こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。
トランジットビザの有効期限切れによってAstrakhan行 の越境に失敗し、新たなビザ発行のためにやってきた Uralsk; ウラルスクでは ビザ発行にかかる9日間、特になにをするわけでもなく過ごすことになりました。
Uralsk での日々 ~ただのUralsk 写真集
ウラルスクのシティセンター。こんなようなモールが市内に点在してるけど、たいてい中は洋服屋がまばらにあるだけで、改めて東京のデパートや百貨店のヤバさを感じる。西カザフスタン州の州都といえど、あまり大きな街ではない。
旧ソを彷彿とする団地ビル。
メインの通りからゲートを通って路地に入ると、大抵はそんな団地の敷地内に入ってビルを内側から見ることができる。
市内を歩いていると見かけるこのパイプ、最初は資源国ならではのガスラインでも通ってるのかと思ったけど、実は Otopleniye という街全体の暖房システムの一部で、冬になるとこの中を高温に温められた水が流れて、各家庭に送られるのだ。
団地の掲示板?はいつも広告だらけ。
映画のポスター。
大きな街ではないけど、こじんまりした店とロシア語orカザフ語の看板がいい雰囲気を醸す。
ところどころ紅葉がはじまった街路樹が 色づいた葉を落として道を彩る。
鮮やかな黄色の壁が綺麗なこの建物はプーシキン博物館で、かの大詩人は、1770年代にこの界隈で発生したプガチョフの暴動を題材とした「大尉の娘」を執筆するための調査で1883年にこの街を訪れている。この建物はプーシキンが訪れる少し前にイタリア人建築家によって建てられて、今日まで保存されているらしい。
パステルカラーの建物に、紅葉した木々と 雰囲気はもう中央アジアというよりロシアだ。
正統な地理学的にヨーロッパとアジアの境界がどのように設定されるのかは知らんけど、慣習的にはウラル川がひとつ、そのランドマークとされる傾向がある。したがって、ウラル川のすぐ西にあるここは、既にヨーロッパといってもいいのかもしれない。
ロシア正教会。
教会内部。
教会も、モスクも、シナゴークも、神社も寺も 暗くてほんのりと香がただよう空間はとても落ち着く。
また違う教会の近くにやってくると、周りには沢山の墓標が並ぶ。
中ではちょうど葬儀が執り行われていたようで、早々に退散した。
献花用の花束を売る店。
ウラルスク市内に複数ある広大な公園のうちひとつ、Kirov Park.
ずっとステップ地帯を走って来たからか、森から漂ってくる香りがとても懐かしくて心地よい。なんだか代々木公園にでも来た気分だ。
公園内から Chagan; チャガン川にかかる橋。
橋の上から、街を縦走するチャガン川を見る。この川は南でウラル川と合流してカスピ海へ向かう。
また別の公園。こっちはウラル川。まじで蚊が多すぎて同じ場所に静止していられなかった。
カザフスタンでは、どの街でも必ずといっていいほど目にする対ドイツ戦戦死兵の追悼モニュメントと哀悼の炎。
カザフスタンの国旗にも見られる伝統のパターン、直訳だと “caved pattern” の意となるこれは、カザフ語で Oyu Ornek と発音する。
街中でも留意すると、至る所でこの文様をみつけることができる。
Leila との出会い
ビシュケクでロシアビザを発行するときは、海外保険に関しては適当にクレジットカード付帯保険の保険者名を入力するだけでOKだったけど(実際には既に失効してる)、ウラルスクの領事館では新規での保険の加入を要求された。
その、ビザ発行用の旅行保険を発行してもらうために訪れた旅行代理店(?)で、Leila に出会った。
一見日本人といわれてもおかしくないカザフ美人の Leila は、ウラルスク滞在中ヒマ死にしそうな管理人を何度も外出に誘ってくれて、街を案内してくれた。彼女に出会ってなかったら、まじでヒマという死因で死んでいたかもしれない。
しかも、予定よりもビザ発行に時間がかかるせいで、事前に予約していた宿に泊まれなくなった超過分、余ってる部屋の1室を使っていいよ と泊めてもらってしまった。窓から外が見える、こじんまりした素敵な部屋だ。
そしてここが寝床。
なんと嬉しいことに、懐っこい 黒猫のBuggy の添い寝つき。撫でるとすぐにゴロゴロいってすりすりしてくる本当にかわいいやつだった。
ある時、近くの公民館のような場所で開催される演劇に連れて行ってくれた。まぁ言葉は全く理解できないんだが、不思議とだいたいの流れは分かるもんで、
交通事故に遭った4人組の男女が、自分たちが死んだと気づかずに冥界手前の館を訪れ、最終的に自分たちが死んだことを告げられ それを受け入れていく ってな感じの内容だった。
とまぁそんな感じで何とかこの小さな街に滞在すること9日目、在ウラルスクロシア領事館にて、
新規のビザがようやく発行された。
朝一でビザを受け取ったその足で、西の国境を目指すのであった。
おまけ
ウラルスクのモールで発見した “Onigiri !!”
Leila と公園デートした時に、持ってきてくれた家庭料理。
とある店で “Udon” を頼んだら出て来た。味は、焼うどんに近かった。
Leila 宅にて、カザフスタンの伝統料理 Beshbarmak をいただく。 Leila のお母さんがつくってくれた。
馬の肉をメインにポテトやたまねぎと、きし麺のような練り物が入ってる。日本人にはけっこうオイリーでガツンとくる。中央アジアは日本以上に馬肉を食す文化がある。伝統スタイルは手で鷲掴みにして食べるんだけど、 Beshbarmak はカザフ語で5本の指 という意味だそうだ。
つづく