【Republic of Turkey episode 46】Konya; コンヤに鏤む セルジュークの面影

どうもこんつくは、グレートエスケープ中の管理人です。

コンヤの中心的ランドマーク Mevlana; メヴラーナもすごいインパクトですが、コンヤの街には他にもみどころが沢山あるので Recepから借りたスクーターで適当に見回っていこうと思います。

旧市街のモスク群

メヴラーナコンプレックスのある一画のやや南西に位置する、住宅地が密集したようなエリアに入って行ってみる。

適当に旧市街とか書いたけど、本当に旧市街なのかどうかは?
雰囲気的にはそんな感じだった。

Aziziye Mosque

少し開けた場所に鎮座する、なんともずっしりした佇まいの Aziziye Mosque.

現在の姿は1874年に再建されたもので、19世紀のアンピール様式とオスマン様式の折衷といわれている。
イスタンブールで見たバロックとの折衷とは、確かに様子が明確に違う。

重厚な教会のような雰囲気はあるけど、イスタンブールのOrtaköy Mosque や、Nuruosmaniye Mosque のようにやや過度といえるような外面の彫刻や優美な曲線はなく、もっと直線的で荘厳な雰囲気。

窓を掃除するおっちゃんと、横門の前でアイスクリームをほおばるおばちゃん。

ミナレット頂上は列柱で装飾されたバルコニーになっていて、これはユニーク。

正面入り口とそこにあるコリント柱頭。

青みが買った大理石に金装飾の門はとても印象的で、

内部の様子はけっこうシンプル。

ただ、ミフラーブはやっぱり青大理石に金装飾の、豪奢なつくりだった。

アジィジィイェ・モスク周辺に広がるローカルな景色と、いきなり”蜂蜜” の文字。

鮮やかな黄色がかわいい TofaşのMurat 124. 中央アジアで見かけた Lada の 2101/2103 に酷似しているけど、どちらもFIAT 124をモデルに生産されたモデルだからそれもそのはず。AvtoVAZが技術提携による再現車なのに対して こっちは正式なライセンス契約でつくられたモデルでFIATのエンブレムが見える。

さらにローカルな路地に潜っていく。

ほとんど家のような Bulgar Tekke Cami.

興味深い黒塗装オーブンの専門店や、

雑貨屋がひしめきあう路地を進んでいくと

Kapı Cami

Kapı Cami; カプ・モスクがみえてきた。

ちょっと中央アジアのそれを思い出すようなレンガ積のミナレット。

東側の入口と、突然現れたアジア人に訝し気な視線をおくる噴水前のおっちゃん達。

噴水部分タイルのディテール。

写真撮ってくれ勢(定期)。

北側2階部分のバルコニー

と、入口。

内部はこんな感じで、青い絨毯と幾重にも重なる天井のドーム、そして木製の柱が絶妙なコントラストを生み出してるなんとも特異な空間。

最初の築造は1658年で、今の姿は1868年に再建されたもの。

ミフラーブの装飾も、オスマン古典様式とは明らかに違う どちらかというとセルジューク様式に近い中央アジアのモスクに似ている。
コンヤは、1097年以降 ルーム・セルジューク朝の首都だったことから トュルク系・ペルシャ系の文化を色濃く残している。

モスクが再建された19世紀は、当然ルームセルジューク朝が滅びて500年以上も後のことだけど こうやってセルジューク様式が再現されるのは まさにコンヤがその文化の中心であったことの証だし、意図的に古い様式を再現して文化的なアイデンティティを継承しようというスタンスはいいなぁと思う。

カプ・モスク 北側バルコニーから眺める瓦屋根と庇の出張ったこの雰囲気👍

Konya Moto Collection.

Haci Hasan Cami.

