内部は尖頭ヴォールトの単廊式。
両側の壁に埋め込まれたイコンと、主祭壇。構造上、祭壇は西側に設置されている。
教会が最初につくられたのは1702年、その後何度も改修を重ねてきようだ。
そのまま路地を進んでいくと、
Sassi の絶景
サッシの洞窟住居群が一望される高台を発見した。これはすごい・・・!!
街を一望して景色に圧倒されることは稀にあるけど、マテーラのこの景観はその部類では確実に自分の中で上位にはいるものだった。
茶色い石灰岩でできた家屋がぎゅうぎゅうに密集した様は、「洞窟住居」というより中世の石造りの家がそのまま保存された街のように見える。実際、外部の家屋構造はそれとしてあって 内部では岩盤をくり抜いた洞窟構造と一体となっているらしい。
近世にかけての人口増加に伴って、外側に石積みの家屋が何重にも増築されていくことで どんどん迷路のようになっていった結果 この独特の景観を生んだ。
特に20世紀に入るころからは更なる人口増加に都市構造が追いつかず 畜舎までもが住居利用されるようになっていった。
乳幼児死亡率が50%に達するほど衛生環境は悪化して、「イタリアの恥」とか 「南イタリアの貧しさの象徴」と揶揄されるまでなる。
さすがに看過できなくなった政府が介入して、1950年代 郊外に新居住区が建設される。サッシの住民約15,000人が強制移住させられた結果、サッシは一時的に完全な廃墟と化したという。
ただ、中世の石窟聖堂や洞窟住居、ユニークな貯水システム、そしてなによりこの独特な景観が評価されて 93年にユネスコに登録された。今ではすっかり観光地となって、お土産屋やレストランも沢山みられる賑やかな旧市街となったわけだ。
不謹慎かもしれないけど、1950年代 一時的にゴーストタウン化したマテーラ、もし見る事ができたら最高だろうなぁ・・・
検索すれば、当時の様子を垣間見れる写真があるので 気になる方は是非。
高台からぐるーーっと東側へと旧市街を下っていく。
完全に岩と一体構造の Chiesa Rupestre di Santa Maria di Idris.
小さなものを含めたらこのような岩窟聖堂の数は150にも及ぶようで、とても全てを見切るのは無理。
鮮やかなニワトリの置物と、イタリアン・トゥクトゥク。
Chiesa di San Pietro Caveoso
Chiesa di San Pietro Caveoso; 聖ペテロとパウロ教会
建設が始まったのは1218年と古いけど、現在の姿は やっぱりその後の度重なる改修の後のもの。
バロック式のファサードと重厚な鐘楼は17世紀に追加されたもの。
教会内は三廊バシリカ。一番印象的だったのは木造の天井とそこに描かれた天井画だ。
木製の天井は主祭壇のアーチ後方までつづいて、磔となったイエスの後ろに聖母マリアの戴冠が描かれていた。
非キリスト教圏の人間からすると、神聖というよりは皮肉な構図に見えてしまう。
左右側廊の側礼拝壁龕。
少しだけ進んだ先から見ると、聖ペテロとパウロ教会が断崖すれすれに建っている様子がよくわかる。
サッシ旧市街の東側に広がる 深いGravina; グラヴィナ渓谷。
旧市街のほぼほぼ北側まで歩いてきた。ここからはまたさっきの高台からとは違った景色が見える。
Convent of Saint Agostino
そんな北側の末端部に建つ1591年築 Convent of Saint Agostino; 聖アゴスティーノ修道院。
1734年の地震で崩壊した後、再建されている。ファサードは後期ルネサンス様式からバロック様式への過渡的な雰囲気。
内部は単廊式、
主祭壇は1748年に製作されたロココ様式の大理石製、
上部には絢爛に装飾された1749年製パイプオルガンが設置されている。
側礼拝壁龕に置かれたサイドアルター。さっきも言ったけど、ひとつひとつが小さい教会の主祭壇レベルに豪華だ。
聖アゴスティーノ修道院のバルコニーから、南側の眺め。
サッシ地区の北側をぐるっと周回する道路と、まるでレゴのように積み重なる石灰岩家屋、そして丘の頂上のカテドラルがなんて絵になるんでしょう。
Chiesa di San Biagio
南西側に坂を歩いてくと、ひっそりと小さな Chiesa di San Biagio; 聖ビアッジオ教会がある。1642年築。
内部は綺麗に改修された小さな単廊半円ヴォールト。
Chiesa di San Giovanni Battista
そこから少しだけ南側に建つのが Chiesa di San Giovanni Battista; 聖ジョヴァンニ・バティスタ教会。
1233年に完成した古い教会で、ロマネスク様式がベースになっている。
少し小ぶりなRosone; バラ窓(ロマネスク~ゴシックのカトリック教会に特徴的な円形の装飾窓) の下には 洗礼者ヨハネの姿が彫られている。
内部は星型ヴォールトの中央身廊と、十字ヴォールトの側廊からなる三廊式の十字型バシリカ。
窓からの採光も少なく、石肌がむき出しになったロマネスク様式は 後のルネサンスやバロック様式の煌びやかさに比べると陰鬱なイメージを持たれがちだけど、個人的にはこの質実・堅牢な印象の方が好きだ。
ニッチの洗礼者ヨハネ像と 後陣のイエス像。
教会を支える重厚な柱の柱頭に施された彫刻がおもしろい。
サッシ地区のど真ん中あたりを東に向かって歩いていく。
この辺りが一番賑やかなエリアなのかな。
中央に聳える丘にのぼっていくと、
Matera Cathedral
頂上には、さっき遠くから見えた Matera Cathedral; マテーラ大聖堂 が西日を浴びて鎮座していた。1270年の完成。
この日は閉まっていたのか、あるいは時間が遅すぎたのか、残念ながら扉は閉まってしまっていて中には入れなかった。
ここは、Matera-Irsina; マテーラ・イルシーナ大司教区の大司教座がある聖堂で、バジリカータ州の6つの司教区のひとつを成してる。
教会南側の壁面にある意匠。
西側ファサードには、16本の放射軸で構成された Rosone があるけど、我々日本皇室の16菊花紋に似てるよなぁ。
イランで訪れた古代ペルシャの遺跡 ペルセポリスにあった王墓の装飾、イラク国立博物館でみた古代バビロニア イシュタル門の一部、アルメニアの中世修道院の壁面にあった意匠なんかでも同じような紋様をみてきた。
まぁただの偶然なんだろうけど、なんかロマンがある。
カテドラルの建つ丘の上から西側の旧市街を眺める。
マテーラの奥は深そうで、たぶんほんとにちゃんと見切るなら5日~1週間、この街だけに割いても飽きなそうだけど、、、
シェンゲン縛りがある以上 そこそこで引き揚げなきゃならんのが辛いところ。
グラヴィナ渓谷を挟んで街の東側に広がる不毛な高台の上の方にやってきた。
今日はここで野営決定。
マテーラの夜景を見ながらテントの設営をするのであった。
つづく