【Republic of Turkey episode 43】イスタンブール備忘録~4. 巨大バザールを巡る

どうもこんつくは、グレートエスケープ中の管理人です。

バイク旅が本筋なので、バイク旅を見たい読者さんにとっては退屈な記事がつづいてしまいますが、お付き合いください。
今回は旧市街のグランド・バザール周辺の徘徊録です。

Hippodrome と Hagia Sophia Museum

この日も、テネレを走らせてセンターへ。

またハギア・ソフィア広場にやってきた。

1898年のドイツ皇帝 Wilhelm Ⅱ; ヴィルヘルム2世の訪問の際に両国有効の名の下に贈呈された German Fountain.

広場に建つ2本のオベリスク。
ここは、ビザンツ時代にHippodrome; ヒッポドロームという戦車競走や競馬が行われていた場所。

ひとつは The Obelisk of Theodosius; テオドシウス帝のオベリスク。
元々は紀元前15世紀にエジプトのテーベ(現ルクソール)で、当時のファラオ トトメス3世によってつくられたものが、ローマ皇帝テオドシウス1世によって4世紀後半 コンスタンティノープルに移設された。

台座部分には、当時ここにあったヒッポドロームで競技を観戦するテオドシウス帝の姿が彫られている。
それにしても、3,500年近く前のオベリスクの保存状態は凄まじく良い、というか後世に付け加えられた台座よりも綺麗だけど、修復されてないのかな。

おなじく旧ヒッポドロームに建つ Serpent Colum; 蛇の柱。
紀元前5世紀、サラミスの海戦やプラタイヤの戦いでペルシア戦争に勝利したギリシアが、戦利品を溶かしてつくった金杯を支える台座として、ギリシアのデルフィにあるアポロン神殿に設置されたものが、4世紀 コンスタンティヌス帝によってコンスタンティノープルに移設された。元々はその金杯と、それを支える3体の蛇の頭があったらしい。

テオドシウス帝のオベリスクと対になるようにヒッポドロームの反対側に建つ Walled Obelisk; 壁のオベリスク。
かつてのヒッポドロームを2つの競技場に2分していた Spina; スピナ という構造物の1つだったと考えられていて、正確な製造年代は不明。
かつては沢山の装飾があったらしいけど、特に第4回十字軍でそのほとんどが略奪されたらしい。

さて、ハギア・ソフィアへの入場で買ったチケットはミュージアムの入場券も兼ねているので せっかくだから入ることにした。

内部では、複雑な経緯のあるハギア・ソフィアの歴史を順を追って辿っていく感じの映像体験型エキシビションで、分かりやすいし壁全体をつかったビデオは迫力があって、これはとてもいい展示の仕方だな と思った。
各部屋を進んでいくごとに歴史のページがめくられるような感じで、全て観終わった後、展示を周る。

また、展示物のほんの一部を紹介。

ハギア・ソフィアのモザイク画につかわれている色石。

清王朝時代の中国のインクポット。

オスマン帝国時代のハギア・ソフィア内部の様子を描いたもの。

19世紀の改修時、セラフィムの顔を覆っていたマスク(Rosette)。

19世紀の聖母子像と1862年のクロス。このクロス、その4隅には4人のEvangelist(福音記者)と、それぞれを象徴する動物や天使がセットで彫刻されている。元々はあのスメラ修道院に収蔵されていたものらしい。

Alexios I Komnenos; アレクシオス1世コムネノスからスメラ修道院に寄贈された十字架の箱。
1100年前後ということだろうか。よく見ると、右側の衣装の中に2体のセラフィムがある。

19世紀の最後の晩餐 だけど、13人のうち ユダだけ光背が描かれていない。

やっぱりセラフィムがモチーフになった 教会に吊るすための装飾品。18世紀。
ダチョウの卵だけじゃなくて、こういうのもあったのか。

17世紀、アルメニアの Reliquary; 聖骨箱。
アルメニアの教会群を巡っている時にもたびたび目にした Benediction Gesture; 祝福のジェスチャーをとった銀製の腕型容器だ。

Grand Bazar とその周辺

金閣湾沿いをぶらついて、

グランドバザール近くの丘の中腹までやってきた。

どこからバザールが始まるのかはわからないけど、たいてい近くをうろうろしてれば自ずとそれらしい場所に辿り着く。

イスラム圏独特の”びっしり”と両サイドが埋め尽くされるアーケードへ。

ごく普通のお土産から 水たばこ、カーペット、伝統工芸品に日用雑貨まで あらゆる専門店が建ち並ぶ。

この、ポットが2つ重なったやつ欲しいんよな・・・
çaydanlık; チャイダンルク という2段式ポットで、下のポットでお湯を沸かして 上のポットには茶葉を入れて濃い紅茶を煮だす。
下ポットからの蒸気で紅茶は保温されて、飲むときは下のポットのお湯で濃さを調整できる。実に合理的。またいつか買いに来よう・・・

無性に大人買いしたくなるグミ。買わんけど。

一度外に出て、

とある路地を入って行くと、そこからは Sahaflar Çarşısı; 古書バザール がはじまる。

まさにイスタンブールの神保町!

