どうもこんつくは、グレートエスケープ中の管理人です。
イスタンブールに滞在してる間、Muhammet と話してると
「そういえば、トルコの道中 Konyaの近くを通ったんだけど 行かなかったんだよね」
「イスタンブールから鉄道で行けるよ。バイクはここに置いとけるし、行ってみれば?」
ってなことで、せっかくだし スーフィズムの聖地 Konya; コンヤに行ってみる事にした。
ここまでのルート
トルコの新幹線でイスタンブール→コンヤ
バックパッカー旅行者は公共交通機関の情報に強い人が多いけど、管理人は常にバイク移動なのでその辺の情報に疎い。
迷いつつ辿り着いた駅で間違えないように所定の電車を探す。
入口はけっこう長蛇の列で間に合うか心配になるが、なんとか間に合う。
チケットはオンラインで事前に買っておいてよかった。
Turkish Bullet Train と、
客室の様子。すごくきれいね。
車窓から見える風景をぼーっと眺めていれば、勝手に進んでいってくれるの最高。
250km/h なり。
目的地の1個手前の駅で間違えて降りてしまったけど、駅は空港のように広くてきれい。
Counchsurfing でたまたま見つけた現地のライダーに連絡をすると、快くホストを請け負ってくれた Recep とその友達の Adam.
駅を間違えたと連絡すると、わざわざ管理人が降りたところまで迎えに来てくれた。
R1200RTの後ろに乗せてもらいコンヤの市内へと移動、
コンヤにいる間はこれを使っていいよ、と Recepがスクーターを貸してくれた!
まじでありがとう。
Recep は少し離れた場所に住んでいるということで、なんと市内の中心地にあるマンションの1室を丸々貸してくれることに。
こういう時は本当に感謝の言葉が見つからない。
Mevlânâ; メヴラーナ
翌朝、また皆で集合して朝食をご馳走になったあと、例のスクーターを駆り出しコンヤ観光へGO.
テネレに比べるとおもちゃのようなスクーターだけど、混雑した街中を走るには正直こっちのほうが圧倒的に扱いやすい。
まずやってきたのは Mevlana Meydanı; メヴラーナ広場。
広場から見える Selimiye Mosque; セリミエ・モスクと、メヴラーナ・コンプレックス。
まずはモスクから見て行ってみよう。モスクは1558年、セリム2世がまだ王子だった時代に建てられた。
ファサード回廊。
モスク内部。
典型的な16世紀オスマン様式。
青大理石でできたミフラーブ隣の壇上ではちょうどイマームらしき人が説法を説いていた。
モスクの東に建つメヴラーナ博物館へ。
トラムの通る南側の通りから内部へ。トルコ石で出来たミナレットのようなドームが特徴的。
コンヤの何が素晴らしいって、他のトルコの観光地がほぼほぼ高額な外国人入場料をとるのに対し 全て無料ないしめっちゃ安く入場できる点だ。このメヴラーナ・コンプレックスは無料だった。
コンプレックスの中の中心的な建造物 Mevlana Türbesi.
ペルシャ人スーフィ神学者であり偉大な詩人 Rumi; ルーミー の霊廟がある。
“スーフィ” という言葉を初めて知ったのは、確かイランのアルダビールでシェイク・サフィー廟を訪れた時の事だったと思う。
特定の宗教を指すわけでもなく、初期イスラーム集団の中で自発的な精神性の追求の中で生まれて来た”スーフィズム”という概念は、かなり理解するのが難しい。
ともあれ、それから何世紀と時間が経つ中で各地域で体系化されていったスーフィズムには、時折シェイク・サフィーや、ウズベキスタンで訪れたシャムシッディーンのようなスーフィ神学指導者が現れることになる。
エスケシェヒルにいる時、Ayfer がスーフィの分類について教えてくれた。
少なくともトルコには大別して、
Bektaşilik;ベクタシズム 特にAlevi; アレヴィー派
Mevlevilik;メヴレヴィー教団
Qadirilik;カディリーヤ
Nakşibendilik;ナクシュバンディーヤ
といった分派があって、それぞれが更に複雑な分派や、異なった教義 宗教儀式などをもっている。
この中の メヴレヴィーを創設したのが、ここに埋葬されている Jalāl al-Dīn Muḥammad Rūmī; ルーミーなのだ。
霊廟がつくられたのは1274年。
霊廟内、ひっきりなしに多くの人が入れ替わっていく。
霊廟内にはルーミーの親族や弟子、高位のスーフィー神学者たちのサルコファージが60基ちかくもあるという。
基本的には、サルコファージの上に置かれたターバンの色が緑→親族、白→弟子 とされているらしい。
霊廟内でひときわ絢爛な装飾がされた一画、
トルコ石のドーム直下に位置する場所(Huzur‑i Pir; 霊尊の間)に安置されたこの立派な墓がルーミーのものだ。
黒地に金で美しいアラビア文字が刺繍されたプシーデで覆われたルーミーのサルコファージ。
إِنَّا لِلّهِ وَإِنَّـا إِلَيْهِ رَاجِعونَ; 私たちはアッラーのもの、そしてやがてアッラーのもとに帰る と書かれている。
Huzur‑i Pir; 霊尊の間にみられる美しい意匠の数々。
霊廟の奥につづく空間は博物館となっていて、
13世紀に書かれた貴重なカリグラフィーのコーランなどが展示されていた。
ルーミーその人が着用していた帽子やローブもこのコンディションで残っているというから驚きだ。
メヴラーナ霊廟の前に広がる回廊には小さな部屋が沢山あって それら全てが当時の資料を収蔵する小さな展示室になっている。
19世紀のカリグラフィー。
19世紀 kudüm; クドゥムという打楽器。メヴレヴィー教団が行う回転舞踏(Sema Dance)の際に使われる。
20世紀 Rebab; ルバーブ という弦楽器。
19世紀、巨大な Zikir Tesbihi.
他にも、19―20世紀実際に使われていた道具などが多数展示されていた。
メヴレヴィー教団修行者の当時の生活が再現されたコーナー。
コンプレックスに併建する2つのトゥルベ。
コンヤよりやや南に位置するKaraman の総督だったSinan Pasha とその娘、 Fatima Hatun の霊廟。
それぞれ 1574年と1585年に建てられた。
そしてそれより更に以前にKaraman総督だった Hurrem Pasha とその近臣 Hacı Bey の石棺がおさめられるこの霊廟は 1528年に建てられた。
13世紀以降スーフィズムの中心的な場所であったコンヤは政治的に密接な関係にあったカラマンの総督たちもその埋葬を願うほどの場所だったことがよく分かる。
夜のMevlana
別の日、夜にやってくると また格別に美しいMevlana.
ライトアップされたセミリエ・モスクと、
メヴナーラのコンプレックス。青く光るトルコ石のドームと、緑に光るシャディルヴァンのコントラストが怪しい。
ってなわけで、コンヤのメインランドマークであるメヴラーナでした。
つづく