なんでもない小さなモスクも、オープンだとつい入りたくなる。

そして、めちゃめちゃ小さい、無名なモスクなんだけど 中に入ると意外にすごいミフラーブがあったりする。

メインストリート南北のランドマークたち

きっともうすぐ絶滅する公衆電話。

Iplikçi Cami

メインストリートに戻ってきて、通り沿いにずしっと鎮座する Iplikçi Cami; イプリクチ・モスク. これまた雰囲気が全然違う。

なんとなくのっぺりしていてあまり特徴的じゃないんだけど、実は1201-2年の築造とめちゃめちゃ古い。実際には火災による焼失・再建・修復を何度も繰り返していて あまりオリジナルが多く保存されている とは言えないけど、それでもセルジューク時代の当時の建設を今に伝える数少ないモスクとして非常に重要性が高いという。ドームが無い、直線的でキューブ状の建築スタイルなんかも ルーム・セルジュークの典型的な建築様式だったらしい。

あとは、前記事で紹介した メヴレヴィー教の創始者 ルーミーがこのモスクで説教をしたという言い伝えもあることで、このモスクは更にその重要性が高くなっている。

内部の様子。

全体的に薄暗く、シャンデリアなどの装飾はかなり控えめというかほとんどない。
おそらく建築当初はあったであろう木柱は再現されてないみたい。

そして奥に見えるミフラーブ。

このミフラーブは19世紀になってからつくられたものだけど、その基部 床の部分にはわずかに建築当時のミフラーブの遺跡が残っている。
これはアナトリア・セルジューク美術の最古の例のひとつらしい。今思えば、もっとライトで照らして見てみたりすればよかった・・・

さて、メインストリートを挟んで北側の路地に入って行ってみる。

絶賛修復中の Şerafeddin Cami.
このモスクはオスマン様式。コンヤには本当に色んなタイプのモスクがある。

セマ・ダンスの図柄がはいったライターケース、いいなぁ。数百円だし、買っとけばよかった。

イスタンブールに限らず、トルコのイッヌもどこもでかい。

そのまま北方向に公園内を進んでいくと、

Şemsi Tebrizi Camii ve Türbesi

Şemsi Tebrizi Camii ve Türbesi; シェムス・イ・タブリーズィ廟とモスク がある。
ここもセルジューク様式の平屋なレンガ造り。

写真撮ってくれ勢(ガールズ)。

モスク内部。

フレームから緑の光でアラビア文字が浮かぶ、かなり凝ったつくりの照明と ムカルナスで装飾されつつもシンプルな白のミフラーブ。

そしてドーム下の空間に安置されたŞemsi Tebrizi; タブリーズのシェムス の墓。
このタブリーズのシェムスという人物は、往々にしてルーミーの師として語られる人物で、12世紀 ペルシャ出身のスーフィーである。
何があったのかはよく分からんのだけど、とにかく 一学者 に過ぎなかったルーミーの魂に火を灯し、秀逸な詩人 そして偉大な神秘主義者へと導いたのがシェムスだと言われている。
ルーミーのそれと比べると、随分簡素なサルコファージだったけど、ここにシェムスが埋葬されているかは謎とのこと。

内部は木造が引き立てられた、セルジューク様式が特徴的。
少し東アジアの寺社とも似たような雰囲気を感じる建材装飾。

モスクのすぐ脇にあるのは İshak Paşa Türbesi; イシャク・パシャの墓。
イシャク・パシャは、15世紀オスマン帝国の宰相。

Alaaddin Hill Park と、アラディン・モスク

メヴラーナから東西に街を横切るメインストリートの西側に、小高い丘があって かなり広い公園になってる。

噴水脇の階段を上って、

丘の頂上部分まで行くと、Alaaddin Keykubad Mosque; アラディン・ケイクバート・モスク。
Mesud Ⅰ;マスード1世 (ルームセルジューク朝4代スルタン)の治世に始まった建設は、11代スルタン Keykubad Ⅰ; ケイクバート1世の治世 1220年頃に完成したといわれている。

東側に位置する入口。

内部は、重厚な石柱と その上につづく煉瓦のアーチでつくられた広大な空間。

 

