こんにちは、グレートエスケープ中の管理人です。
アフワーズの街でEcardをゲットしたので、ここからは割とテンポよくイランを進んでいきます。
Shushtar を目指す
アフワーズを去って、北へ進んでいく。
まだイラン南西部は山岳地帯ではなく、広大な平野になっているので、カールーン川の水の恩恵をうけた農作地が広がる。
走っている時に鼻にとどく草の匂いは、万国共通。
シュシュタールの街に着いた。
圧倒的安さ これがオイルランド
イランに来て初の給油。毎回新しい国に入国するとガソリン価格が楽しみのひとつにもなってきてる。
IRR 30,000/ℓなので、BONBAST のレートで計算すると リッター約7円!!
実際にはBONBASTのレートよりもやや悪いレートでチャージしているので、それでもリッター10円くらい!!
バーレーンとイラクの40円台をぶち抜いて圧倒的1位の安さだ。
あまりの安さに興奮して Ahmad に報告したら、
「君が居るのは石油の国だよ、安くて当然さ」
と言われるが、いやでもサウジとかUAEとかなんなん?
イランに入国する前、とあるライダーからイランのガソリンの質が悪いと聞いていたけど、とりあえずテネレは問題なさそうだ。
Shushtar の古代水利システム
シュシュタールの街は、ササン朝ペルシャの頃にその盛期を遡る。
古い煉瓦づくりの旧市街を抜けた先の高台に辿りつくと、
そこから見えるのが、
シュシュタールの歴史的水利施設 とよばれる壮大な景色。
カールーン川からの水の流れを Ghanat;カナートと呼ばれる地下水路を通して灌漑し、更に排水路まで整備して再びカールーン川に戻す。
ウォーターポンプなんてあるはずもない紀元3世紀に、高度な土木技術をもってつくられたこの水利システムは、1,700年経った今でも現役なのだ。
以前は水の落下を利用して製粉が盛んにおこなわれたことで、街の発展に寄与し その後は水力発電にも用いられるようになったという。その後一時期衰退期を挟んだ後、パフラヴィ―朝の1970年代に再建と復興が進んで現在の姿に至る。今でも発電がされているのかはわからなかった。
Salasel Castel
シュシュタールの街に点在する水利施設に関するダムや水路、橋などがまとめて世界遺産として登録されている。そのうちのひとつ、Salasel Castel にきてみた。
英ウィキにも情報が少なく、ここがどんな場所なのかよくわからなかったのだけど、アケメネス朝期に初期の城塞があったらしい。
内部には巨大な地下空間が広がっていて、これは巨大なカナートの一部なのか?
Salacel Castelから見渡す景色。ヤギとヒツジとロバが一緒に草を食んでいる。
サイト上部にある廃墟。これがおそらくアケメネス朝期オリジナルのものなのかもしれない。
さらに頂上までのぼると、Kushk or Governor’s Palace という要領を得ない説明書きのある泥レンガの建物があったが、「最も高い位置にあったから保存された 1920年頃に修復されたと考えられている」的な内容だった。
Shavadun とよばれる地下空間への入口。
管理人のおっちゃんが鍵を開けてくれた。
かなり急こう配な階段を下りると、
約20mの深さまで潜るこの空間も「人々に涼しくて快適な空間を提供するため」という説明書きしかなく、え?それだけのため?と思ってしまう。
まぁ結果全体的になんなのかよくわからない Castel だった。
Shushtar で1泊
古い建物の多いシュシュタール。
もはや廃墟のように見えてちゃんとアザーンの流れるモスク。
シュシュタールでもAhmadが取ってくれていたホテルに泊まることにした。
歴史的な建物をそのままホテルとしてリノベーションしてる建物だ。たまにはこういうところに泊るのもいい。
なによりバイクを安全に停めておけるのが安心だ。
夜、ホテル中庭の雰囲気。
夜中、夕飯がてら夜のシュシュタールを散歩する。
謎の道具屋。
夜の水利施設。ライトアップされて綺麗だ。
水たばこ専門店とケーキ屋。
良い雰囲気の路地。
Shushtar に架かる古代の橋
翌朝、この待ちに点在するいくつかの橋を見て回ってみた。
これは Mizan Dam. ササン朝期の建造。
カールーン川の反対側から。
これは Lashkar Bridge. ササン朝。
川の細い支流にもアーチがかかる。
橋を渡った先にはモスクがあるようだ。
そしてこれが Shadorvan Bridge.
ササン朝、シャープール1世に敗れたローマ軍捕虜の技師だちによって建造された。
橋を見終わった後、やや北西に向かって走り、次のスポットを目指す。
つづく