【Republic of Turkey episode17】Alanya 赤の棟から Side そして Aspendos の古代遺跡を巡る

どうもこんつくは、グレートエスケープ中の管理人です。

トロス山脈からようやくトルコ南海岸へと出たので、ここからは海岸に沿って西へと進んでいきます。

Alanya の景色

何事もなく海岸で朝を迎える。

少しだけ海岸線を走って、Alanya; アランヤの街にやってきた。

海岸には沢山の船が停泊していて、中には中世のガレオン船みたいな雰囲気の船もある。

何か食べたいなぁと走っていると中華料理屋を発見したけど閉まってた。

こんな漢字あるのかな?たぶん愛って書きたかったんだろうか、でも愛と友のハイブリッドみたいでいいね。

船として機能してるのかやや疑問だけど、沢山のマストが立ち並ぶ様は圧巻。

岬のように突き出した半島部分の東端にある”Red Tower” と呼ばれる棟にやってきた。これは、ルームセルジューク朝11代スルタン  Alaeddin Keykubat; ケイクバート1世の治世下 1226年 当時の造船所を守る目的で建てられた。

赤みがかった煉瓦が名前の由来で、八角形の重厚な棟だ。

棟のすぐ目の前は小さなビーチになっていて、

みんなめちゃくちゃ気持ちよさそうだなぁ・・・

まぁとりあえず Red Tower の中に入ってみる。

現在はミュージアムになっていて、色々な展示を見る事ができる。

山羊の角の上に都市が描かれているのは、ケイクバート1世の軍隊が 当時アランヤを統治していた Kir Fard; キル・ファルドを威圧するために、ヤギの群れの角に松明をくくりつけて自軍があたかも大群であるかのように見せて降伏に追い込んだという逸話を表わしている。

アランヤ出身のスーフィ、かつ詩人である Alaeddin Gaybi が、トロス山中で美しい鹿に出会い 霊的な経験をしたことを表わしている絵。
鹿は、スーフィズムの世界でしばしば神への導きや神聖さを象徴する。

ラクダに大量の荷物を積む絵は、中央アジアのステップ地帯からアナトリアへと移動をしたトュルク系遊牧民を表わしている。

アランヤに定住を始めた遊牧民の女性によってつくられたキリム。

中世アランヤの食卓の様子。Sini; シニとよばれる食卓を囲う様子が、昔の日本のそれのよう。
顔つきは、勿論モンゴル系の顔つきをしている。

街が縄で縛られて持ち去られる絵は、アランヤの街から文化や歴史が奪われる というような旨の事象を象徴している。
いつの時代の事を象徴しているのかよく分からないけど、盗もうとしている男たちの衣装を見るに、後にオスマン帝国の基礎となるオスマン・ベイリクなのだろうか・・・?

棟の内部には、外壁の八角柱と相似形のような中心柱が通っていて、それを列柱回廊が囲んでいる。

棟から内陸に向かって延びる城壁。

この城壁は、ケイクバートによ包囲・制圧以前のビザンツ時代やKirFard時代からあったものである可能性がある。

棟の頂上までやってきた。
まじで暑い。クソ暑いのに、ちょっとだけ太陽に近づいて余計暑い気がする。

頂上より、西方向。丘の上まで城壁がつづいている。

 

南の海岸線には、丘の斜面に建ち並ぶ家々が、北の海岸線には停泊する大量の船とミナレットが見える。

さて、棟から下りて 管理人もせっかくだから海に入って見ることにした。透明度も高そうだし ひっさびさにTG-6のハウジングを取り出した。

 

透明度が高いからきっといい写真が撮れるはず と思ってたものの、遊んでる人が沢山いるせいか 思いのほか濁っていて 全然いい写真が撮れなかった。

とはいえ、40℃越えの中海に入るとやっぱり気持ちいい。

古代都市 Side の遺跡

アランヤの街を去って、しばらく西へと海岸線を進むと、

Side; シデという遺跡にやってきた。テネレを駐車して遺跡を歩き回ってみる。
シデの古代都市は、紀元前7世紀頃の新ヒッタイト人による入植にまで歴史をさかのぼり、その後アレキサンダー大王によるマケドニア支配、ディアドコイ以降のプトレマイオス朝、セレウコス朝の支配を経て 紀元前1世期にはローマの支配下にはいる。

2世紀に建てられたニンファエウム(神殿)。

2~3世紀につくられた劇場。5世紀には野外教会に改造された。
収容人数は15,000人に及ぶ 巨大な劇場だ。

 

円形劇場の回廊と、アントニヌス時代の特徴を残すという正面ファサード。

Liman Caddesi とよばれるサイト内のメインストリートには ショッピングストリートやレストランも沢山並んでいた。

海岸沿いのアタテュルク像。

詳細不明の遺構も多数。

詳細不明のバイク。

岬の南端に位置するアポロン神殿。建てられたのは2世紀後半と考えられていて、ギリシアの太陽神アポロンを崇拝していたことを表わしている。ローマにおけるキリスト教の国教化以降は放置ないし、初期教会として機能していたのかもしれない。

コリント式の柱頭と、トップに施された人面の彫刻が印象的で、シデ古代遺跡の代名詞的な存在になっている。

Aspendos の古代遺跡

Side の古代都市から更に西に Aspendos; アスペンドスの古代劇場と遺跡群があるのでやってきた。

 

遺跡の一番東端に位置する劇場は、おそらくトルコでたくさんみた円形劇場の中でも1,2を争う保存状態の良さと荘厳さだったと思う。
建てられたのは、やはりアントニヌス帝の治世 160~180年。

劇場の頂上部分は壮大な列柱回廊が取り囲む。

西日に照らされるファサードは、幅100, 高さ22mにも達し 円形劇場のファサードとしては最大の部類。
収容人数は最大で20,000人に及ぶという。

ファサードのエンタブラチュア部分 装飾。

劇場下から。1,800年前 ここではどんなイベントが開催されてたんでしょう。

アスペンドスの遺跡群は、劇場の西側につづく丘に沿って 多くの遺構が点在している。
丘の頂上付近に建つ、Basilica Aspendos.

Nymphauem のファサードと、装飾。

実は、丘の反対側にはトルコで最高に美しいローマ水道橋があるのに、それを知らずに訪れ損ねてしまった・・・
こういう調査不足による取り返しのつかない訪問漏れは 本当に後悔先に立たずだ・・・😭
まぁでもローマみたいな大都市に行けば、全てのランドマークを訪問するのは不可能だし、再訪の口実ってことで前向きに考えるしかない。

Antalya へ

Side と Aspendos の遺跡を見終えて、トルコ南海岸の大都市 Antalya; アンタルヤに向かう。
ここ4日間は、夜も気温が下がらない中での野営が続いたのと 日中も40℃越えの中の走行だったこと、そしてシンプルに遺跡を歩き回ったことで信じられないくらい疲れた。いますぐ道のど真ん中で倒れ込んで寝たいくらいの疲れを感じていたけど、この日はアンタルヤでドミ宿をとっていたから、なんとか頑張って宿まで辿り着く。

おまけ

アンタルヤに着いて、ドミの部屋で荷物を置いたあと、一息いれるとまた動く元気がでてきたので、市内にあるラーメン屋にきてみた。
野営つづき=ロクなもん食ってなかったから、「すごい。」のネオンに期待が膨らむけど、

ラーメンは、なんか違った。でもまぁ違うなりにおいしかったとは思う。

つづく

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