それぞれの石柱のデザインも微妙に異なっていておもしろい。

この丘には、更に以前キリスト教バシリカがあったらしくて、Sivrihisar の記事でも触れた通り Spolia; スポリアによってキリスト教建造物の建材が利用されている。

かなり大きな部類に入る大理石のミフラーブと、それを取り囲む美しい青タイルの装飾。

モスクの北側にやってくると、

様々な碑文がみられる。2つ目の碑文は ケイクバート1世による、モスク完成を伝える碑文。

扉内から、コンプレックスの全貌。

Kılıçarslan City Square とカラタイ神学校

クルチアルスラン2世像

アラディン丘のすぐ北側にある広場。

広場の中央に建つ像は、ルームセルジューク朝5代スルタン Kılıçarslan II; クルチアルスラン2世を表わしたもの。
11世紀半ばから末にかけて治世を担ったクルチアルスラン2世は その在位中何度も東ローマ帝国と戦い、そして1176年 ミリオケファロスの戦いでそれを完全に退けることで セルジュークのアナトリアにおける支配力を確固たるものにした英雄的な存在。
その雄姿をたたえるように、弓矢・兜・剣が彫られていて、まさに戦闘の神といった様相。

セルジューク朝のシンボルである双頭の鷲。

Karatay Medresesi

広場の東側に鎮座する Karatay Medresesi; カラタイ・マドラサ.

1251年、当時の宰相  Jalal al-Din Qaratay; ジャラールッディーン・カラタイによって建てられた。

  

東側入口のイワーンに施された意匠。
ワクフ(財産寄進)を推奨するよう、扉を取り囲むように37の碑文が彫られている。

内部のメインドーム下に広がる空間。

ドーム下面や、

壁面の装飾と西側につづくイワーン。

マドラサ内部に今でも残る、770年前のタイル。

一室に安置された マドラサの創設者 ジャラールッディーン・カラタイのサルコファージ。

そんなカラタイ・マドラサは、セルジューク美術を保存するための博物館としての機能もあって、マドラサ内の身廊部分にはコレクションが展示されている。ただ、全てが13世紀のものというわけではなく、時代はごちゃまぜだった。

19世紀のお皿と、16-7世紀のどんぶり オスマン帝国。

12-3世紀セルジューク朝のオイルランプ と 人面の彫刻。

12-3世紀セルジューク朝の花瓶。

動物の姿の象り方がとってもセンシーな、12-3世紀セルジュークの装飾片。
コンヤより西にある、Kubad Abad という遺跡からのもの。

19世紀オス面帝国時代の陶器類。

そしてこのマドラサ博物館で管理人的に一番の見どころといって良いかもしれない、Kubab Abad の発掘によってみつかった12-3世紀セルジューク朝のタイル群。デザインがどれも独特で、特に空想上の生物を描いたかのようなシルエットや、どことなくアジア系の顔つきにも見えるような人々の意匠は、ずっと見ていて見飽きない。ちょっとくどいようだけど、せっかくなので沢山画像を貼っておこうと思う。
気になるデザインがあったら、是非拡大して見てみて欲しい。当時のタイル職人のセンスを少し感じられそうな気がする。

Kubab Abad は、コンヤの西100kmくらいのところにある湖畔の遺跡で、ケイクバート1世の夏の離宮があったらしい。

青を基色とした彩下釉色の施されたタイルたち。
ハーレムの女性、廷臣、召使といった宮廷に暮らす人々を描いている。

セルジューク朝の始祖となったオグズ族は、中央アジアに出自を辿るテュルク民族で、13世紀のルームセルジューク朝ではそんな感じの顔つきの人たちもまだまだいたのかもしれない。現在われわれが抱くトルコ人(以前にも言及した通り、現在の”トルコ人”という言葉に民族的な意味はあまりない)の彫深い顔立ちは、その後の混血によるもの。
あるいは、当時既に混血は進んでいたものの、あくまで民族的始祖を意匠のシンボルにしたのかもしれない。

