どうもこんつくは、グレートエスケープ中の管理人です。
ここまでのルート
Soğanlı の洞窟群
ギョレメを去った後 南側へと向かって Soğanlı; ソアンルという場所を目指す。
なんでもない街の、なんでもないモスクのミナレットが 妙にいい雰囲気だったりする。
Damsa Stream 沿いに南下。
途中発見した廃墟。
これも奇岩群・・・なのか?
水場で水補給。
途中、走っていると首に激痛が走った。手で払っても痛みが消えないから、止まってミラーでよくみると、
蜂の腹が針ごと首に刺さっていた。だから暑くてもジャケットはちゃんと閉めないとね、、、
この後3日ほど首が腫れていた。
Soğanlı に近づくにしたがって、道脇にゴツゴツとした岩と そこにくり抜かれた空間が現れてくる。
その内のひとつに上っていってみると、
やはりここも洞窟教会のようだ。
断崖の壁に、無数に開いた居住空間の穴。まるで蜂の巣みたい。
再び道脇に現れた断崖にある、急な階段をのぼってみる。
Tokalı Kilisesi; トカル教会 もまた、10世紀頃 ビザンツ帝国の治世下で イスラーム勢力による侵略からの避難場所として建てられた岩窟教会のひとつ。
修道士の居住空間と、
4本の柱で支えられた教会内の身廊。
ナルテックスのアーチ脇には、当時のフレスコ画が残っている。
主祭壇側。アーチ下面にも装飾がわずかに残っている。
この柱もアーチも、全て削り出しだと思うと、岩窟教会をつくる執念を感じる。
ところどころに残る紋章や装飾。
トカル教会は、カッパドキアに数多くある岩窟教会の中でも秀逸だと言われている。
全然目立たない場所にあるし、誰もこないような場所で 実際誰もいなかったけど 今回カッパドキア地方でみた岩窟教会の中では確かに一番見応えがあったかもしれない。
さらに道を進んでいくと、もはや道の両脇の断崖は数の洞窟住居で埋め尽くされていた。
道の終着点。
ソアンルはギョレメに比べて圧倒的に人が少ないにも関わらず、沢山の洞窟住居や教会を見る事ができるので なかなかいい場所だと思う。
今回は十分に沢山の洞窟教会を訪れられたとは言えないけど、こういう場所がギョレメ郊外にもあることを知れてよかった。
Denrinkuyu Underground City
ソアンルの洞窟群が一望される坂を上って、村の西側へと抜けていく。
一度カイセリ県からニーデ県、そしてネヴシェヒル県へと県境をまたいでいく。
牛のイラストがかっこよくて思わず撮ってしまった。パキスタンのデコトラが懐かしいなぁ。
なんだか賊の隠れ家みたいな泥レンガづくりの小屋が建ち並ぶ。
そしてやってきた Derinkuyu Underground City.
カッパドキア周辺には洞窟住居と同様に、岩盤のくり抜きでつくられた地下都市がいくつか存在する。そのうち最大のものが、ここデリンクユの地下都市だ。
チケットを買おうとしたら、欧州からの観光客がチケットを間違えて多く買ってしまったから というので、通常よりも安くチケットをゲット。間違えて多く買うってどうゆうこっちゃと思ったけどまぁラッキー。
早速地下都市へと入って内部を見学してみる。
デリンクユの地下都市は、全部で8階層になると考えられていて 現在最下層の深さは85mにも達して、およそ2万人もの人々を収容することができるらしい。観光客が立ち入れるのはその内のほんの一部で、最下層は基本的に5階とされている。
未だ発掘も途上状態で、まだ全体の半分程度しか発見されてないという見方もあるらしい。カッパドキア周辺に存在する他の地下都市と繋がる地下トンネルなんかも複数存在するみたいで、まさに未解明のアンダーグラウンドシティなのだ。ほとんどの事象が明らかになったような2024年現在でも、世界にはまだまだ未解明・未発掘のロマンが溢れてる。
この地下都市も、カッパドキアの洞窟教会などと同様ビザンツ時代に迫害からの避難地として形成されたのか、と思いきや その歴史はそれより遥かに古く、紀元前8世紀頃からフリギア人という古代アナトリアに栄えた民族によって初期の構造がつくられはじめたらしい。
当初フルギア人によってつくられた地下構造は、後のビザンツ時代に完成するものの10%程度だったと推測されている。
7世紀以降、イスラーム教徒からの避難地として、またアラブ・ビザンツ戦争の防衛拠点として大幅に増築されていった。
その後も、ティムール帝国によるアナトリアの侵攻時に現地住民の避難地となったり、20世紀になってからも 迫害を逃れるためアルメニア人の逃避場所となったりと 歴史を通して多くの人を外力から守って来たのだ。
当時、そうやってまさにこの場所で人々が暮らしていたのか と過去に思いを馳せつつ、身をかがめないと通れないような狭くて急な階段をどんどん下層へと降りていく。
食堂、礼拝所、学校、厩舎、貯蔵庫・・・ 各部屋にはそれぞれ役割があって まさに「都市」として機能していた。
各階層を繋ぐ通路には、このような漫画でしか見た事がないような石の扉が設置されて 有事には通路を閉鎖することができるようになっていたようだ。
宗教学校と考えられている、アーチ天井の巨大空間
いくら軟質の火山岩とはいえ、地面を掘ってこれだけの地下空間をつくるってのは、一体どれだけの執念によるものなんだろうか。
多層階に渡って地下構造を掘削するとなれば、当然崩落のリスクも高いのに デリンクユの地下都市ではそうならないような構造的な工夫が随所にされている。強化コンクリートも補強材もない時代に、物理的な構造特性だけでそれが成り立っているのだ。下層になれば当然排水や採光、換気の問題も多きいけど シーリング技術も電気も電動ファンも何もない時代に、それらが自然の力で成り立つような工夫がされてるのは驚くべきことだと思う。
地下都市入口のすぐ近くにあるギリシア正教会 St.Theodoros; 聖テオドロス教会
オスマン帝国時代の19世紀、ギリシア系住民によって建てられた。丸ドームが、教会でありながらややオスマン様式を含有してる。
ラクダってのは、よく見れば見るほど不思議な生き物に見えてくる。
南の海岸へ
デリンクユの地下都市を去って、ようやくアナトリアの南海岸に向かおうかと思いたった。
この旅は、本当にいつも行き当たりばったりだ。アナトリア中央の内陸にはまだまだたくさんの遺跡とかみどころもあるけど、全部は無理。知られざるマイナー遺跡は、またいつか再訪する口実におっておくのもいいでしょう。
すっかり日が傾いて、雲間から夕日が漏れている。
西へ西へ 夕日を追いかけるように 暗くなるまでできるだけ距離をのばす。
ほとんど日が落ちた時、かすかに赤味をのこす地平線をバックに 工場から昇る煙がたなびいていた。
なぜだろうか、この光景を見た時に 強い郷愁を感じた。走っているときに、稀に訪れる ものすごく大好きな感情だ。
自分は、別に遺跡を見るわけでも歴史や文化に触れるわけでもなく ただ時たま感ぜられるこの小さな感動のために旅をしているんじゃないか、別にそれでもいいやとさえ思えるような気持ちだった。
こういう感情を、USBに保存していつでも再生できたらいいのに とか思いつつ、でもそんなことができたらそれはもはや同じように感得されることもないだろうなとか 詮の無いことを考えながら すっかり遅くなってしまったので、道路脇の適当な場所を見つけてテントを設営するのであった。
つづく