こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。
ジョージア北東部への走行を開始して、Datvisjvari 峠まで辿り着きました。更に北へとつづく道を進んでいきます。
ここまでのルート
Datvisjvari Pass から北上
朝。今までも沢山野営してきたけど、こんなに美しい朝はあっただろうか。
寝袋を干す。
標高が高い+周りは草だらけ だと、どうしたって朝は結露が多い。
でもこの快晴で 日が昇るとすぐに乾燥してくた。出発するのが惜しくなるくらいに良いロケーションだけど、この日はArdoti; アルドッティを目指す。
と、意気揚々と出発しようとするも、湿地でタイヤが滑ってしまい、スッタクしてしまう。
スタックというか、完全にタイヤの表面が滑ってしまっているので こうなるとお手上げだ。
空気圧もぎりぎりまで下げて、荷物全部下ろして、色々試すも、ダメ。
さて、どうしたものか と呆然としていると、たまたま牛を運んでる途中の台車が遠くの道に見えたから 手を振って カタコトのロシア語で叫ぶと、気づいてくれたジョージアン・タフガイが2人助けに来てくれた。
その後転倒などいろいろ紆余曲折を経てようやく道路に復帰。
やっぱり道から脇に下りる時は、事前に路面状況確認しないとダメだ・・・
泥だらけになりながら助けてくれた2人にはマジ感謝である。
谷を縫う Arghuni 川。
イランのホウラマンバレーや、タジキスタンのパミール高原、パキスタンのフンザ どれにも引けを取らない絶景だった。
道脇に残る残雪。
やがて、道の途中に廃墟となった遺構がちらほらと点在するエリアに到達する。
川の向こうに行ってみようとしたけど、
足場が足らず 途中までしか行けなかった。
川辺には石英質の岩石が沢山散乱していた。劈開性のある岩石は、この辺で石積みの家の建材に用いられてるものと同じだろうか。
更に北へ少し行くと、
Lebaiskari Tower という石積みの塔が左手に現れる。
Lebaiskari Tower を南に 綺麗な写真が撮れた。
その後も、ちょこちょこと謎の遺構をみつつ、
廃村のような場所を通る。
たぶん、たぶん人が住んでいると思われる。
おおむね気持ちのいいフラットダートだけど、時折かなりロッキーになったりもする。
ロッキーな時も写真を撮りたいけど、あんまりロッキーだと余裕がなくなって結局写真が撮れない。
テネレの出荷時タイヤは Pirelli Scorpion Rally で、前:2.2 後:2.5 kgf/cm2 が適正圧として指定されてたような気がするけど、
実際装着されるリムとか、車体の車重、積載荷物の量で適正空気圧は変わる。海外のライダーに聞いても みんな「だいたい」で決めてるみたいだけど、今のタイヤに交換してから、この荷物の量でダートの時にどれくらいまで下げるべきかは未だ試行錯誤だ。
心が和む、渓谷がつづく。
翼上面も翼下面も美しいシジミチョウの一種。
上っては下り を繰り返しながらどんどん北へと進むと、
やがて Shatili; シャティリの城塞が見えて来た。
渓谷の崖上に城塞を兼ねる住居がつくられ始めたのは 14世紀頃で、18世紀まで増築がつづいたらしい。
村にあった看板によると、建物は約60棟あって それぞれが壁を介した通路で繋がっているらしい。
17世紀を境に、壁に銃口用の穴が開けられるようになる。
14世紀といえば、この辺りは当時カヘティ王国の領土内だった場所で、それから何世紀にも渡って現ジョージア北東部の防衛に貢献してきた村なのだ。現在の村民はわずか20人ほどといわれている。
Google map 上ではこの辺に Cafe だの Guest House だの記載されてるけど、軒並み営業停止中だ。
もう昨日から何も食べてないから、何か食べられる場所を探すけど、諦めて アルドッティ まで向かうことにした。
最北点より折り返し、南下 Ardoti へ
シャティリの村を過ぎて、更に北へ向かうと、この1本道の最北点に到達する。
ここには、Anatori; アナトリ という村の墓地が残されている。
アナトリの村には多くの村人が暮らしていたけど、18世紀頃から流行った伝染病(たぶんペスト)でどんどん過疎化していったという。
ネクロポリスに立っていた看板によると、驚くことに 当時村人たちは疫病(Zhami と呼ばれていた) が伝染性であることに気づくと、
他の村に逃げるのではなく、感染の拡大を防ぐために 自ら墓地の中に生きたまま入って、尊厳を持ってその時を待ったという。
たまたま Tusheti; トゥシェティ (ここより更に東側の地方)に羊飼いとして働きに行っていた12歳の少年 ただ1人だけが生き残って、彼はシャティリの村で保護されたという。
なんともいえない悲劇があったこのネクロポリスから北を見ると、もうあの山の向こうはチェチェン共和国だ。
さて、そんなアナトリの村をポイントに、道は南方向へと折り返す。
冬季には完全に外界と遮断されるこんな場所にも、人の暮らしがあって、
Arghuni; アルグーニ川は、折り返しで分岐の Andakistskali; アンダキスツカリ川へと変わり、
ひたすらにその脇を南下していく。
途中、道が2手に分かれ 看板によると Google Map にない方が Ardoti に向かうらしい。
ここは現地の看板を信じて、どうせ1本道しかないので Navi を切る。
途中で走破不可能な道にならないことを祈りながら、
ほとんどデスロードだろ、これは と言いたくなるような断崖の道をゆく。
そしてようやくこの道の終着点に辿り着くと、
そこから信じられないような急勾配のつづら折りを何度も折り返しながら上り、
その頂上に建つ Ardoti Guest House に辿り着くのであった。
この秘境に似つかわしくない、綺麗なゲストハウスだ。
昨日の朝から何も食べてない、と言うと 宿のばっちゃんが「これは料金いらないから、内緒だよ」と サラダとスープをつくってくれた。
日本で暮らしていると、「食べる事=生きる事」という当たり前を、頭では分かっていても身をもって実感することはほとんどない。まぁちょっと大げさかもしれないけど、こうやって30時間ぶりくらいに食べ物を口にすると あぁこれで生きられる と思うのである。
これがほんとに “沁みる” ってやつだ。
あの悪路・急勾配を このフル積載でなんなく上ってくれる頼もしきテネレ。
ほんとに喋れるなら礼を言いたいよ。
つづく