こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。
エレバンでGleb宅へ居候し、ダラダラとした日々を楽しんでいましたが ようよう重い腰をあげて次の道へと駒を進めます。
ここまでのルート
Mastara; マスタラの街 Saint John Church へ
北西部のハイウェイを北上していく。
筋斗雲のような雲が空を泳いでいる。
そういえば、カザフスタン西部を走っている時の唯一の楽しみといえば、綺麗な雲を眺める事くらいだったなぁ、それくらいあそこは何もなかった。
途中、Mastara; マスタラの街で立ち寄った Saint John Church.
南側からの眺め。
なんとなく立ち寄っただけだったけど、雰囲気は最高に好きな部類の教会だった。
この屋根に草花が茂っている感じとか、ラピュタ感が半端ない。
ラピュタ感が半端ない ってのは、日本人とジブリ好きの外国人にしか伝わらない形容詞だよね。
西側の入口と、上部の意匠。
教会に残された碑文から、教会が建てられたのは7世紀とされているけど、発掘調査によって更に古い教会が同地にあったことが判明したという。
東側より。啓蒙者グレゴリウスがカイザリア(現イスラエル)から洗礼者ヨハネ(Saint John = Saint Hovhannes) の遺物を持ち帰ってこの場所に埋葬したという伝承が Mastara の 由縁で、更に古い教会というのはその頃のものなのかもしれない。WiKi先生のいうところの 5世紀というのは、その頃に建てられた更に古い教会なのかな。
煉瓦の隙間から、人工物を駆逐せんとする自然の芽たち。幾度となく再建・修復されているものの 最初の築造から1,300年。
更に1,000年後、この教会はどんな姿になっているだろうか。
南側の扉や窓。
教会内部へ。ガビットのような構造はなく、入口を入ると中央アジアのモスクのような雰囲気だった。
入口側と祭壇側を仕切る木造のパーテーション。
教会ドーム。8角形をした屋根の各辺に開いた窓から光が入ってくる。
北側、南側の壁面。
祭壇。
祭壇側から入口側を見上げる。誰もおらず、上にのぼってもよさそうだ。
後方の階段から2階部分へ上ってみた。なんとも独特な雰囲気の教会。
2017年のイタリア人修復家による修復作業で発見された、7世紀オリジナルの壁画。3人の聖人や馬に乗る人物が浮き上がる。考古学のフィールドワークって、ほんとワクワクする仕事だよね。
1階部分にも、修復された壁画がわずかに残る。
教会内に飾られていた昔の写真。一体いつごろ撮られたものなのか不明だけど、まだ屋根に苔生していない。
Gyumri; ギュムリへ
スズメもプルプラクで水を飲む。
マスタラの街を去って、ハイウェイを進む。
緑の絨毯 青い空にふかふかの雲。
まだまだ残雪の多い景色とは裏腹に、日中の気温はもう30℃近いんじゃないだろうか。
少し脇道に逸れてダートも楽しむ。
そんな感じで アルメニア北西部の街、Gyumri; ギュムリに到着。
おんぼろラーダに引けを取らないRusty Tenere。
洗練されたエレバンとはちょっと似ても似つかない雰囲気のストリート。車の所作のカオス感が中央アジアのそれに近い。
ストリートの裏路地はバザールになっていた。
廃墟×キリル文字=ロマン という圧倒的な公式。
日用品から食品まで、スーパーで買うより難易度は高めだけど、何か必要なものがある時は こういう場所で探した方が楽しい、体力に余裕さえあれば。
ギュムリの中心部、Vardanants Square にやってきた。
広場東側には、大きな庁舎が建つ。
歩いてたら絡んできた謎の着ぐるみ2人組。これは伝統衣装なのかな?
広場の北側に建つ Cathedral of the Holy Mother of the God; 聖母大聖堂
黒色の石でつくられた独特の外観。
西側の鐘楼を伴ったガビット。
教会内部。
主祭壇とシャンデリア。
広場を通って南側に移動してみる。たまに見かけるロシア製の謎車両。AvtoVAZ ?
広場に堂々と鎮座する騎手像は、Vardan Mamikonian; ヴァルダン・マミコニアン の像で 451年 Avarayri; アヴァライルの戦いでササン朝ペルシャからキリスト教信仰を守る契機をつくった国民的英雄である。
通を挟んで広場の南側に建つ、Church of the Holy Saviour; 聖救世主教会
1858-1872年の建造。
西側入口。
教会内部。
無宗教のいいところは、モスクだろうと教会だろうとシナゴークだろうと、全てニュートラルな目線で楽しむことができることだろうか。
とはいえ、30年以上も生きたら完全にニュートラルってのはなかなか難しいのかもしれない。
教会西側の通路を散歩してみる。色々と版権が気になる看板をスルーしつつ、
この “Art Basement” という看板が気になり過ぎて隙間からずっと中を覗き込む不審者っぷりを発揮していたら、
不審に思ったか不憫に思った画廊のおっさんが中に招き入れてくれた。
中は想像以上に広くて、数室にぎっしりと作品が飾られていた。全てギュムリ出身のアーティストによるものだという。
まさに Art Basement !!