スフィンクスやグリフィンのように見えるデザインから、普通の鳥まで。

花を右手に持った人物は、ケイクバート1世その人だと考えられている。

السلطان; Al Sultan が中央に刻まれた双頭の鷲。

かなりリアルな描写もあって、800年前はどれも実在したんじゃないかとおもえてくるけど、まぁさすがに人面鳥はいるわけないよな。

さらに展示はマドラサの外にまで及んでいる。
主に13世紀 コンヤ城の発掘により発見されたレリーフ群。

ドラゴンのレリーフ。

ゾウとサイ・・・らしい。左はあんまりサイに見えないけどなぁ。
てかサイとゾウを追っかけることなんてあるのか?

今度はウシを追いかけるサイ(?)

人面鳥。

双頭の鷲。

“スルタン” のアラビア文字を挟む鷲。

門の両脇にあったと考えられている天使像。王冠を被った天使が走るって、ちょっと珍しくて滑稽。

左手に豊穣の象徴であるザクロの花を持った人物。右手に持っていたものは 現在では壊れてしまい不明。

まだまだ、ずらりと並ぶ碑文や紋章たち。

翼を持った馬(西洋的にはペガサスか)と、その下には “Yakub” とアラビア語で掘られている。

Ahi Ahmed Shah という人物の墓標。右手に猛禽類を抱えた男が、かなり耐格差のある小さい男の方の顎を左手で掴んでいる。
どんなシーンなのか気になる。

ある墓石の表裏。表上段には人の頭、ライオンの胴体、龍の尾をもつ生き物が、下段には鹿がそれぞれ1対 そして裏には孔雀をあしらった十字架が。その上部には Karamanlı; カラマン語が刻まれている。カラマン語は、トルコ内でトルコ語をギリシア文字で表記していた正教徒たちの文字で、現在は絶滅した方言。

アラビア文字で囲まれた中央に、複雑な紋様をもつ墓石。

左下段の円には孔雀、上段の円には謎の生物、右側には鹿を襲う豹とそれを眺めるような鳥が彫られている。

ってなわけで、カラタイマドラサは 古のタイルワークや 意匠デザインを沢山味わうことのできる博物館だった。

ゆったりと街が暮れていくのを散歩して

バルコニー付き木造ミナレットが特徴的な Ak Cami.

コンヤ市内を走るトラム。

アラディン丘 南側の路地へと戻っていく。

St.Paul Church.

謎の館。

Sırçalı Medrese. 1242年築造。

正面上部の碑文。

セルジューク朝らしい、装飾の多い重厚なイワーンの構え。

マドラサは閉まっていたけど、たまたま中に入っていく人が通りかかって、一瞬中の写真を撮らせてくれた。
白く修復された部分と、おそらくオリジナルが残ってると思われる部分のコントラストが激しい。

もう日が暮れる。

路地で見つけた本屋ビル。

中は全部本屋。

なぜか緑とピンクのネオンでライトアップされたビル内が、なんかサイバーパンクな雰囲気でよかった。

Kadı Mürsel Cami や、

名もなき小さなモスク。

煙突みたいに屋根から生えた木造バルコニー付きミナレット。

こういう小さなモスクの中は、まさに憩いの空間。
北アフリカのムスリム国家に比べて、トルコは本当にこういうとこ寛容だ。

夜は、また Recep の知り合いの店に行って、ただで夕飯をご馳走してもらうのであった・・・。

ってなわけで、雑多なコンヤの徘徊録でした。
本当は İnce Minareli Medrese というマドラサを見るのを楽しみにしていたけど、残念ながら修復作業中で完全にカバーがされてしまっていた。まぁまたコンヤに来ることが・・・もしあれば・・・? 再訪の口実にしよう。

つづく

管理人の旅を支える道具たちはこちら↓↓↓