神保町ラヴぁ―の管理人としてはテンション爆上りゾーンのひとつだった。

古書バザールを北側に抜けると、大きな広場に出て、南側には Beyazit Mosque; バヤズィト2世モスクが、北側にはイスタンブール大学の門がある。

Beyazit ⅡMosque

バヤズィト・モスク シャディルヴァンを伴うコートヤード。

バヤズィト・モスクが建てられたのは1505年で、イスタンブール陥落後 旧教会のモスク化ではなく新たに建設されたものの中では最も古いモスクのうちのひとつといわれている。特に selatin camii; 帝王モスク=スルタンの命によって建てられたモスク という範疇では、より以前に建てられた Fatih Mosque; ファティフ・モスクが後世に再建されていることから、現存する中で最古なのだ。

さて、また混沌のアーケード下に戻る。

この手のバザールも、一体今までどれだけ見て来たかもう覚えてないくらだけど、雰囲気でいえばイランのタブリーズで巡ったグランドモスクが過去最高だったかなぁ。

台車のじぃさんと、スクーターの若者のバトル  勃発。

グランドバザールの門。1461 とある。

Nuruosmaniye Mosque

グランドバザールを挟んで、ちょうど西のバヤズィト・モスクと反対側に隣接する Nuruosmaniye Mosque; ヌルオスマニエ・モスク。

オスマン古典様式とは明らかに異なる、西洋のバロック様式を取り入れた オスマン・バロック様式の最初のモスクといわれていて、1755年に完成している。スルタンの命によるモスクが、古典オスマン様式から決定的に方向転換したという点で、重要らしいよ。
確かにそういう目で見ると、外装の雰囲気も教会みたいなところがある。

モスク内部はほどよく絢爛な雰囲気で、ステンドグラスが多用されたり、ミフラーブのニッチやその両脇に列柱でバルコニーが設けられていたり バロック様式との融合が目に見えて感じられる。
Wiki先生曰く 当時の建築において「直線を曲線に溶け込ませようとあらゆる面で力を入れている」とのことらしい。なんてピニンファリーナ的なメンタリティなんだ!

中央ドームは直径25.4m 高さ43.5m と、先の記事で紹介したハギア・ソフィアとスレイマニモスクに次いでイスタンブールで3番目の大きさを誇る。

この辺のエリアは旧市街の中でも特にごちゃついていて、歩き回るのも一番楽しいかもしれない。

Column of Constantine

ヌルオスマニエ・モスクの南広場に建つ Column of Constantine; コンスタンティヌス帝の記念柱。
330年頃、ローマ皇帝コンスタンティヌス帝によるコンスタンティノープルへの遷都を記念して建てられた。
紅斑岩製の円柱が複数積み重なっていて、当時は最上部に太陽神ヘリオスの姿を模したコンスタンティヌス帝の像があった。
後にオスマン帝国によって現在みられるように鉄製の輪で補強されている。
イスタンブールで見られる最も古いローマ期モニュメントのひとつ。

テネレの元に戻る途中で、なんとも目を惹く香水商のおじさんを発見。
パキスタンから来てるとのこと。

Egyptian Bazar

テネレを走らせて丘からまた金角湾側の方へと下りていく。

日が傾き出す頃、更に活気を増す市場を通って行くと、

Mısır Çarşısı 1664 と書かれたゲートが。

ゲートをくぐると、そこにはまた異世界感ただようアーケード下のバザールが広がっていた。

ローズオイルに数えきれないほどの香辛料。

お茶の種類も凄まじい!

激アマ必須なスイーツや、色とりどりのキャンディにグミ・・・・

Eminönü Square

活気あふれる異世界、エジプシャンバザールを終えて アーケードの外に出るころにはすっかり暗くなっていた。

海岸側へと出て、Eminönü ; エミノニュ広場にやってきた。
広場のランドマークである Yeni Mosque; 新モスクが美しくライトアップされている。

このモスクが建てられ始めたのは1597年、メフメト3世のValide Sultan; スルタンの母 である Safiye Sultan; サフィイエ・スルタンの命によって、当時商業中心地であった エミノヌ広場で急速に勢力を広げていたユダヤ商人達を牽制する目的があったらしい。
なので当時は Valide Sultan Mosque; ヴァリデ・スルタン・モスク とよばれていた。

ただ、その後メフメト3世の逝去をきっかけに モスク建設にかかる費用に対する不満や、皇太后による政治への進出に対する抵抗など いろいろあって一時建設は中断、モスクも廃墟化してしまったらしい。

でもその後1660年の大火をきっかけに、 メフメト4世の母 Turhan Sultan; トゥルハン・スルタンに事業が引き継がれ 先のエジプシャンバザールと共に建設が再開、1663年に完成した。この経緯を元に、New Valide Sultan Mosque と呼べれたことから、簡略化されて 新モスクという名になってるけど、別に建設時期が新しいわけじゃないんだな。

内部は様々な色のイズニックタイルでダイナミックに装飾されている。

重厚な柱と、それを彩るタイルアート、そしてシャンデリアのライトアップが荘厳な雰囲気を醸しているけど、このイズニックタイルは前記事で紹介したトプカプ宮殿で見られるものに比べると品質に劣るらしい・・・ いや、素人目にはわからん。

ってなわけで、

イスタンブール旧市街の巨大なバザールとその周辺の記録でした。

おまけ

とある日、テネレを出庫しようとMuhammet 宅 駐車場におりると、、、にゃん太がシート上を占拠しているのであった。

9月第2月曜日、学校の新学期が始まるみたいで Muhammet 宅から見える小学校もいきなり賑やかになったのであった。

つづく

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