小さいアクセサリーなんかも、全部 ギュムリのアーティストの作品。
ブロンズのにゃんこ。狛犬ならぬ狛猫として玄関に置きたい。
双頭のサイと、その上部に縛り付けられた人には はて、一体どんなメッセージが込められているのでしょう。
ティム・バートンの世界だったら、間違いなく突然話し出すよね。
そんな数ある作品の中で、管理人が一番気に入った絵がこちら。
題名も分からないけど、何というか サイバー未来都市に住む少年 みたいな感じで 見てるだけで色んな感情が湧き上がって来た。
作品を見終わると、おっさんが「コーヒー淹れるよ」と言ってくれたので 奥の控室で待っていると、そこには最近拾われた捨て猫とその赤ちゃんたちがい・る・で・は・ありませんか!!
まだ生まれて間もない子猫のなんと愛らしい、この世にこれより愛おしいクリーチャーがいるだろうか?
もこもこの体で短い四肢をもごもごと動かし 母親の懐に潜り込まんとする姿に癒されまくったのだった。
ギュムリがアルメニアの文化の中心と呼ばれる所以がなんとなくわかったような気になって、更にOld City 界隈をふらつく。
クマイリ歴史地区として知られるこの場所には、1988年の大地震を生き延びた19~20世紀の建造物が1,000以上も残存していて 世界的に稀有なアルメニア建築の保存地域として知られている。やっぱり、黒い壁面や、アーチとコラムを多用した様式が特徴的だ。
怪しいコーヒーミルとか、買って帰りたい。
石畳の歴史地区には、やっぱり馬車が似合うよね。
歴史地区にちょこんと現れる名もない教会。
スタイリッシュな歯医者の看板。Armenian Ceramic が気になったけど、開いてなかった。
道端にしれっと停められている ГАЗ-21.
ГАЗ= GAZ は、Gorkovsky Avtomobilniy Zavod というソビエトの自動車製造者でこのモデルは50年代から70年代まで製造されたものだけど、状態から察するに非常に美しくレストアされている。
街中には、未だ大地震の爪痕が残る。
超過疎地帯ならまだしも、アルメニア第2の都市で30年以上も廃墟が放置されるというのは、日本ではあまり考えられないような気もする。
ギュムリ周辺放浪
ギュムリの郊外も含めて、テネレで放浪してみよう。
Saint Michael the Archangel Church; 大天使ミカエル教会
ギュムリ西部の小高い丘に建つ 黒い要塞 “Sev Berd”.
当時ずっと断続的に勃発していた露土戦争のために1830年代から建設され、その後放棄された。
Sev Berd は丘の上に建っているので、景色は360°ひらけている。
向こうに見える像は、Mother of Armenia. エレバンにもあったよな。
こちらは独ソ戦 戦没者を弔っている。エレバンの Mother of Armenia が両手で剣を支えていたのに対して、こちらは右手に何かの葉を、左手はワインの盃だろうか。
今度は北のはずれにやってきた、
子犬たちが好奇な目で寄ってくる。
鉄の噴水 と呼ばれる1982年製のモニュメント。アルメニア人建築家 Artur Tarkhanyan; アルトゥール・タカニャンによる作品で、88年の大地震までわずか6年間機能していたという。現在では廃墟となっていたけど、この独特の雰囲気と 寂れてしまった周りの集合住宅から醸される「ソ連感」がたまらん。
再び市内中心部へ戻って来た。
平和公園と、先の ヴァルダナンツ広場を結ぶ小さい Rijkov 通り。
良い雰囲気のカフェや服飾店が並ぶ。
ネコ!
ギュムリから東へ 丘の上の野営
ギュムリを去り、再びジョージアへ越境するための道へ 東へ向かう。途中 広大な墓地 Shirak Cemetery.
だんだんと日が落ちて来た。
道路脇に沢山のハチュカルが並んでいたので、入ってみると ここは ジェノサイド慰霊碑が建っていた。
慰霊碑近くの未舗装路を脇に入っていくと、野営にちょうどよさそうな場所を発見。
割と急な斜面だったけど、なんとか平地っぽい場所を見つけて設営。
すぐ脇には細い小川がながれている。
谷の反対側を見ると、空がきれいに焼けていた。
最近ペグダウンを疎かにしがちだったけど、風が強いし、かなり寒いから しっかりペグダウン。
フライにしっかりテンションをかけると、フライが結露してもインナーテントに浸水しない。
念のためのタイヤ止め & サイドスタンドエクステンションに、更に板状の石を敷いておく。
寒い+強風で、早々にテントの中に退避して就寝体勢へ。
今日も色々なことがあって楽しかった。
つづく